49.5月上旬の活動記録
1日は選挙モードから気分転換を行おうと思い、県内の被災地である飯岡・佐原等の状況を見に行く。銚子連絡道路から海岸に出て九十九里ビーチラインに車を走らせる。殆ど被害も発生していない町を過ぎ、飯岡に入ると突如として破壊されたり、既に撤去されて基礎だけに成った住宅が広がり始める。周辺との高低差が無いのにここだけが被害を受けたことに、理不尽さを覚えた人々も多いだろうと推察する。
港に回ってみると簡単に分別された瓦礫の山が出来ていた。焼却場所に困っていると報道で読んだが、木更津もKCSで協力出来るのではと思う。そして港を見下ろせる飯岡刑部岬展望館に行ってみると津波の写真展が行われていた。
銚子電鉄支援の『ぬれ煎餅』を購入し、食事をしてから液状化被害を聞く佐原に移動する。立ち寄った『水の郷さわら』では風評被害に負けず野菜が飛ぶように売れており、私もホウレン草を購入する。
市街中央にある駐車場に車を停め、瓦が落ちてブルーシートを掛けている家屋が目立つ佐原の町を歩くが復興は軌道に乗っているようで「負けるな佐原!」のポスターが力強い。護岸の崩壊も写真の場所だけのように見えた。せめて経済的支援になればと日本酒やお菓子を購入して帰宅した。
2日は連休の間の平日を利用して、市内で打合せや所用を済ませ、市外に住む親戚に当選報告に行くなどして過ごし、夕方から友人と飲む。日常が段々と戻ってきたような感じがする。
3日は10時よりフォーラム未来の会派会議を浜田事務所の会議室を借りて実施する。これは3月議会の発議案提出等の行為に起因して、政策研究を離れて行いたいという私たちからのお願いで行われたもので、分派後は切磋琢磨して議会改革を行っていこうと結論が出た。また、双方ともに新名称の会派にする事を決めたので『F未来』の記載は残念ながら4年間で終わりを迎えることになった。
午後2時からは万石区の総会に出席し、地域の要望に耳を傾ける。排水や道路の整備要望などは必要なことだと思うが予算の制約も理解しているので「任せて下さい」と言えず歯がゆい思いをしてくる。消防団の所管範囲に岩根2丁目と3丁目を追加する案件も上がったが、部員募集には困っているようだ。
4日は朝から良い天気であるが、挨拶周りも一息ついたので、選挙期間中の様々な雑件を処理する。前日に森田知事が潮干狩りのPRをしていた影響を見に出ると、帰りの渋滞も起きていた。今年は個人客で関東近郊が混んでいると報道も伝えていたが、団体客である大型バスは見えなかった。
5日は今回の選挙で当選した永原市議の誘いを受けて『第4回・木更津夢ふうせん』を見に行く。子連れの若い世代が多く集まるイベントで、新興住宅地における地域の顔つなぎが出来ているとすると素晴らしいことだと思う。その後、ボサボサと指摘されていた髪を切りに行き、夕方からHPの更新作業を行なって、端午の節句は終了した。
6日は午前中にデータの取りまとめを行い、昼から報告義務がある『選挙運動費用収支報告書』を選挙管理委員会に提出するため市役所に行く。報告書の記入用紙は説明会の時に受け取っているが、欄の大きさなどが気に入らないので、Excelで作り直したりしたため手間がかかってしまったのである。その後、市役所内各所で打合せを実施し、夕方から新会派の初会合を実施する。
今回の会派再編にあたり、賛同してともに活躍してくれる議員がどの程度集まるか不安の部分も有ったが、結果として下記の7名が集結してくれたので、力強い活動を行える期待感に嬉しくなる。
No
氏名
期数
生年月日
住所
備考
1
斉藤 高根
2
昭和30年02月03日
畔戸 423
会派代表者
2
鶴岡 大治
2
昭和31年12月19日
朝日 1-2-29
3
平野 卓義
2
昭和33年06月01日
中央 3-2-6
4
宮木 康弘
1
昭和38年09月21日
真舟 5-14-6
5
近藤 忍
2
昭和39年02月17日
江川 847
会計責任者
6
永原 利浩
1
昭和39年09月10日
東太田 3-5-38
7
草刈 慎祐
1
昭和54年10月13日
幸町 3-9-12
年齢が若く期数が少ない会派なので運営の勉強をしながら先に進めて行かねばならない。この日は会派代表者と会計責任者を決め、今後の方針などを確認することが出来たが、肝心の「名は体を表す」べき名称決定は時間を掛けて検討しようと先送りになった。
7日から1泊2日で福島県いわき市に復興ボランティアを行うために車で向かう。詳細については『
最近思う事
』に記載するが、まだまだ国民の力が試されている感じであり、連休明け以降も対応を考えねばならない。津波で破壊された道の駅『よつくら港』に泳ぐ鯉のぼりのように力強くあることを願うばかりである。
9日は午前中に仕事の片付けを済ませ、昼前からHPの更新を始める。『
いわきで支援活動する
』などを書いていると昼食を取る時間が午後2時を回ってしまった。翌日の初会合前に新会派メンバーの名簿などの作成を始める。紙ではなくデータ名簿なのでメールを送るときに一々入力しなくて良いなど、新しいツールを使った会派運営を心がけていきたい。
10日は午前中に経済部で打合せを行い、11時40分より市役所屋上喫茶室で新会派のランチミーティングを実施する。新議員に本日の流れを説明する事も重要なのであるが、もっと重要なことは新会派の名称決定である。既に鶴岡議員より『羅針盤』という意見が出ていて、個人的には画数が多いし、何より我らが会派で方向を示すという態度に他会派から思われないかと危惧されたが他に代替案も無く決定した。取り敢えず不満な訳ではない事だけは記載しておく。
今月末の割り当てまでは今までの会派室を使用し続ける慣例なので、午後2時からの初会合まで部屋がない我々は同じく部屋のない田中紀子議員と供に議長応接室で待機する。その間に市のHPに載せるための写真撮影や、市役所6階を会派の新人に説明したり、他会派に挨拶周りをして過ごす。
2時からの初会合は、本年度の課長以上職員の紹介、仮議席の決定と議会選出の監査委員の選定が大きな議題である。因みに、仮議席は9番に成ったので、4年間、後頭部がケーブルテレビのカメラに収まる状況に変化がないので同期に変更を要望したが多数決で葬られた。
初会合の裏では初議会に向けた人事の駆け引きなどが進められる。若手だけとはいえ、7名という人数が同数最大会派と成った「羅針盤」として責任有る行動を執るため、会計担当兼副代表の私は、その駆け引きの前線に立っていることを実感する日々が続くのである。
→
2011年5月中旬の記録