30.10月下旬の活動記録
 21日は早朝に仕事を片付けて市役所に向かい、都市整備部で台風26号のインフラに与えた具体的な被害情報を聞き、その後11時半より会派室で昼食を取りながら会派報発行に向けて会派会議を実施する。午後2時前からは12月議会の初日の会議の準備として庁舎整備特別委員会の正副委員長会議を行い執行部と調整を行う。午後3時からは第2庁舎に移動して農業委員会の総会に出席する。議案数は多くなかったのだが、いくつかの議案について議論が戦わされ、修正のうえで通過した議案も出されるなど2時間近い議論が行われた。その後は経済部所管のインフラ被害状況や対応する人材不足を聞くなどして市役所を退出する。
 午後6時半から君津市で新日鐵住金かずさマジックが『第39回日本選手権大会』に出場する事に対する壮行・激例会が開催されるので市役所から直行する。会場で知人から初戦の応援に行くか問われたが、28日は農業委員会の研修旅行中で欠席と答える。行事が多い1日を終えて自宅に帰り、メール等の処理を行った。
 
 22日は午前中に個人的な仕事を片付け、昼食後に台風被害情報の現地確認を行うため、作業着で馬来田地区等を回る。中には大規模な対策が必要になる所もあり、通常業務を消費税が値上がりする翌年度に持ち越させない事を考えると、業務支援としてコンサルタントの技師を年度末まで委託すべきではないかと考えながら帰宅した。
 
 23日は午前中にHPの更新を行い、午後から市役所に行って台風の事後処理等の話をした後は自宅に帰り、事務所で個人的な仕事に没頭した。
 
 24日は市内や君津で所要を済ませ、午後から市役所に行き都市整備部や総務部等と打ち合わせを行う。台風27号が接近してきており、市役所にも緊張感が満ちていた。夕方は地域の相談に乗るなど台風対応が続いた。
 
 25日は、本来であれば岩根西公民館の文化祭が開催される日であったが、台風27号による避難所になる可能性があるため、実行委員会で2日前に中止が決定されていた。公民館に様子を見に行くと、今夜は避難所を開設する覚悟で出勤していた。職員は各持ち場で頑張っていると感じた。26号で公民館に避難した方々に対する毛布や食料の件の心配事など、長期避難となった場合の問題も考えなければなるまい。
 午後からは農業委員会のブロック研修会があるのだが、同時に農協の理事会も開催される日程と成ったので、理事会への出席を優先させていただき、午後5時まで農協の会議室で過ごした。報告事項の一つに教育資金贈与口座を今月から開設した事があったが、法律を運用するために金融機関の事務量がこのように増えるのかと驚くような考えさせられる話もあった。
 
 26日は台風27号の影響を心配していたが、午前9時に時間8mmの降雨が最大で、24時間累計雨量も51.5mmと、台風26号の1/6以下で収まったため特に被害も影響も出ずに、通常の雨の土曜日となった。事務所の片付けや買い物、読書などをして過ごし、夜にHPの更新を行った。
 
 27日は、本来であれば岩根東地区の文化祭・敬老会の日であったが、台風27号の影響を考え早々に中止が決まっていた。文化祭が開催された場合はそちらに出席してから農業委員会の研修を電車で追いかける予定であったが、文化祭が無くなったので朝から同じバスで出かけることが可能となった。なお、江川海岸の漁業組合による清掃が行われる日でもあったが、そちらは欠席させていただいた。
 台風一過の快晴の元、朝7時半に市役所に集合しバスに乗車。途中の道路に渋滞も無く進み、伊東の宇佐美で蜜柑園に立ち寄り、夕方に稲取に到着する。車窓から伊豆大島の土砂災害が見れるかと思ったが、解らなかった。
 
 28日は農業委員会の研修二日目で、伊豆半島を横断して土肥から鏡のように穏やかな駿河湾を清水へ渡り、清水駅前にある『清水魚市場おさかなセンター河岸の市』(魚市場の仲卸業者が直接販売する施設)に立ち寄って新東名で帰るルートであったが、東名の集中工事で渋滞が生じ、木更津に帰ったのは夜7時を回っていた。
 
 29日は基地対策特別委員会の視察のため朝7時50分に木更津駅に集合し、羽田から飛行機で長崎に飛び佐世保市へ入る。農業委員会の研修から帰って12時間も自宅に居ないのはハード日程で疲れる。
1.長崎県佐世保市
 市制施行 明治35年4月1日
 人口 261,775人(平成25年3月31日現在)
 面積 426.58km2
 平成25年度一般会計予算額 1128億4023万5千円
 財政力指数 0.50 (平成24年度)
 視察項目 基地と行政の関わりについて
 佐世保市は約3千人の軍人と約406haの陸地面積を占める米軍基地と5千人弱の隊員で約108haの面積の海上自衛隊、約1千人の隊員で約170haの面積の陸上自衛隊が存在する他、佐世保港内の80.5%となる約2731haの水域に制限をかけられている基地の街である。
 全国に基地の存在する自治体は数多くあり、それらの自治体で全国市議会議長会基地協議会を結成している。木更津市は陸海空の3軍が揃う稀有な街であることもあり今回も参加した清水議員が4年前に議長であったときに副会長を務めた。その時の会長が佐世保市議会議長という関係でもある。
 米軍基地の施設のうち、前畑弾薬庫の移設など6項目の返還による市民及び企業と基地の「共存・共生」を目指しており、行政機能も平成元年に企画調整部の一部局であった基地対策課を、全庁的な取り組みとして主体的かつ積極的に対応できる組織として平成20年度より『基地政策局』とした。現職員は6名で、前には防衛省九州防衛局の職員OBも受け入れ、連絡調整や補助金申請に活用していたようだが現在は全て本来の職員で構成されている。
 市議会にも木更津と同様に基地対策特別委員会があり、議会としても九州防衛局や防衛省に対し年に1度の要望活動を行っているという事である。それが功を奏したか、約8億円弱の基地交付金のほかに防衛補助金として今年度は約12億円を享受しているようである。その一方で前畑弾薬庫の移設先になる針生地区の経済対策事業として市の単独費で補助を実施するなど総合的な取り組みが行われていた。
 室内での説明を聞き、質疑を終えた後で、市内の日米安保対象施設の事例として佐世保重工業のドックを見に行く。目隠しなどの無い想像外に開放的な雰囲気に拍子抜けするが、港湾の重要な部分の多くを米軍に押さえられている実態は理解できた。
 この夜は、木更津市でも補助金確保のため北関東防衛局との人事交流の必要性や、議会としての陳情活動の活性化などを議論した。
 
 30日は佐世保市と海軍の歴史を認識するため海上自衛隊佐世保史料館を見学した後、佐世保港を上から見下ろすために車で弓張岳に登る。前日の資料のように港の主要部分が基地に覆われている事が一望である。それにしても平地の少ない街だと思いながら佐世保を後にして大村市の長崎空港に向かう。
 午後の飛行機で夕方に羽田空港に着いたら特別委員会の視察団と離れ、大学の研究室が一緒で札幌から出てきた友と落ち合う。本当は東京勤務の数名が加わる予定だったのだったのだが都庁に勤務している1名を除き、広島や海外へ出張等が入って、九州帰りの私と3人で飲む事になった。みんな忙しいなぁと考えながら東京のホテルに泊まった。
 
 31日は東京ビッグサイトで開催されている「インフラ検査・維持管理展」と「国土強靭化推進セミナー」に参加する。午前中に赤澤亮正前国土交通省政務官と藤井聡京都大学大学院教授の講演を聞き、2時間程度、企業のブースを見て回って午後に首都高の大規模更新の提言を聞く。
 藤井教授の単なる公共事業の拡大ではなく、起こしては成らない45の自体を想定して、対応する12の分野が何をすべきか特定(覚醒)することが強靭化である、という意見に同意し、自治体レベルでも考えるべき問題だと考えさせられた。しかし、流石に視察研修が続き、夕方には疲れが出てしまい、帰宅して直ぐに寝てしまった。
 
 
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2013年11月上旬の記録