10.4月上旬の活動記録
 1日も朝から風邪気味であったが、天気も良いのでマスクを着けたまま習志野まで運転していく。目的は金田に進出を表明した東京インテリア家具とはどの様な店であるのか見に行くためである。品揃えはオーダーや高級品も多く、ホームセンターとは明らかに違う。
 帰路には来たついでと三井アウトレットモール幕張も見てくる。平日だがそれなりに客が入っていた。この施設や先の東京インテリア家具が揃って金田に進出する目的の商圏は、房総半島の百万人と言うより羽田空港で結ばれるアジア富裕層だという感覚を深める。
 帰宅したら不在中に岩根西公民館長の赴任挨拶があったと聞いた。小学校の校長先生や前の公民館長など岩小創立百周年等を供に過ごしてきた人が変わっていく。皆様、本当にお疲れさまでした。有り難うございましたと感謝を申し上げ、そしてこれから来る人には宜しくお願いしますと伝えたい。
 
 2日は議会広報委員会の編集会議である。議会広報誌として市民に伝える情報は何かと議論を行う。なお、このような取組がどこで知られたのか、今月末には京都府宇治市議会の広報委員会が視察に訪れるようだ。個人的に対応が難しいので前委員長の白坂議員と篠崎副委員長に対応をお願いして編集会議を終えた。
 午後からは、市役所各所や市内各所で打ち合わせを行ったが、役所の中はどこも人事異動でまだまだ落ち着いていないように見れた。
 
 3日は午前中に書類整理や部屋の片づけを済ませ、12時開催の海上自衛隊の観桜会(正式名称は基地開設記念祝賀会)に出席するため自宅から徒歩で向かう。会場に着くと江川区長・江川漁業組合長も徒歩で来ていた。前日の強風が嘘のように穏やかな日で、自衛隊の方々と色々と要望や情報交換が出来て良かった。
 ほろ酔いで帰宅して犬の散歩などに出かけたが、あまりに天候が穏やかなので、友人を運転手にして太田山と矢那川の桜を見に行く。

太田山
 
矢那川
 太田山の展望台から見下ろす桜も、矢那川の水面に映る桜も、どちらも素晴らしく綺麗だったが花見を楽しむ人たちは多くはなかった。上野界隈のような馬鹿騒ぎを望むものではないが、もう少し街の賑わいにつながっても良いのではと思ってきた。
 
 4日は西山区の総会に出席する。役員の皆様は前年と同じであったが任期の2年目に入った事により落ち着いた運営が行われていた。地域の会議に出るために、早く地域要望に応えられるだけの財政力を持った市に成らねば、と思うのである。
 総会終了後に市内で打ち合わせや地区住民の区への勧誘等を行い、夕方の役員会までの時間を利用して矢那川の桜を見に行く。
 
 午後3時を回っていたのでステージなどは撤収に入っていた。今年も多くの人の努力によって、多数の市民が楽しんでいるし、矢那川周辺も昔から比べると綺麗になったように思う。市民力を誇らしく思う。
 夕方には江川区の役員会議で、新旧事務引継に立ち会った。
 
 5日は朝から雨である。書類やデータの整理などをコーヒー飲みながら進めるには絶好の天気である。ただ、翌日の天気がよいかと思うと、つい余分な企画を考えてしまい、仕事を早めに片づけておく。
 
 6日は朝5時前に起床して、午前中に南アルプス前峰の
日向山を登りに行く。下山すると巌根駅広場で法人会が借用しているスペースに快速停止看板を設置すると電話が入る。関係者に電話で立会を求めながら、自分も急いで帰宅を始めると、今度は同僚の石井量夫議員の訃報が届けられる。
 中央道や首都高に渋滞は生じておらず夕刻には帰宅したが、看板は既に作業終了していた。立会して貰った方に挨拶へ行ったり、市内で用事を済ませているうちに日が暮れる。夜には建設常任委員会で一緒だった石井議員を偲びビールを口にした。
 
 7日は朝から岩根小学校の入学式に出席する。名簿を見ると72名の新入生がおり、久々の学年3クラスに地域の方々と供に喜ぶ。理由を聞くと高柳小学区側からの越境生8名に支えられた結果であり、それがなければ2クラスという実体は寂しいことである。式は在校生が新入生を支える姿勢で好ましく見守った。
 式典終了後に市役所に行き、訃報に対応した議会広報の変更案の打ち合わせや会派内の連絡などを行い、帰宅してから仕事の片づけやHPの更新などを行った。
 
 8日は午前中から市役所に行き、新たなポジションに着かれた方々と様々な打ち合わせをする。午後2時からは議員会主催による新職員の紹介であり議場に入ると石井議員の席には花が飾ってあった。会の冒頭で石井量夫議員に対する黙祷が行われ、ついで補欠選挙で当選した小林紀之議員の挨拶が行われた。補欠選挙が終わったばかりなのに定数の28人が議場に揃うことが無いというのは複雑な気持ちである。先月末の補欠選挙は高橋浩元市議の辞職に伴う欠員1を争うものとして行われたため、14,500票を確保した永原氏が石井議員の補欠として宛われる事はなく、また夏に予定されている参議院選挙は国の選挙であるため併せて市議の補欠選挙が行われることはない。大量の議員辞職か市長選挙でも無い限り、補欠選挙が実施されないので来年の本選まで欠員の状況が続く。職員紹介は昨年の副主幹以上から主幹以上に絞ったため1時間も掛からず終了した。
 午後3時からは議会広報編集会議を開催する。前回の編集会議後に訃報の追加を行うなどの変更も行っていたが、全体的な内容は了承さた。また、今年度から議会事務局の広報担当職員が変更になるので、今号までが前担当の仕事になる。
 会議終了後に帰宅し、喪服に着替えて父と供に石井議員の通夜に参列した。会派を越えて多くの議員が弔問に訪れていた。
 
 9日は万石区の排水路整備要望箇所の担当課説明に同席する。浸食によって農道の通行に危険を生じている状況でありながら資材支給で毎年僅かの延長を改修することしかできないのがもどかしいが、予算が無い状況に諦めを持っている自分が居ることにも改めて驚く。大規模な改修は災害復旧を待つしかない、という事でよいのだろうか。
 立会後、自宅で仕事を行った後、明後日の自然観察会で調査不足になっている場所を踏査に行き、その足でアカデミアパークの現状を見に行く。東京機械製作所は現場工事事務所の工事中だった。奥に行き、久々に長石大橋近くの展望台に上がったが、企業進出が少しづつ形になってきている事を実感した。
 
 10日は公務のない土曜日なので、部屋の片づけや掃除、ネットでの調べ物や録画していた報道番組などを見てのんびりと過ごす。夕方には某情報交換会があったがすっかり飲んでしまった。
 
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2010年4月中旬の記録