X6.12月上旬の活動記録
 1日は議会質問に対する執行部の答弁内容やそれに対する再質問などを朝から検討し、資料を調べ、当方の趣旨を説明するメールを送信したりして午前中を過ごす。昼からHPの更新を始めたが、夕方から市内外で人と会うため走り回り、作業は滞ってしまった。
 
 2日は朝から区の役員として地域の側溝清掃に汗を流す。勾配のない地域なので畑の砂などが溜まり、排水不良を生じていたが大勢の参加を得られ、2時間程度で作業は終了した。その後、自宅で汚れた服を着替え、昨日撮り忘れた定点観測の写真を撮影するため、最初に金田に向かう。
 アウトレットの南側で東京インテリア家具とカインズの建設が進んでいる事は知っていたが、カインズモールの一角として建設が進んでいた飲食店も外観が完成し、内装工事が突貫で進められている状況だった。
 
 写真の左から回転寿司の『くら寿司』、ハンバーガーの『マクドナルド』、牛丼の『吉野家』、名古屋式喫茶店の『コメダ珈琲店』が敷地内に並んでおり、どれもデフレを象徴するような存在だと妙に感心する。
 その後、市内で写真を撮影し、浜田事務所に顔を出してから自宅に帰り、午後4時から地元の西山区の忘年会に出席する。今年最初の忘年会であるがゆっくりすることも出来ず、途中で中座し、午後6時から浜田選対木更津支部の会議に出席する。議会中であっても役割の多さに音を上げそうに成りながら帰宅した。夕食後にHPの更新を始めたが、睡魔に負け、作業は滞ってしまった。
 
 3日は午前6時に起床してHPの更新を終え、答弁の打合せのため市役所に向かう。改革の提案と現状維持の狭間で、なかなか調整が難しいことが多く、望むような方向にならないのは毎度の事であるが、それにしても今回は答弁のまとまるのが遅い。退庁後は翌日からの選挙に備え、市内をあちこちと走り回り、日が暮れた。
 
 4日は8時半に浜田事務所に行き、10時から市民会館中ホールで行われる出陣式に列席した。富津や和田浦の友人も見かけ、12区全域から大勢の人が集まる中で『政権奪回』に向けた選挙が始まった。
 中ホールから市役所に戻り質問の打合せを行い、午後からも市内で議会に向けた調整を行って帰宅。夕方からJCの望年例会に出席する。現役は全員出席の上、OBも沢山集まり、百人を越える賑やかな夜であった。
 
 5日は早朝から快晴である。市内で所要を済ませていると富士山があまりに綺麗なので出島に寄って写真を撮ってから市役所に行く。
 
 一般質問は選挙の関係で、当初日程より1日遅れて開始され、翌週の月曜日まで続くことになる。では、例によって今回も私的に印象に残った答弁を記載する。
日本共産党 佐藤多美男議員
 国政選挙が始まったためか、消費税・原発・TPP・基地など国政に関する市長の姿勢を質問していたが、木更津市及び議会のレベルではなく政党色が全面に出て街頭演説のような感じも興ざめする。
会派風紋 永原利浩議員
 認知症等で判断力を失った人に対する補助制度としての「市民後見人」制度について、講習で得てきた成果を発揮して内容の充実した答弁が行われていた。この制度の問題点等が質疑を聞く中で解り、勉強になる質問であった。
市民ネットワーク 田中紀子議員
 良く調べられた資料が配付され、論点としては面白い物であったが、逆に1時間の枠に盛り込みすぎで、テーマを搾って掘り下げたら一層充実するのにと思いながら聞いていた。それにしてもイノシシは八幡台まで来ているのかと驚くばかりである。
会派羅針盤 草刈慎祐議員
 木更津市のHPにおける広告枠が11で年間約140万円の収入があり、君津の108万円、富津の59万円、袖ケ浦の84万円は枠に余裕があるのに対し、木更津は枠が埋まっているので3枠を追加するように変更するようだ。答弁を聞きながら1人に対し12円前後で比例していると思った。
一新の会 篠崎哲也議員
 アクアラインマラソンの総括が有り、市民1500人に対するアンケートを行い、1256人の回答では84.5%が良かったと感じており、92.1%が次回も開催するべきと考えている事が報告された。木更津バルも863冊のチケットが売れたと報告があったが、そのうち4冊、約0.5%は私が買っているのだなと思いながら聞いていた。
 質議が終わって帰宅し、夜7時からさつき園と地元の会議に同席する。建築も完了し、2月の入所となる予定のようだ。色々と有るだろうが、地域との調和の方針であり安心して会合を終え、翌日の質問に向けて早めに就寝した。
 
 6日は私の一般質問の日であるが、朝6時から選挙の周知のため、数名の議員と供に巌根駅でPR活動を行う。3年前の自民逆風とは気配が明らかに違うことを実感しつつ、快速列車が通過する駅頭での活動を終え、防寒を外して市役所に登庁する。
日本共産党 鈴木秀子議員
 3つの大綱の一つとして『庁舎整備問題』を取り上げていた。議場での質問は議事録も残るし、ケーブルテレビでも放映されるから有効ではあるが、議会の初日と最終日に議員全員で行われる特別委員会の議論との兼ね合いが難しいと聞きながら思っていた。
一新の会 國吉俊夫議員
 農業の問題点について多方面からの質疑が行われた。農業委員会に関する点も多く、有休農地対策など、委員会を飛び越え、全市的に対応を考えるべき事かも知れないと思いながら聞いていた。ただ、水稲による収入や経費について知らない人が多く、米の自由化議論の前に国民の常識とすべき事であると考えている。
 昼食を挟んで私の質問時間になる。質問で使用した資料(
P1,P2)だけ取り敢えず公開するが、内容は年内にアップする予定なので議会と選挙が終わるまで、お待ちいただきたい。
公明党 岡田貴志議員
 防犯灯のLED化について、茂原市が市内の7400灯をESCO事業で交換した実例を挙げていた。これは電気料金の差により8年程度で収支が取れることより事業者は現在の電気料金相当で10年間市にリースをする事で利益を得るという、当初事業費が不用な手法である。茂原市には知恵者が居て、本市で先に実施できなかった事が残念である。
会派羅針盤 鶴岡大治議員
 経営財産として「人・物・金」と言われる中、職員という「人」は職員課に一元管理されている事に対し「物」「金」の効率的な活用が図れていないという切り口が鮮やかである。「物」としてファシリティマネジメント・「金」として「債権一元化」の質疑が行われたが、それぞれ佐倉市・船橋市を同期会で視察して成功例を見て来た物である。次は何を得てくるか、十九の会で何をするか、等と考えていた。
 議会の終了後、水道部と翌週の委員会に向けて打合せを行ったが、今後は一括法で得た権限を、地域でどの様に変えて利用するかという事も検討するべきだと思うことである。帰宅して直ぐに妹を運転手にして海上自衛隊主催の「海の音楽まつり」を聴きに行く。
 
 自衛隊の音楽隊はもちろん、総合高校の和太鼓も素晴らしく、質問の終了日に良い御祝いに成った。
 
 7日は未明の地震で目覚めるが二度寝し、ゆっくり起床して議会に向かう。会派室で前日夜に決まった選挙応援の話を終えて議場に入る。
元気力発電所 高橋てる子議員
 学校耐震化や庁舎建築に伴う巨額な支出が見込める中、現在は策定されていない長期収支の見通しを平成25年度当初予算の頃に示されるという回答があった。橋梁や下水道といったインフラの更新まで含んだ支出総額を早く知りたい物である。
新栄会 白坂英義議員
 来年3月5日に切り替えられ本市でも運用が開始される「消防共同指令センター」について、様々な観点から内容の充実した答弁が行われていた。この制度について知っているようで案外細部を知らなかったことに気付かされ、勉強になる質問であった。
新栄会 座親政彦議員
 70周年記念に策定された「きさポン」の人気は高く、港まつりのお披露目以降、11月末でに48件の使用申請が寄せられ、ピンバッチ・トートバック等の22件のキャラクターグッズが作成されているようだ。彦根の「ひこにゃん」のように何時でも逢えるキャラクターにするべきか。
会派羅針盤 齊藤高根議員
 千葉県の実施している子育て支援事業であるチーパスが取り上げられた。これは松戸や浦安で先行した事業であるが自治体(県)が音頭を取り、子育て世代に優待がされる事業者を募るものであり特段の費用は必要ない制度である。行政もアイディア次第だなと感心させられた。
公明党 渡辺厚子議員
 渡辺議員が前の議会で取り上げた問題の対応状況と今後の方針について質疑があった。内容は良く踏み込まれたものであるが『議会での質問事項の今後の展開について』という大綱のテーマには首を傾げたくなる。それぞれの項目を大綱にして行くべきであろうと、今回7回目になる学校耐震の質問を行った私は思うところである。

 ここまでで15人の質問が終了したが、まだ翌週に3人が残っている。同じ12月議会では君津市9人・富津市6人・袖ケ浦市10人が質問者なので本市の質問者数は突出している。議会を終えて帰りがけに市役所を見ると会派室以外は明かりが点っていた。多くの部署で残業が続いているのだろう。
 帰宅したと同時に地震の揺れを感じる。1年9ヶ月が経ってもM7.3の余震が発生し津波警報が出される事には脅威を感じるばかりである。
 
 8日は朝から選挙の応援メニューが沢山用意されている中、翌週の常任委員会に向けて市道認定路線の現地調査に向かう。今回は10路線が廃止され47路線が認定されという大がかりなものであるが、廃止路線は中野畑沢線の中里江川区間のバイパス部分の完成及び県道昇格に伴うもので、その整理のため旧県道と既存市道の起終点変更が17路線になる。しかし、それを除いても30路線も有るので調査も時間を要する。
 

市道1201号線

市道1202号線

市道1203号線

市道1204号線

市道1205号線

市道1206号線

市道1207号線

市道1208号線

市道1209号線

市道1210号線

市道1221号線

市道1222号線

市道1223号線

市道1224号線

市道1225号線

市道1226号線

市道1227号線

市道1228号線

市道1229号線

市道1230号線

市道1231号線

市道1232号線

市道1233号線

市道1234号線

市道1235号線

☆市道1237号線

☆市道4410号線

市道2448号線

市道7912号線

市道7913号線
 今回は市が用地取得の税金優遇措置のため、工事着工前に認定する☆印の2路線も含んでいるが、それ以外は金田の区画整理事業と民間業者の宅地開発に伴って完成された道路である。歩いて回っていると検査官の視線になり、多くの手直しすべき事項が見えて来て困る。
 金田の調査の途中でカインズモールの開業日程が掲げられていることに気がついた。既に2週間を切っている。クリスマス直前の週末はかなり混雑するのだろうと思うと共に、金田の変化が楽しみである。
 昼食を挟んだ調査を終えて帰宅し、HPの記載を始めるが完成する前に地元江川区の忘年会の時間になり、午後5時からの懇親会を終え、二次会に誘われたため夜の更新作業は出来なかった。

 
 9日は朝からHPの更新を試みるが、1週間も溜めてしまったため作業量が多く終わらず、選挙応援に出かける時間となる。
 正午に会派のメンバーが集合して午後1時半から小櫃駅前で行われる街頭演説に向かう。国体委員長として全国の応援演説に走り回っている浜田靖一候補もこの日は地元に帰っており、ここまでは君津市議団が先導して来ている。我々はここで引き継ぎ、木更津市内を先導する事になる。
 富来田エリアは篠崎市議の案内を頼み、清川や中郷、清見台等を回り長須賀の街頭演説会場に午後4時に到着したところで私だけ抜けさせてもらい、午後5時より開催される岩根西地区の学校教育支援団体であるジェスパルの『子ども若者育成・子育て支援功労者内閣府特命担当大臣表彰』授与祝賀会兼忘年会に初谷教育長・西村前教育長・高橋県議・地域の区長さん・小中学校の校長先生・PTA会長と共に出席する。
 『子ども若者育成・子育て支援功労者表彰』というものの偉さが今一よく解らないが、昨年度に総理大臣や特命担当大臣表彰を受けた団体が33だけで、授与にあたっては首相官邸に入るという、確実に名誉あるものであり、岩根西地区の住民力の高さには改めて脱帽するばかりである。
 祝賀会兼忘年会も終わり、やはり二次会に誘われたが、流石にHPの更新が滞っていることと、明日の朝が早いこともあり、後ろ髪を引かれながら帰宅し、深夜にHPの更新を終えた。
 
 10日は議会が始まる前に、朝から街頭に立って選挙の応援を行う。選挙戦も1週間を切り、各種世論調査の結果が出てきた。政権交代に向かいそうであるが、投票率が低くなりそうなことが気がかりで、最後まで投票依頼を呼びかけ続けることが肝心である。
 冷えた身体で会派室に入り、防寒着を脱いで議場に入った。
一新の会 大村富良議員
 通学路の危険個所を点検し76箇所に167の対策が立てられたが11月末で139の対応が行われた、なお横断歩道は5箇所の要望に対し3箇所で対応されたが、信号機設置は11の要望が有りながら公安委員会の対応はなかった。いたずらに信号機が増えるのも困るが、0回答も厳しい。
自民クラブ 重城正義議員
 複雑な介護保険制度について、様々な観点から内容の充実した答弁が行われた。個人的に苦手な分野で、議論の中で出てくる施設が、具体的にどの様な事を行っているかイメージが出来ず、今後も勉強をせねばならぬと思わされる質問であった。
 昼休みに外を見るとスカイツリ−が光っている。太陽の反射であろうが、木更津まで届くのかと感心し、会派室の窓から撮影する。
 
一新の会 大村富良議員
 観光振興の方向として「無花果」「栗」「海苔すき」「ジャム加工」等のように農業体験などのプログラムを増やすことで金田の客を市内に誘致する政策が示された。今月23日より始まる宝探しin木更津『キサラヅ探偵団』の評判が楽しみである。
 3人の質議が終わり大綱質疑が行われた。人事案件以外は委員会に付託される事なので、細部に関する質疑は「大綱」に相応しくないと思うのであるが、規定も明確でないため、議員の自覚に任せるしかない。
 議会終了後、議会運営委員会が開催されるので傍聴する。議題は、翌年度からのインターネット公開の方法についてであり、他市のHPをプロジェクターで見ながら議論が行われる。現在は無料で放送していただいているJ-COMが翌年度以降の有料化を申請しており、予算の都合上、全てのメディアを使用することが出来ず、インターネット中継の開始と共にケーブルテレビの放送は終了の方向となった。
 
 
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2012年12月中旬の記録