91.7月上旬の活動記録
1日は朝8時から熊野神社境内に祭礼の役員が集まり、日程や役割の調整、備品の確認等を行った。それが終了したら着替えてアカデミアに向かう途中で寄り道し、
定点撮影
を行う。貝淵踏切が昨日開通したことを思い出し通過する。
この日は農協でも「夏のふれあいフェア」が開催されていおり、そこで木更津バカの会がイベントを行うことを齊藤高根さんから聞いていたので顔を出そうと思ったが駐車場が混雑しており諦めて先へ進み、君津中央病院では「第3回国保いきいきフェスタin木更津」が行われている事を知りながらも立ち寄ることを考えず、昨日に引き続き音楽コンクールの運営に加わる。19名による第2次予選の結果、7名が15日の本選に進むことになり、スタッフの有志で中打ち上げを行って帰宅した。
2日は朝から議会広報紙の原稿作成やHPの更新を行い、昼直前に市役所に向かう。議会広報の写真や行政視察の打合せを終了し、その後は今月末の地元神社の祭礼のため漁組や警察に行くなどする。夕方には浜田事務所で打合せを行い一日が終わった。
3日も午前中に市役所に行き、2階で展示されている「写真で見る木更津」という70周年記念事業を見て懐かしい思いに浸ってから会派室に入り、各所で打合せを済ませ午前中に退庁。午後からは海上自衛隊や八剣八幡様で打合せを行い、帰宅して明日からの準備をした。
4日は朝7時に木更津駅に集合し、羽田空港から釧路に飛ぶ。宿泊場所の全日空ホテルに到着後、目の前にあるMOOに入る。平成元年にフィッシャマンズワーフとして登場した施設だが、何故かこのビルに教育委員会が入っていた。昼食を取って施設見学を簡単に行い、待ち合わせ場所のホテルに帰る。
1.
北海道釧路市(北海道開発局釧路港湾事務所)
市制施行 平成17年10月11日(旧釧路市:大正11年8月1日)
人口 182,441人(平成24年6月1日現在)
面積 1,362.75km2
平成24年度一般会計決算額 916億円(参考)
財政力指数 0.48 (平成21年度:参考)
視察項目
『津波漂流物対策施設(津波スクリーン)』について
今回の視察先は釧路市では無く、釧路市が管理者である釧路港の建設を進める北海道開発局釧路開発建設部釧路港湾事務所である。ここは日本で最初に津波漂流物対策施設、いわゆる津波スクリーンを設置した事務所で、昨年の東日本大震災でその先見性が高く評価されている所である。ホテルに迎えに来ていただいた車に乗り、まずは現地の施設を見ながら斉藤課長の説明を聞く。
施設は船舶の流入を想定した入舟地区と、陸上からの流出だけを防止する副港地区の2箇所があった。右の写真は入舟地区で、日除けの幌は釧路市が公園的利用を目的に別途設置したものである。スマトラ地震の発生で国交省の有識者会議が平成16年度に発想された施設だが普及は少ない。
具体的な事業化のコストとして、入舟地区は138mで1.6億円(市の整備部分を除く)、副港地区では266mで800万円である。
安い方の副港地区の写真が左であるが、一見してただのガードレールである。しかし、今回の震災では車の流出を防いだそうだ。なお、関東で事業化する場合、国庫負担は55%で、管理者(木更津港の場合は千葉県)が45%を負担することになる。木更津港の想定津波高が3mだと伝えると、港湾事務所長より「幾らでも対策が立てられていいですね」と答えられた。ちなみに先日北海道が発表した十勝沖地震の津波予想値は釧路港で10mを超えており、そのような津波には避難対策しか出来ず、ハードによる防御は考えられないという事であった。
事務所での答弁を終え、港湾巡視船で釧路港内を見せていただく。午後から霧が発生し、視界の無い中でも大型の船舶が数多く係留され、港の賑わいを見ることが出来た。
港湾事務所からタクシーでホテルに帰り、自由時間を使って和商市場で「勝手どんぶり」を楽しむ市民の姿を見たり、中国映画のロケ地になる事で海外からの集客を増やした炉端焼きなどを見た。釧路の天気が良いのは秋のようで、この夜も霧が残っている中で、釧路の視察は遅くまで続いた。
5日は8:39の特急おおぞらで釧路から帯広に移動する。全ての指定席が埋まっているというアナウンスが流れ、拠点都市間の鉄道復権が進んでいるようだ。帯広に付いたら視察まで若干時間があるのでホテル近くの緑が丘公園を見に行く。
1981年に市民の協力を得て長さ400mとなる、ギネスにも乗った長いベンチを設置できる空間が公園のごく一部であり、奇麗に整備されたパークゴルフ場を始めとする公園の維持管理水準の高さに驚かされるが、今回は公園の視察ではなく、水道の料金制度に関する条例のヒアリングである。
2.
北海道帯広市
市制施行 昭和8年4月1日
人口 168,521人(平成24年6月1日現在)
面積 618.94km2
平成24年度一般会計決算額 783億45百万円
財政力指数 0.57 (平成21年度)
視察項目
『水道事業のバックアップ料金制度』について
帯広市でも井戸による水道供給業者が現れたことで水道事業の収入が減り、平成22年度に12件の地下水転換が有ったことによる収入未納額は約1.87億円と推計されていた。そこの施設にも水道を供給する義務があるため市が大口径の水道管を敷設するなどの資本投下をしているのに、それを料金で取り返せないならどうするかと考えたのが今回のバックアップ料金制度である。
他に専用水道業者と契約を行った場合は、例えば100mmの管径を引いている場合には年額687万2千円を納めることに成る条例改正を今年4月から行ったのである。この請求には強制力も罰則も無く、相手先の理解を得ねば成らない。収入未納額の全てを補うのでは無く、減価償却と金利分相当を請求するだけで、12件全てが応じても33百万円と、31.5%を充当するだけだが、12件の内、6件は支払いに応じ、1件は難航しているが協議は引き続いているようだ。条例成立後も新たに1件が専用水道に移行する気配を見せているということで、防止効果が有るという訳でもない。医療機関は半額とするとか、水道の使用料が多くなると割引をするとか、色々考えられた制度であるが、苦労している事がよく解ったし、非常に参考となった。
夕方は街の賑わい造りの成功例である「北の屋台」を見てから食事に向かい、十勝の農作物を楽しんだ後、2004年の日本JC出向で同じ委員会となった帯広のメンバーに会って、帯広市の状況や様々な出来事を夜遅くまで聞いた。
6日は正式な視察ではないが、地域開発の成功事例である池田ワイン城(町営のブドウ・ブドウ酒研究所)を他の観光客と共にガイドツアーで見て回る。つい、色々と質問をしてしまうものだから40分のツアー予定が1時間を超えてしまった。池田町はこのワイン事業で、累積20億円の収入があったようだ。
その後、北海道ガーデン街道の一つで、空港に近い「六花の森」に移動し庭園を見学する。奇麗な7箇所の庭園を選び、それを結ぶ、旭川から十勝までの街道沿いに観光客を誘致するなど、北海道の観光政策には学ばされることが多い。そして午後3時半の飛行機で帰り着いた関東は暑かった。
7日は地域の雑用を終えてからHPの更新を行っている途中でお迎えが来て、4時受付開始の渡邊県議の後援会の総会に向かう。
総会は齊藤後援会長から新たに内田さんに会長が交代された事が報告されて終了し、札幌医科大学の高田教授による福島事故での放射線の影響に関する講演が行われる。現地調査で放射線被害が発生していないという報告は、木更津で騒ぐ無意味さを理解させてくれる。
後援会終了後に懇親会が行われ、締めの挨拶を会派代表として行う栄誉を得たが『話が下手で締まらなかった』と何人かに言われ、遅くまで反省会をすることになった。
8日は3週間後に行われる地元の祭礼の会計役員として雑務を行い、午後からは地域の支援者へ挨拶に回り、お茶飲み話をしてくる。帰り道で金田で開業したベイシアに行くと大勢の人で溢れており、ますます金田の雰囲気が変わってきていることを改めて思い知った。
夕方に犬の散歩に出かけると、排水路の上を鴨の親子が遊んでいた。周囲には自然が多いなと思いながら帰宅する。何気ない日常であったが、夜遅くに親戚の訃報が届く。私より若く病で先立つ従姉妹に無常を覚えた。
9日は朝からHPの更新を行う。6月議会や視察で溜まった資料を整理しようと考えるが、なかなか進まない。午後から市役所に行き地域要望を伝え、経済部で『第65回木更津港まつり』の協賛金集めに関する打合せを終えて帰宅。夜には従姉妹の家へ行き、焼香をしてきた。
10日は自宅の仕事を終え、昼前に水道部に行き帯広の視察内容を伝えて打合せをしてくる。その後、君津で所要を済ませ、帰り道にアカデミアパークを回り、ほたる野に出る。南清小学校の工事は1階の柱を作成中だった。これから請西保育園、真舟小学校と新築物件が続く事を考えながら見学していた。
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2012年7月中旬の記録