30.10月下旬の活動記録
 21日は視察が午後からなので、午前中は木更津港整備の参考に博多港の商業施設や百道の海浜公園を見に行く。事前に解ってはいたことであるが政令指定都市の底力を改めて見せられたような立派な施設であった。部分的に参考にさせて貰う事しかできまいと思う。ただ、当初はウッドデッキだった部分もアスファルトに変更されている事など、維持管理の難しさは学ぶべきだろうと思う。

ベイサイドプレイス博多

ももち海浜公園マリゾン
 福岡から鳥栖に移動し、九州最大と言われる鳥栖アウトレットモールを視察しながら昼食とする。運営会社は酒々井に出店予定の三菱系のチェルシージャパンであり、デザインは佐野や御殿場と似通っていた。そして午後2時に市役所に着き行政視察を開始する。
3.佐賀県鳥栖市
 市制施行 昭和29年4月1日
 人口 67,671人(平成22年4月1日現在)
 面積 71.73km2
 平成22年度一般会計予算額 152億36百万円
 財政力指数 0.980 (平成20年度)
 視察項目 都市計画道路見直し事業について
 鳥栖市は交通の要衝という地の利をを活かし5箇所の工業団地を所有し数多くの企業が進出している。その結果、健全な財政構造を背景に東洋経済新報社発表の2010年都市ランキングで全国第4位という高い評価を得ている。しかし、都市計画決定から長期間未着手の道路は社会的な背景が変わり、見直しの必要性が出ていると判断し作業に着手した。
 具体的には30年以上未着手の路線を区間別に抽出し、事業化の見通しが無く上位計画の位置づけが明確でない物について@交通機能、A都市形成機能、B都市空間機能等の点で評価を実施した。評価に当たっては将来住民から裁判が起こされた場合に民主的な手続きを実施したことが有利に働くことを加味し、学識経験者や地域住民から構成された8名の検討懇話会を設けて議論してきた。市民組織によって検討する中で、評価の重み付けを行うために住民アンケートを実施するなど、行政では思いつかなかった効果も産んだようである。
 見直し対象の12路線36区間の内、5路線11区間を廃止し1路線1区間を計画変更する見直し計画案は決定しているが、今後住民説明会や都市計画審議会を経て都市計画変更が行われる予定という段階であり、本市がこれから見直しを行うに当たり、良い先行者に成るであろう。
 都市計画変更の研修後、鳥栖市の担当者の計らいで来年3月開業予定の九州新幹線新鳥栖駅を郊外の高台から見下ろしに行く。
 新幹線駅前広場の整備を市が事業主体になった区画整理事業で行い、駅舎の建設負担金も併せて40億円が自治体の負担であると聞いた。その一方で船小屋駅は地元負担も少ない地元道路族大物議員による政治駅という噂が流れているとも聞く。こんな事を聞けば自民党は負けるはずだと思いながら博多に帰ってきた。
 
 22日は午後2時の飛行機で帰るのであるが、午前中に歴史的建造物の保全と活用を計り観光客を集めている日田市まで研修に行った。
4.大分県日田市
 市制施行 昭和15年12月11日
 人口 72,316人(平成22年3月31日現在)
 面積 666.19km2
 平成22年度一般会計予算額 363億87百万円
 財政力指数 0.439 (平成20年度)
 視察項目 景観(町並み)整備事業について
 日田市は金山や美林を持つ天領として栄え、今でも豆田地区には歴史的建築物保全地域が広がる。その中の主要道路が県管理の国道212号線であった時には県が約10億円をかけて延長800mに渡り電線類の地中化と自然石表層舗装等を実施した。市はそれに並行する道路385mをH18〜H20の3ヶ年度で総額3億84百万円(1/3県負担)掛けて整備を終えた。その効果もあってか、昔は知る人も少なかった豆田地区に現在では大勢の観光客が訪れるようになったそうだ。
 しかし、この日は九州自動車道の太宰府〜筑紫野で大規模な工事渋滞が発生しており、現地の滞在時間が制約された。舗装の維持管理や建築協定・景観条例など聞きたいことは有ったが、現地案内の間に立ち話だけと成ったことは残念であるし、時間を割いていただいた職員に失礼な気がしながら日田を後にした。
 工事渋滞は予想より軽く済んだので福岡空港には無事到着し、16時には羽田空港に到着した。国際線新ターミナルが開業したばかりで気になっていたが、昨日は6万人の観光客で混雑していたと聞き、見学は後日に延ばすこととして大人しく木更津に帰宅し、翌日からの研修旅行の準備を行うのであった。
 
 23日は朝8時に巌根駅に集まり岩根地区区長会の研修旅行に同行する。今回の研修に当たっては東京電力竃リ更津支社の協力を得て行われている。参加者は私と高橋県議を含め25名である。
 9時半から横浜市鶴見区にある『電気の史料館』に入り電気の歴史や発電機の仕組みなどを学ぶ。電気を意味する英語の「Electricity」はギリシア語の琥珀に由来する事を始めて知った。昔は琥珀以外には静電気を溜めるものは無かったのかと考えていた。
 鶴見区を出たら渋滞する高速道路を北上し柏崎のホテルで宿泊する。
 
 24日は朝8時半にホテルを出て9時から柏崎刈羽発電所の見学を行う。最初に説明を資料館で受けた後、実際に発電所敷地内に入って見学しながら説明を受ける。テロ警戒のため、数多くのセキュリティーが用意された上、敷地内の写真撮影も禁止と成っているのは過剰なのではと思うぐらいである。高台から発電所越しに見る柏崎市街や米山の風景を残したかったが仕方ないのでセンター前の記念写真をアップする。
 見学は11時半に終了し、青海川駅を見下ろす高台のレストランで食事を取り、中越沖地震で甚大な被害を受けた『越の誉』の原酒造を見学し、帰路に着いたが赤城以降は大渋滞。北関東横断道から東北道に回ったことで早めの帰宅が出来たが、それでも夜9時を回っていた。
 
 25日は朝から溜まった仕事を片づけ、昼間には議会質問の調整で鶴岡議員と食事を取りながら打合せを行い、午後4時からいよいよHPの更新に取りかかる。視察で入手した資料やメモを参考にまとめていたら、午前3時を回ってしまった。翌日はまた寝不足であろう。
 
 26日は午前中に会派提言で私が担当する『債権管理の一元化』について取りまとめて送信し、昼から市役所に行き会計室等の聞き取りを行う。午後2時には江川の道路補修箇所を立ち会い、3時半から渡辺県議の事務所に行き諸般の打合せを済ませる。その後自宅に帰り町内の葬式に参列する。毎日のように顔を合わせていた人が若くして亡くなるのは辛く寂しいとこである。
 
 27日は昔からの友人と事前の計画通り丹沢に行く。前日も睡眠時間は4時間で、連日寝不足のため体力が出ない。天気予報は偶然、この日だけ晴れることを告げていたので喜んだが、残念ながら展望は良くなかった。天気予報が合っていたのは寒かったことであった。
 
 28日は午前中に合同庁舎に行き来月13日の矢那川清掃の届け出を行い、午後から会派室に若手5名が集まり政策提言の打合せを行う。自分の担当部分でも分かり易さのの視点が抜けている等、的確な指摘を受けることが出来、議論は大変為になると実感する。その後、財務部等で打合せを行って帰宅した。
 
 29日から岩根東西地区で文化祭が開始され、地元の岩根西公民館で行われた第25回岩根西地区文化祭開会セレモニーに出席した。その後、各種展示物などを見て回り、役員の方々と台風対策などの打合せを終えた後、一時帰宅してHPの更新を行う。午後からは岩根(東)公民館に行き、文化的な一日を過ごした。
 
 30日は台風が接近し、昼頃から雨が強くなってきた。岩根西公民館もこの夕方に予定していたビンゴ大会が翌日に延期となった。
 写真は高柳にある岩根公民館の文化祭において「至徳堂を知る会」が展示している鈴木家・岡崎家・安藤家に保存されていた坂戸神社で書かれた「巌根手力雄命(尊)」の掛け軸である。巌根村の語源と言われているものであり、文化祭を通じてこのような知識が地域に広がれば素晴らしいと思うものである。
 
 31日は台風が過ぎ去り、風も穏やかになった9時半から岩根中学校において開催される第53回岩根東地区文化祭発表会兼敬老会に水越市長・高橋県議ともに来賓として出席する。
 岩根東地区には77歳以上の高齢者が774名も居ることが市長挨拶の中で話され、改めて高齢化の進捗を実感する。
 小中学生の合唱や地域の方々の発表をしばらく聞いていたが、並行して開催されている岩根西地区芸能発表会に参加するため一旦帰宅し岩根西公民館に向かう。
 西公民館の駐車場ではジェスパルを始め、多くのテントが出され子供達で賑わっていた。中でも数多くのメニューが続き、私もお茶を経験するなど楽しませていただく。午後4時からのビンゴ大会は立錐の余地が無いほど人が集まり、大いに盛り上がって3日間の文化祭が終了し、10月も終わった。 
 
 
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2010年11月上旬の記録