48.4月下旬の活動記録
 21日は7時から近くの交通量の多い交差点に立って名前と顔を売り、9時から自転車で八幡台方面に出発する。この日は大久保、羽鳥野、請西南・東、真舟等の丘陵地の住宅街を重点的に遊説するため、昼に帰らない計画で出発した。知人の店で取った昼食はとても美味しく、午後の上り坂のスタミナに成った。この日も推薦地域を回り支持拡大をお願いし、7時前に活動終了である。
 
 22日は選挙戦最後の平日なので朝4時に目覚め、5時半から巌根駅前広場に立ち通勤客に支持をお願いする。6時半過ぎに他の候補者も来るが場所は早いもの勝ちである。木更津駅は熾烈だろうと思う。
 8時10分の上り列車を見送ってから事務所に帰り、この日は木更津駅周辺から岩根地区という地元重点で自転車を回し続ける。午後6時に事務所に帰ったら拡声器を自転車から外し、明日の準備を進めるが雨の予報が心配である。
 
 23日は7時から西山地区の旧国道脇に立ち、その後は徒歩にて西山地区・万石地区・江川地区の順に最後のお願いをしてまわる。朝から降り始めた雨に風も加わり、遊説の声を聞いても顔を出す人が少なく心細い。そして午後5時に事務所に帰り遊説活動を終了する。
 この日は午後6時から岩根小学校PTA歓送迎会が開催されるので、来賓として出席するため、他の候補より3時間も早い活動終了なのである。岩小百周年事業を行った鈴木元教頭を送る場が与えられたので選挙より優先して歓送迎会に出席したのだが、やはり来賓挨拶では選挙に触れてしまう品のない話になってしまい反省する。午後7時を過ぎた所で先に退席して事務所に戻り、事務所の片付けを済ませて選挙戦は終了である。人知は尽くしたので天命を待つのみである。
 
 24日も前夜早くに寝たので朝4時に起きてしまい、データ整理などを夜明け前に済ませ、その後は明日のHP更新解禁を目指してデータの入力を行い続けると共に、夜の開票待機の準備を行う。今回の低調な選挙戦と大震災の影響か、午後3時現在の投票率は4年前より5%程度低く推移しているのが気になる。
 午後7時半になると役員が集まり始め、開票立会に行く友人を見送り、事務所を開票準備モードに切り替える。午後8時過ぎに発表された最終的な投票率は前回比より約6%低い52.58%であった。そんな中で、前回ワースト2位だった岩根小学校学区の第16投票区は唯一の投票率増加地区となり(でも平均以下の51.03%だが)地元の投票区は全体に低下傾向が少なく、期待や手応え感を持ったまま開票報告を待つ。 
 22:00の段階で400票、22:30の段階で600票と開票が伸びず、事務所に集まった支援者の方々の間に重い空気が垂れ込め始める。自分も落選だけは無い確信があったものの票数を大幅に減らすのではと心配になる頃、23:00の発表はなく確定投票数が後ほど発表されると言う報告が届く。
 そして23:20頃、1709票だという連絡が入り、事務所は歓喜に包まれる。万歳三唱、会長挨拶、お祝い文披露、ダルマ目入れの後、皆様に議員として政策でお返しする事のお礼を述べて、缶のお茶による乾杯で祝勝会は終了した。日付は25日になっていた。
 会場から人々が帰り始めた頃、開票立会から帰ってきた知人が事務所に寄り「近藤忍さん」と書かれて無効になったのが3票は有ったと聞く。敬称を着けたら無効になる法律だが、釈然としない。他の候補でも同様の無効は有ったようだ。事務所閉鎖後、HP更新を開始したが流石に眠くなり午前3時前に就寝してしまった。
 
 25日は朝からHPの更新をしていると来客が訪れ、次々に電話が入り対応に追われる。事務所の片付けや駐車場のお礼、さらには会計報告の作成など、挨拶周りを含めて数日間は忙しい日々であるが、選挙期間中よりは気が休めるだけ幸せである。
 昼には3月議会で修正案を提出した3議員が集まり、互いに改選の慰労を行いながら今後の展開などを話し合う。市役所内部では我々の去就について、色々な噂が流れているらしい。
 午後3時には前夜遅くの呼び出し電話に従い、福祉会館に行って当選証書を受け取る。証書のカバーが大げさで、もっと質素にすればよいのにと4年前と同じ事を思った。会場で新人議員の何人かに声を掛けたが、昨日の当選がゴールだったかのように疲労感が溢れていた。4年前は自分もそうだったかな、と振り返る。
 
 26日は、選挙で借りていた拡声器、コピー機等の事務用品類の返却と事務所内の片付けに終日追われる。夕方には自家用車を入れて、元のガレージに戻ったが、ここで繰り広げられた日々が嘘のようである。
 
 27日は朝から後援会に協力していただいた方々に挨拶に回る。午後3時半には経済部に行き、セシウムの風評被害で入り込み客が激減している潮干狩りのPR対策として、千葉ロッテの本拠地であるQVCマリンフィールド(旧名マリンスタジアム)においてロッテ球団が被害支援活動の話があるという事を伝えに行き、打合せを行う。今後は潮干狩り場だけでなくホテルや飲食店の経済復活も色々と考えねばならないが、こんな時にこそ中尾彬さんのような応援団大使に頼むのも手ではないだろうか。
 
 28日は午前中にHPを更新し、昼には議会事務局に行って様々な手続きと今後の日程の打合せを行った。夕方から打合せや溜まりきった雑用の片付けで市内を忙しく回り、夜には江川消防団の夜警と規律訓練の慰労に顔を出した。
 
 29日は選挙事務を協力していただいた方々やお世話になった人々に挨拶に回り、午後から江川区の総会に役員として出席する。連休の初日であるが総会出席メンバー60名中40名の実出席が有り、地域の方々の自治意識の高さに感心する。挨拶の中で岩根や金田開発の現状などを伝えつつ、当選の感謝も行った。
 
 30日は選挙期間中に訪れていただいた遠くの親戚の元に感謝を伝えるため午前中から遠出をし、小糸や君津などを回ってきた。
 午後からは郷土博物館金のすずで開催された『太田山プロジェクト会議』の発足に市民まちづくり塾のメンバー兼市議会議員として出席する。太田山に多くの人が訪れ楽しめる場にしようという趣旨に多くの団体から17名の参加者が有った。会議後は現地を見て回ったが、今後の展開が楽しみである。
 
 
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2011年5月上旬の記録