02.1月中旬の活動記録
 11日も良く晴れた朝で、西側の部屋の窓から朝焼けの北アルプスが見えるかと期待したが、山は雲に覆われ、外では風花が舞っていた。
 9:14の特急あずさ10号で立川まで行き、多摩モノレールに乗り換えて市役所に着く。昼食は本日視察対象となる市役所の食堂と考えて昼休み時間に到着したところ、国立音楽大学の生徒によるフルートのロビーコンサートが行われる所だった。食堂の質も高く、文化度の差を感じながら視察を始めた。
3.東京都立川市
 市制施行 昭和15年12月1日
 人口 174,784人(平成24年4月1日現在)
 面積 24.38km2
 平成24年度一般会計決算額 671億13百万円
 財政力指数 1.196 (平成21年度)
 視察項目@ 『市庁舎建設事業』について
 平成22年のGW明けに業務を開始した立川市役所は、その基本構想から建設までのプロセス・意匠や技術など様々な点で特筆される建築物であると、平成24年に日本建築学会作品選奨(
参考)に選ばれた。
 プロセスとしては平成15年に公募市民64人と各種団体等44人に早稲田大学の建築系教授1人からなる100人委員会(実数は109人で、他に市役所職員17人も事務局的に加わった)を設け、7つの分科会で市民構想の取りまとめを行った。翌16年には市民協議会、平成17年度には市民ワークショップサポート会議と名称を変えながらも、設計段階や業者選定の段階まで市民目線の意見が出され、内部に木材を多く使って暖かみを出すなどの反映がされたようだ。尤も市民の中から温泉施設や発電用風車など、突拍子もないの意見が出される事も有ったようだし、設計事務所も検討や修正などの手間は非常に係ったようだ(それを前提とした設計事務所が受注しているので問題にはならなかったようだ)。何れにしろ基本構想から着工まで4年、建築に2年の期間の全てが民主的に営まれていった事は高く評価されている。
 意匠・技術面としては低層大断面で吹き抜けや中庭を設け、部署の配置も市民利用を考えた明確なゾーニングとして休日解放区域と業務区域を分離し、業務区域の誘導には病院でも採用されるカラー誘導(例えば教育部は赤)を利用している。免震装置を採用しているが東日本大震災で効果を発揮したようだ。
 環境対策としては@トイレや散水に雨水利用、A熱が籠もる時期には夜間に廃棄窓を開けて換気する夜間自然換気、B屋上に60kWの太陽光発電、C夜間電力を利用して製氷して翌日の冷房に充てる氷蓄熱空調、D環境負荷を削減するとともに芸術作品を配置して公園的利用を誘発する屋上緑化、E温度の安定している地下100mまで配管して熱循環を行う地下熱利用、F天然ガス発電と廃熱の温水利用といったコージェネレーション等の様々な対策を講じている。このうち@〜Cについては評価が高いがD〜FについてはCO2の削減効果は有っても経済的効果は疑問のようだ。
 建設場所は旧庁舎から大きく移動しているが、立川米軍基地の跡地利用として決まっていたもので、中心市街地からも離れているが、そちらには土日も開庁する駅前窓口センターを設けて各種手続きを出来るようにしているし、位置的にも昭和38年に合併した旧砂川町も含めた中心となり、位置の問題は無かったようだ。また、市役所の会議室を市民団体等が利用したり緑化した屋上で周辺住民が憩うことができるように休日も業務区域以外は解放している。1階のコンビニも業務区域側のドアを閉鎖するなどの対応をしているようだ。本庁が休みでも駅前窓口が有るので問題ないようだ。
 これらの説明を受けた後、庁舎の諸施設を見せていただいた。駐車場が狭くて台数が少ない事や、大断面のため残業時や休日勤務時に一部だけの空調とする事が出来ない等の問題は有り、照明についてもLED普及前なので蛍光灯が使用されていたり空調ダクトが露出していたりと気になる点はあるが、全体としては良く考えられていると感心した。
 
 視察項目A 『駅前窓口業務』について
 研修を終えてJRの駅まで立川市の議会事務局に送って貰ったが、説明に出ていた駅前窓口の状況を見てから帰ろうと言うことになり、急遽場所を探して歩き回り、中央図書館の1階に位置する窓口サービスセンターに立ち寄る。証明書自動交付機も置かれ市民の手続きの殆どはここで完結しそうであった。
 駅前窓口にはアポも無しに訪問したので関係各位には迷惑をお掛けしたかなと思いつつ、芸術作品が街中の至る所に配置されている立川市から中央線快速に乗り、新宿から高速バスで日没後の木更津に帰った。数人で視察の復習していたら日付が変わっていた。
 
 12日になって自宅に帰り、翌朝目が覚めると会派報が自宅に届いていた。視察の荷物の片付けを済ませ、溜まっている仕事を片づけたら夕方になり、袋詰め作業の準備をしただけで終了になってしまった。
 
 
 13日は朝から消防の出初め式に出席する。晴れて風もなく出初めには最適な日であった。その後に消防年頭祝賀会に市民会館小ホールに移動すると、隣の大ホールで成人式に出席する新成人が集まり始めていた。教育民生常任委員はそちらにも出席するが、私は晴れ着を脇目に帰宅する。
 午後2時から市内で住民の要望を聞き、午後6時からは地元消防団の新年会に区の役員として出席する。その後、役員だけの懇親会にも参加したので帰ってHPの更新を行う余力はなかった。
 
 14日は目覚めると冷たい雨が降っている。部屋に暖房を入れ、黙々と袋詰め作業を行っていると大粒の雪に変わり、ニュースも大雪で関東各地に被害が出て、交通網も乱れていることを伝える。夜の会議に欠席の電話が次々によせられる。
 夕方に金田まで買い物に行くがお客も少なく、夜7時に街中に出ても午前1時のように静かであった。今年の市民まちづくり塾による自然観察会の打合せがテーマであったが、海側に住む6名だけが集まり、内陸部のメンバーは全て欠席となる会議となった。
 
 15日は農業委員会委員として岩根地区の有休農地調査を行う。同じ日に予定していた清川班は一面の雪景色で中止になったと聞くが、海岸沿いには雪はない。それでも風は冷たく、厚着しても鼻水が流れるような厳しさの中で作業を進め、午前中で片づけた。
 昼から袋詰めを2時間ほど行った後、市役所で打合せを済ませ、夕方からは岩根地区区長会の新年会に出席した。2次会へのお誘いがあったものの、袋詰め作業のために帰宅させていただいた。
 
 16日は袋詰めや宛名シール貼り作業を行った後、郵便局に翌日持ち込みの打合せに行き、市内で所用を済ませてから帰宅し、深夜遅くまで後援会報の発送準備作業を行った。
 
 17日は視察報告書の作成とHPの更新作業を並行して進め、昼から郵便局に荷物を届けた後、市役所各所で打合せを行い帰宅。夜は連日の内職に付き合っていただいた家族に食事を提供するために外食した。
 
 18日は午前中にHPの更新を済ませ、午後からはかずさ四市議長会が主催する勉強会に出席する。清和大学の小林准教授による「憲法に地方議会をからめて」と題するもので、憲法は地方議会に何の権限を与えているか等を憲法学者の視点で解説する研修である。アカデミックな知識も必要だろう。
 研修終了後、議員会の新年総会になる。そこで聞くところによると、この日は市役所に脅迫まがいの電話が入り、警察が配備されていたようだ。幸い、大事には成らなかったが年始早々に物騒な話である。
 
 19日はこの週の袋詰め作業で運動不足になっていた身体を動かすために、鋸山へ登りに行く。当初は車力道から展望台という恒例のコースで考えていたのであるが、新しいゴンドラが入ったニュースを思い出し、ロープウエィの山麓駅から山頂駅へ登る計画に変更する。山
頂駅に着いたらロープウエィの駐車場を無料で利用しているのが申し訳なくなり、久しぶりに日本寺の大仏を見たくなり拝観料を払う。そうなると百尺観音から金谷の街に降り、ぐるっと1周して車に帰り、この日の運動を植えた。ただ身体を動かした分、梅乃家でラーメンを食べてしまったのでダイエットには成らなかっただろう。
 
 20日は午前中から地元を所要で走り回り、午後からは江川区の各種ボランティア慰労会に出席する。暦は大寒であったが昼は穏やかに晴れ暖かな日差しだった。しかし、日が暮れるとやはり冷え込み、日陰の氷は一日溶けることはなかった。
 
 
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2013年1月下旬の記録