57.7月下旬の活動記録
 21日は旅の間の雑務を片づけた後、11時より「第85回都市対抗野球本大会」に新日鐵住金かずさマジックを応援に行く。
 会場で
かずさFMの石村社長に出合い放送ブースを見学させて貰う。試合を生放送で伝える準備は万端である。東京ドームにはかずさ四市より多くの市民が集まり、対戦する三重県四日市の永和商事ウイングの4倍は居ると思われる大応援団の声援により4対1で快勝し、気持ちよく球場から出てくることができた。
 帰宅後は滞ったHPの更新を行うつもりだったが旅の荷物の片付けや雑用に追われ、結局作業が出来ずに床についてしまった。
 
 22日は溜まった私的な仕事を片づけてから市役所に行き、副議長として書類決済を行った後、11時半より翌週の視察や9月議会の代表質問の項目や決算審査等の役割分担について会派会議を行う。その後市内で所用を済ませ、3時から広報委員会を傍聴し「音の議会便り」をHPにアップする方法を確認する。夕方は祭礼に関しお願いに回り、夜から祭礼のお囃子の練習に立ち会い、帰宅して高校野球の千葉県大会の結果を見たら、母校の君津高校は29年ぶりのベスト16で夏を終えていた。残念ではあるが健闘に感謝したいと思った。
 
 23日は午前中に仕事を片づけ、HPを更新してから市役所に向かう。副議長としての事務処理を終えたら会派室で調べ物を済ませ、庁舎内で各種の打合せを行い帰宅する。夜からはお囃子の練習に立ち会っていたが、祭礼の今後について役員より数多くの問題提起が成された。私も新旧住民が混在する中で、旧の住民だけによる祭礼は考える時期に来ているのではないかと考えを述べた。
 
 24日は岩根西まちづくり協議会子供育成特別委員会の主催による陸上自衛隊木更津基地見学に同行する。いつも学校から見えるヘリコプターがどのような構造になっているか、どんな活動をしているかを知り事は78年に渡り基地と歩んできた地域の子供として意味のあることだろう私も考える。
 自衛隊の概要と木更津基地についての講演とヘリコプター機体の説明を聞いた後は、基地の食堂で被災者にも配られたことのある携帯食をいただく。大きな袋ごと暖めているだけなのに最近のレトルト食の美味さには感心する。最後に売店でフリータイムに成ったが珍しいものに大人も子供も夢中だった。
 午後2時半に解散となったので市役所に行って事務処理を行った後、まちづくり協議会スタッフの反省会に参加し、その後は祭礼のお囃子の練習に立ち会った。
 
 25日は都市対抗野球の応援で東京ドームに行く。前回は海の日の試合であったので議員や職員、木更津商工会議所など多くの参加者が居たのでバスで行くことが出来たが、今回はJRである。水道橋駅を出て真夏の東京の暑さを実感しながら9時半に東京ドームに入る。
 今回は平日なので前回より参加者が少なく、対戦相手も地元の東京ガスなので応援の人数は拮抗していた。試合は2点先行していたが8回裏に追いつかれ、9回裏にサヨナラで負けるという後味の悪い結果になった。日本通運からの補強3選手が活躍していただけに残念であるが検討に感謝したい。
 快速列車で木更津駅に戻り、市役所で事務処理を行ってから市内各所で祭礼に向けた買い物や調整を行って帰宅。夜には江川熊野神社に行き、最後のお囃子の練習に立ち会った。
 
 26日は朝6時前から役員総出で祭礼に向けて各種の準備を行う。午前8時を回ると危険なほどの熱さであり、明日の祭礼もこのような気温の中で行われるのかと考えると熱中症対策が頭をよぎる。竹飾りや注連縄の交換などを終えて11時前に解散する。
 不足している飲み物等を買出し、午後から自宅事務所で今年最初の冷房を入れてHPの更新や事務処理を行い、日差しが弱まるのを待って岩根四丁目ふるさと祭の前夜祭に顔を出し、地域のつながりを強める祭りが防災防犯に役に立ち、市民力を高めていると、尊敬の念を話す。
 氏子が中心になって祭りを行う私の地域の形式は従来の絆を高めることにはなるが、新たな住人には敷居が高くなってしまう。このように町内全体が参加し、飲食も各組が責任を持って対応し、儲けを出さない程度の有料で提供するスタイルで多数の参加を促す方法とは比較すると考える点が多いと思いながら帰宅した。
 
 27日は祭礼の当日で、朝5時に起床して準備を行い前夜の風が心配な神社に行くと所々に破損が目に入る。倉庫から脚立を出して修正を行い、6時半を回った所で獅子を車に積み込み役員5人で八剱八幡神社に行き、獅子頭のお払いを受け、神社に戻り8時から祭礼を始める。
 今回の祭礼委員長は私なので、朝の雲や風は熱中症リスクを下げるために有り難いと思っていたが、そのうちに強い日差しが降り始める。水分を確実に取り、早めに終了させることが重要と思い祭事を進める。江川日枝神社にも顔を出すなどしながらも昼前に社に戻り、後片付けも午後2時前に終わらせた。
 帰宅して水風呂に入り、午後の爽やかな風の中で昼寝をし、目覚めた後は視察の準備やHPの更新でもと考えたが、結局翌日送りとしてしまった。
 
 28日は朝のラジオ体操で昨日の祭礼のお礼などを伝え、午前中は視察の荷造りやHPの更新を行い、午後から市役所に行く。
 議長室で書類の決裁を行い、会派室で調べ物をしていると廊下からJCの後輩が呼びかける。聞けば市役所内で『
かずさ天才こども塾』のディスカッションを行い、間もなく発表が行われるので都合がつけば見て欲しいというので、除きに行った。アクアライン高架下に描く未来のイメージが話し合われていた。
 帰宅後に荷造りを行う間もなく、夕方から飲み会が入り、視察出発の9時間前に自宅に帰ってくる有様であった。
 
 29日より会派の視察に出かける。朝8時に木更津駅に集合し、特急と新幹線を乗り継いで盛岡に着き、そこから在来線で少し戻ったところに有るJR紫波中央駅で下車し、混雑する蕎麦屋で昼食をとった後、町役場ではなく、建設中の庁舎に近い「オガールプラザ」の交流センターで職員から話を聞く。
1.岩手県紫波町
 人口 33,830人(平成26年3月31日現在)
 面積 239.03km2
 平成26年度一般会計予算額 123億227万円
 財政力指数 0.40 (平成24年度)
 視察項目 PFI事業による火葬場と庁舎の整備について
 木更津市の庁舎建替えの事業手法はPFIで行うことを前提として進められ、結果として建設価格の著しい上昇のために東京オリンピック終了まで先送りされることになったが、そこに至るまでの検討の中で、今回の視察先の紫波町は全国で唯一のPFI事業で庁舎整備を行っている自治体として私には気になる存在であった。また、既存の日詰と古舘という東北本線の2つの駅の間に地域住民が新駅設置費用を集めてJR紫波中央駅を平成10年に開業するとか、東洋大学の根本教授の指導の元で官民連携を進めているとか、住民力を活用して街づくりを進めている自治体としても気になっていた所である。しかし新庁舎を含む新市街地建設計画のオガールプロジェクトの重要性にまでは気がつかなかった。
 紫波町では最初のPFI事業として合併浄化槽の設置事業を行い、ついで火葬場の建替え事業として平成19年に12月に着手した「紫波斎苑かたくりの丘」、さらに平成24年9月に新庁舎をPFI事業によって進めており、官民連携が進められている。まずは会議室でそれらの事業内容をヒアリングする。
 火葬場は建設と維持管理がPFI事業者の責務で、運営については別の業者に再委託をしているという事が予想外であった。理由は建替えとともに住民負担を4千円から1万円に値上げしたことや年間350件程度の焼却という業務量で、安定した経営で運営が出来るか心配したためとの事であった。同様に事業内容に葬祭場への拡大も検討されたが民間業者や寺院への影響を考え取りやめたそうだ。また周辺自治体に共同化を打診したがそれぞれの建設年度が異なることから足並みが揃わず単独での実施になったようだ。PFI事業には炉のメーカーを中心に地元の建設業者で構成された2Grが応札した結果、その財政削減効果(VFM)は22.8%に達し、10億円必要な事業が8億円で成し遂げられている。ちなみに施設の規模は延べ床面積1,085uのRC造・木造併用平屋建築で火葬炉2基と動物炉1基が有り、敷地面積12,377uの中に154台分の駐車場が配置されている。建設用地は4箇所の候補が有ったが反対の声も多く、結局、借地であった元の寺の敷地の隣に用地を求めて建てられる事に成った。なお、動物炉は年間110件ほど使用され、料金は町民より高い15,000円という事であった。この料金は盛岡等の民間施設との比較で決定されたようだ。
 庁舎は建設・維持管理・清掃・保安・電話交換といった業務をまとめてPFI事業として応札し、町内の建設業者を中心に構成された特定目的会社1Grのみの応札で平成24年9月に約31億円で契約が議決され、VFMは6.7%に過ぎず、さらに平成25年12月には追加工事と物価上昇のために契約額を約4億円増加する議案が可決されている。岩手県の人材や資材の不足を考えると上昇額が低く抑えられているように思うが、地元企業なので経営努力が行われているのだろう。庁舎部分の施設規模は延べ床面積6,650uのRC4階・木造3階の連続建築で木造部分が床面積の66.84%を占めるように地元産の木材を多用している。他に車庫と駐輪所の建物があり、132台分の駐車場も設けられる。庁舎はオガールプロジェクトの一部を成しており、デザインも他の商業施設や図書館等と基本的なコンセプトを共有している。なお、火葬場ではPFI事業のアドバイザリーを配置しなかったが、庁舎では業務が複雑になるため大手コンサルタントと契約を結んだ。偶然にも木更津と同じ業者であった。建築工事は平成25年10月に着工され、平成26年度中の完成を目指して現在工事中であり、説明と質疑応答の後、早速歩いて見学に出掛けた。
 
 集成材の発達により木造での大規模建築が可能になっているが、庁舎にはふんだんに木材が使われ完成後にも見に来たくなる建物であった。なお、暖房はエネルギーセンターからこの地域一円に供給され、その熱源は地元の木材であるという説明には驚かされた。
 この視察項目には入っていないがオガールプロジェクトとは町有地を含むJR紫波中央駅前の都市開発で、民間資金を基にしたPPPにより営まれ、例えば図書館や交流センターが入る建物は町の土地に民間が建築したビルで、公共部分を町が買い戻しているようだ。このように民間活力を引き出している立役者は国土交通省の官僚を辞めて家業の建設会社に戻ってきた岡崎正信氏と、それを理解して支えた藤原孝前町長によるものである。感動の話であるが詳しくは
こちらを参照
 庁舎見学の後に車で火葬場まで送ってもらい施設を見学する。動物炉と火葬炉の導線は完全に区分されており不快感は出ないだろうと思った。煙突も無く一見しただけでは火葬場とは解らない施設でもあった。見学後、JR紫波中央駅まで送ってもらい、盛岡に移動して駅前ホテルに泊まった。
 
 30日は朝6時に起床して早朝の盛岡城まで散歩し、軽く汗を流してから視察を再開する。朝8時に迎えに来たジャンボタクシーに乗り一路宮古へ向かう。道路も快適に流れ、視察場所の田老まで余裕が出来たので近くの浄土浜を見に行く。震災で13.2mの津波に襲われたとは思えないほど美しく澄んだ海だった。
2.岩手県宮古市
 視察項目 『学ぶ防災』
 『学ぶ防災』とは宮古市観光協会が震災を語り継ぎ記録を見ることで防災意識を高めていこうと企画し、田老地区で何があったかを説明するガイドを有償(4,000円)で派遣するもので、行政事務ではないために人口や面積等の情報は省略する。
 田老地区は明治29年に1,859人が亡くなった明治三陸地震や昭和8年に911名が亡くなった三陸地震を受け、万里の長城と呼ばれる大防波堤を築いてきた。高さ10m、延長は合計で2,433mにもなる規模であったが、今回の震災の津波は平均16mという高さで、第2防波堤は完全に壊滅させられた。
 3本の堤防が交差する地点から街を見ると、これだけの大規模堤防でも防げなかった津波の勢いや、堤防があるからと安心して避難が遅れて181人が死亡・行方不明になった現状を考えると、まずは避難しろという先人の教えを改めて噛み締めざるを得ないことに気がつく。
 施設内で亡くなった方が居ないため、遺族感情も無く、震災遺跡として残すことが決まった田老観光ホテルに到着し、6階から撮影した映像を解説を受けながら聞く。テレビやパソコンで津波の映像は数多く見ているが、破壊力を強力に伝える凄い映像だった。社長さんも恐怖で瞬間の記憶が無いという事である。
 既に6万人を越える方が『学ぶ防災』のコースを受けているが、静岡や高知の方々に比べ関東の人達の危機感の無さが気になると言われる。歴史の長い八剱八幡神社に津波の記録が無いとは言え、万が一に備える事が行政に関わるものの責務であるだろう。
 田老からの移動途中に唯一津波被害を防いだ普代水門や、精神的復興に寄与した『あまちゃん』の関連施設などを見学する。八戸に到着後は『みろく横丁』という屋台村に行く。多くの客で溢れていたが店で聞くと7割は観光客との事であった。木更津の参考になる点も多そうだがそれは次回以降に。
 
 31日も朝6時に起床。街中を歩くとこの日の夕方から開催される三社祭の準備で山車が出ている。こんな大きな山車が28基も集まるのかと驚くとともに「ねぶた」と同じ県で同じ時期に行われる不幸を感じずには居られなかった。八戸城を回りホテルに帰り服装を整え、視察最終日の市役所に歩いて向かう。
3.青森県八戸市
 市制施行 昭和4年5月1日
 人口 237,927人(平成26年3月31日現在)
 面積 305.40km2
 平成26年度一般会計予算額 873億5千万円
 財政力指数 0.64 (平成24年度)
 視察項目 災害時要援護者避難支援プランについて
 八戸市では平成22年3月に手上げ方式を基本とする要支援者避難プランを作成したが、支援を必要としない健康な高齢者が申し出る一方で真に支援が必要な障害者等が手を上げないという問題を抱えていた。そこで平成26年4月に改定された災害対策基本法を受け見直しを行い、対象者の範囲を大きく絞り込み、改正前の対象者も含めた市民に郵送を行った。対象から漏れた市民が問い合わせる電話が連日続いていたようだが多くの市民は内容を理解していただいたようだ。
 改定後の特徴は障害等で要避難支援のA登録と、自力避難は出来るが行動に時間を要するので早めに情報伝達を行うB登録に分け、それぞれの登録用紙を必要な事項のみの簡素なものとして登録しやすくしたことや、手を上げない方には民生委員等が勧めて回り、同意を得ることで名簿に記載を進めた事である。
 名簿は法改正により警察に開示する事にした以外は、協定を結んだ地域団体にも情報を伝えているこという事であるが、現在のところ8団体に留まっている。また制度的には消防団にも情報を提供することになっているが、運営上は団本部のみに留めて末端消防団まで伝わることによる個人情報の漏洩を防いでいるようだ。なお、この制度の主管課は防災担当部局ではなく情報管理を含め福祉部福祉政策課が担当していた。障害者が大きな避難所に同居することのデメリットを回避するため福祉施設を福祉避難所と位置づけ市の内外で163施設と協定を結んでいる。
 八戸市では震災による物的被害は大きいものの犠牲者は1名だけで済み、当日は適切に避難誘導を行い、6mの津波が訪れる中で適切な避難が行えたようだ。震災を機に自主防災組織率が高まり市内で8割の組織率となった。またこの支援プランも名簿作りが重要なのではなく支援をするという防災意識の高まりが重要だという担当者の言葉には説得力があった。未だに着手できずにいる木更津市には批判を恐れずに始めなさいというアドバイスまでいただいた。
 研修が終わり、議場を見せてもらって市役所を出ると、三社祭の前夜祭のために市役所周辺に多くの屋台が出ていた。お祭りを見てから帰ればよいのにという街の声に後ろ髪を引かれながら八戸駅に行くと、昨年使用した大きな山車が展示してあった。その前で記念写真を撮り、東北新幹線で帰宅した。
 
 
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2014年8月上旬の記録