45.3月下旬の活動記録
21日には前日と打って変わって良い天気である。早朝から自転車で木更津駅に行き、通行人に選挙のお願いをしてから選挙事務所に着き、午前中に羽鳥野で行われる街頭演説を見に行く。
「みなのば」ではフリーマーケットが開催されており、家族連れで賑わっていた。良い街になってきたなと、自分の参加した区画整理を懐かしく思い出しながら田中市議の応援演説などを聞いていた。
午後からは『スクラム宣言』の幟をたなびかせた自転車隊を編成し、隊長として駅の西口や清見台などを走り回る。清見台の上り坂に多くの隊員が音を上げていた。アクアラインマラソンでは37km以上走った後に迎える心臓破り坂なのだから笑顔で進め!、と鼓舞していたが脱落者続出となり、北風も強く吹き荒れ、日没で活動終了となった。その後は事務所で最終日の確認を行ってから帰宅した。
22日は選挙最終日である。朝6時から街頭で選挙のお願いをし、午前中は『チーム木更津』の車両で地元の岩根や金田地区で最後のお願いをして回る。午後は街頭演説の司会を行うなど、各地の設営や応援に走り回る。岩根でも大勢集まっていただいたが、長須賀の農協本店ではさらに多くの方が集まって激励の言葉も頂いた。このまま明日の投票日を迎えられる事を願うばかりである。
最後の木更津駅西口の街頭演説で拡声器を使用した選挙は終了し、後は個々人が知人に投票へ行くことを誘い掛け合うだけとなった。
23日は良く晴れた日曜日の投票日である。相手候補より、右翼の街宣車や怪文書といった政策論の通じない相手との戦いなので、日曜日にも何か起きるのではと心配が続く。それでも知人の何人かには投票に行ったか確認した後、選挙事務所に置いていた自転車を取りに行き、自らは夕方遅くに投票所に行く。右翼や怪文書の影響か、投票率が低い。
午後9時に開票状況を伝える会場に行き、市民体育館から届く開票結果を待つ。期日前を含み投票率は41.94%であった。最初の22時現在で双方が14000で並び、緊張感が会場に走るが、暫くして当選の情報が入り、拍手が鳴り響く。我々も運動の成果が実った瞬間である。なお結果は下記の通りである。
候補者氏名
得票数
得票率
石川のりひさ
20,818
47.03%
渡辺よしくに
22,726
51.34%
白紙・無効票
718
1.62%
自民党・公明党・連合の推薦が集まり、市議会議員の大多数が応援したにも係わらず、予想以上に差が付かなかった。「大差で勝つと慢心するから良い程度では」と言われる方も有ったが、手放しで喜べる勝利ではない。今後は行政運営の内容で市民に理解を得ていく事が重要だと改めて認識すること頃であり、議会としてもマニフェストが確実に実行できているかをチェックする役割を果たさねば成るまい。
24日は選挙で滞っていた仕事と、選挙の後始末に追われる中、HPも更新する。午後から市内で所用を済ませ、夕方に着替えて電車で君津まで行き新日鐵住金かずさマジックを応援する「かずさ市民応援団」の総会と
懇親会
に出席する。昨年の日本選手権優勝チームとしての華やかさも有るが、今年はまた気を引き締めなおして良い成績を期待したい。記念にタオルを購入して帰宅した。
25日は天気が良いが、心と頭の休暇を取りたいと思い、撮り貯めていた番組を見たり、小説を読んで終日過ごす。日溜まりの中で森見登美彦の作品を読むのはとても贅沢な時間である。
26日より『よくわかる市町村財政分析』と題してNPO法人多摩自治研究所の大和田一紘理事長による研修会に出席する。これは一期生が主催したもので、私と鶴岡・高橋・佐藤の4名が参加させていただいたもので、政府が自治体の財政健全化の指標としている数値やその他の項目の意味を理解するものである。
多くの自治体へ出向き様々な検討を行っている講師の話は財政に留まらず、都市運営の様々な視点で参考になり、夜の講師を交えた親睦会も勉強になった。
27日も朝9時から研修会であるが10時に中座して委員会室に移動し、庁舎整備特別委員会の副委員長として三上委員長とともに債務負担行為の取り消しの専決処分についての説明を受ける。さらに11時からは長須賀のさつき園に移動し評議員会に出席する。午後から市役所に戻り夕方まで財政研修を受け、その後は君津に行って明後日の高校同窓会の最終打合せを行って帰宅した。HPの更新に取りかかるものの眠さで中断する。
28日は朝のうちにHPを更新し、それから農協本店に行き理事会や総代会に出席する。臨時理事会の開始が11時半で、総代会をはさみ通常理事会が終了したのが17時少し前だったから、長時間の会議であった。
理事会終了とともに急いで農協から市役所に向かい、この日で退庁する水越市長のお見送りを行う。同僚議員も大多数が参列している中、高校の同級生でもある滝口議長から心のこもった贈る言葉が述べられた。
水越市長の挨拶は時折言葉に詰まって聞こえた。昭和33年に水道部の職員として採用されて以来、企画部長や総務部長の要職を経て、定年後は収入役や助役を務め、さらに須田前市長の辞任を受けて市長となり、通算56年間もの間通い詰めた市役所を後にする姿は寂しくもあり、やりきった満足感が溢れるようにも見えた。本当に有難うございました。
29日は午前中に個人的な仕事を片付け、昼から自転車に乗り岩根4丁目で開催されている第10回桜祭りを見に行き地区の役員さんとお話をする。舞台では進行の最後になるプロ歌手が歌っており、素晴らしい歌声に聞きほれてから会の最後に少し挨拶させていただいた。
そのまま巖根駅まで走り、市営駐輪場に自転車を停めてJRで君津駅に移動し、ホテル千成で開催する君津高校第9期生同窓会の準備作業に入る。多くの幹事がそれぞれの持ち場で能力を発揮し、恩師5人を含む総勢107人の同窓会が午後5時から開始された。
午後8時を過ぎて近くの店を借り切った2次会に移動したが、そちらにも76人が参加してもらうなど盛り上がった。個人的には3次会で程よく酒が回り、岩根の友人とともに深夜にタクシーで帰宅した。
30日は午前中に祭礼資料の整理を行い、午後から熊野神社役員引継ぎの会議に出席する。15日に行った町内の集まりで、来年度も祭礼役員を続けることは決めていたが、少し計算がずれて祭礼委員長に成ってしまった。帰宅後は天気が回復してきたので、昨日駐輪場に残してきた自転車の回収に向かった。
31日は渡邊新市長の登庁の日である。朝7時半に自宅を出て、急に花が開いた桜も冴える快晴の市役所に到着する。右翼対策の物々しい警備状況では有るが皆の顔は笑顔である。歓迎場所では青年部が作成した横断幕を持ちながら市長を出迎え、新時代の開始を実感した。
その後は市役所内で打合せを行ったり、この日に退職を迎える人達に別れの挨拶を話して回り、昼には金田の「わくわく市場」に移動し、この日限りで営業を終える最後の姿を見る。
既に多くの店が閉めていたが、食堂や一部の売店は営業しており、平日なのにガイドの情報などで訪ねてきた観光客も時折見えた。アクアラインを渡って木更津らしさを感じるならあそこに行けばよい、という解りやすい集積された場所を作ることや、新しいバスターミナルでの売店機能に期待する。
帰宅して書類を片付け、HPの更新などを済ませ、平成25年度が静かに終わった。
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2014年4月上旬の記録