93.7月下旬の活動記録
22日は梅雨も明け、夏の青空が広がり強い日射しが差し込む中、午前9時から市の職員とペアを組み木更津港まつりの寄付金を集めに回り汗をかく。
午後からはHPの更新を行い、その後は市役所で視察の資料づくりや打合せを行い、帰宅後は帯状疱疹なので明日に備えて静養に務めた。
23日は東京国際展示場で開催される『第3回事前防災・減災のための国土強靭化セミナー』に出席し藤井先生等の講演を聴き、メーカー等の技術展を見てくる。講演の写真撮影が禁止され資料配付もなかったので講師がせっかく造った資料が今後に活用できないことが残念な設営だった。
24日は10時から建設経済常任委員会を傍聴し中野畑沢線の貝淵工区整備に関する要望を聞く。用地取得率や補償案件の数量や金額、想定される事業費や事業期間など、委員から執行部に対してもう少し突っ込んだ質問が欲しかったと思ったのは私が技術屋だからも知れない。
10時半から議員会主催による情報化の研修に出席する。個人的に議会のペーパレスを望んでいるためタイムリーな研修であったがタブレット使用の基礎編に留まっていた。来月6日に東京で行われる研修に参加してこの続きを聞いてくる予定である。研修は昼を大きく回って終了。慌ただしく昼食を住ませて午後1時からの火葬場先進地視察研修に望む。
南房総市に有る『安房聖苑』は平成11年度の「館山・千倉火葬場基本構想」を受け安房郡市広域市町村圏事務組合により平成24年10月より業務開始されたもので、事業期間に約13年、事業費に約21億円を要している施設である。告別室3室(暫定で6炉)、収骨室2室、待合室7室等から成る余裕があるレイアウトで、環境対策も進み写真のように煙突も見えず、冬の寒い日でも煙が見えない機能を有しているという事である。運営は指定管理制度を取り、平成27年度は年間9570万円の委託料でこの施設の炉を納めたメーカーである富士建設株式会社(本社:新潟市)に委託している。参列者が体調が悪くなったときの対応や配食導線の分離など参考になる事項が多い研修を終えて木更津に帰ってきたのが午後5時半となり、翌日の祭礼準備に向けた買い物をしながら帰宅した。
25日は朝7時前から江川熊野神社の役員で祭礼に向けた清掃や準備を行い、
その後は翌日の祭礼準備を行う近隣地区を回る。夕方に地元の前夜祭に出席する前に県内で行われているイベントを見るために高速道路にのって簡単なドライブに出かける。
山武市の田んぼアート
茂原市の七夕祭り
自宅に帰り汗にまみれた服を着替え、岩根四丁目の夏祭り前夜祭に出席する。昼間も回らせて頂いたが、設営準備や毎年開催する労力に敬意を払いながら地域の方々にご挨拶をしてきた。
26日は江川熊野神社の祭礼の日である。事前に役員で検討を行い、参加者(特に後継者)の不足や交通事情の問題のため地域内を練り歩くのは止めて、獅子頭を八剱八幡神社でお祓いして貰い、お宮を解放するだけの静かなお祭りとしたので役員だけ集合して神社に行く事になった。私は祭礼委員長として10時過ぎまで神社に残った後、同じ江川地区にある日枝神社の夏祭りに顔を出しに行く。こちらも道路の交通量が多くなったため子供御輿を練り歩く事は数年前から止めているが境内で金魚すくいなどのお祭りをしているため子供が多く集まって賑やかであった。
江川熊野神社の祭礼の内部
江川日枝神社の祭礼の外観
この日は午前中に市民まちづくり塾が太田山で講演会のイベントを行っているが祭礼に出席しているため参加が叶わず、昼に帰宅した。
午後からは農協の理事を一緒にさせていただいている江澤さんが行っているブルーベリーフェスタを見学に行った。暑い日であったが多くの人々が集まり、ブルーベリー狩りはもちろん、ピザ作りや流し素麺を楽しんでいた。私も松本佳奈さんの歌を満喫して帰宅した。
27日は私的な仕事を片づけた後に病院に行って診察して貰うと帯状疱疹は回復に向かっており問題ないとの判断を受けて安心し、明日からの出張準備を住ませる。午後からHPの更新を行った後に市役所に行き週末に地域で聞いてきた問題点の状況を聞き対策を訪ね、夕方まで市役所の会派室で翌日の勉強をしたり執務をする。
28日から会派の視察である。新メンバーになって初の視察は北陸方面である。自由民主クラブも同方面に視察なので、朝7時に木更津駅東口高速バス停に9人が集合し、能登空港までは同じ行程である。能登空港には9:55に到着して行動が別れ、我が会派は迎えに来たジャンボタクシーに乗って最初の視察先である輪島市役所に向かった。移動は少し遠回りをして、塩田や世界農業遺産に指定された能登の棚田の風景を見てから整備された街並みを事前に視察しておく。
珠洲市の塩田
輪島市の千枚田
整備された輪島の朝市通り
朝市通りの永井豪記念館
お昼は廃線となった輪島駅の跡地に建った道の駅輪島「ふらっと訪夢」に有る金沢カレーの店で軽く済ませ、市役所に着くと朝の連続テレビ小説「まれ」がホールで流されていた。応援ボードを見ながら午後1時までテレビを見てから部屋へ移動し、本日の視察に入る。
1.
石川県輪島市
市制施行 平成18年2月1日(旧輪島市は昭和29年3月31日)
人口 28,989人(平成27年4月1日現在の住民基本台帳登録数)
面積 426.40km2
平成27年度一般会計予算額 202億円
財政力指数 0.23 (平成25年度)
視察項目
回遊性と賑わいのある街づくりについて
輪島市は平成13年にのと鉄道の穴水〜輪島間が廃止された。北陸新幹線の開業までに観光客を積極的に受け入れるための整備が政策として求められ、様々な事業を進めてきた。旧駅舎と駅前広場は道の駅として整備し、駅から街中を結ぶ県道や朝市通り、海岸埋立によるマリンタウン等を整備し、 これらにより「里山里海」を中心とした更なる観光客の誘致、回遊を目指した施策を進めている。
駅と市街を結ぶ都市計画道路河井町横地線は輪島・都市ルネッサンス石川都心軸整備事業として位置付けられ企画段階から住民参加によるまちなみ整備を目指し「輪島・都市ルネッサンスまちづくり協議会」を立ち上げ、洋風でも和風でもない「輪風」(輪島風)な景観を作り上げている。両側に有る50cmの側溝を加えて8mであった幅の道を両側に3.5mの歩行者空間を確保した16mまで拡幅し、無電柱化した道は舗装材にも地元のアワビの殻を入れるなど細部に拘る整備を行っていた。なお、3.5mのうち1mは民地がセットバックした民地で、舗装は県が管理し固定資産税は減免されている。購入としなかったのは建て替えの際に建坪率の緩和が出来るためであり、現地では道路端から官民協会まで庇がはみ出しており、簡易なアーケードのようで雪除けにも成るだろうと思わされた。
綺麗な街並みは緩やかな「輪風まちづくり協定」によって成り立っており、セットバック以外の遵守項目が「こころの調和」としている点は爽快である。月に一度はまちづくり協議会を開催し、地域でまちなみの美化を目指している点は感心されるし、木更津のように駐車場の空き地も無かった。
素晴らしい事業とは思うが、530mの延長の道路を整備する事に対して平成8年から21年まで14年の歳月と68億円の事業費を投じている事には別の意味で驚かれた。県の事業で国費による助成が1/2ほど有るが、市が県に対して負担した額も全体の1/4である17億円を投じている。これ以外に朝市通りの整備もあるのだ。我が市より財政力指数の少ない自治体での事業が巨額なのは如何なものかと思わずにいられない。
マリンタウンは平野の少ない市街地の前面に広大な空間を確保する事とクルーズ船の停泊できる岸壁を整備するもので石川県の事業である。その埋め立て地に集客施設として「輪島キリコ会館」や「輪島塗会館」が市によって建築され、北陸新幹線の開業に併せて会館している。護岸の水深や長さの関係で大型船の着岸は出来ずないようだ。
輪島市の議会事務局の案内でキリコ会館の中も見学させていただいたが、関東では無名に近いながらも荘厳な祭が行われていることを知り、これを発信したくなる気持ちも解る。金沢まで約100分の場所であるが羽田空港から能登空港までは60分である。産業が停滞する中で観光に力が入っている事は解った。
合意形成の努力や故郷に関する愛情といった点では参考になるものの想像以上に巨費を投じた輪島市の各種事業の視察を終え、ジャンボタクシ−で七尾市の和倉温泉に移動して宿泊する。世界一のおもてなしと言われる加賀屋の有る温泉地だが、宿泊は別のホテルであった。
29日は朝8時半にホテルを出て七尾市役所に向かう。ここでの視察は自由民主クラブの3人と供に9人の視察団を組んで木更津市が当面する火葬場の先進事例を聞く。
2.
石川県七尾市
市制施行 平成16年10月1日(旧七尾市は昭和14年7月20日)
人口 55,846人(平成27年4月1日現在)
面積 318.32km2
平成27年度一般会計予算額 319億4千万円
財政力指数 0.45 (平成25年度)
視察項目
火葬場「ななか斎場」事業について
七尾市と鹿島郡の1市6町で構成する七尾鹿嶋広域圏事務組合は昭和45年4月に設立され、火葬場だけでなく消防や病院の運営を行ってきた団体である。昭和40年建設の旧斎場の老朽化に伴い、平成元年に広域火葬場として「ななお斎場」を建設し始め平成3年2月から運営を開始した。平成16年度より運営を業務委託してきた。平成16年10月1日に旧七尾市と3町が合併して新七尾市が誕生し、平成17年3月1日に残る3町の合併で中能登町が誕生した事で事務組合を構成する自治体が二つに収斂されたことを受け、平成24年度末で事務組合は解散し、平成25年度から消防や病院を含めた事務組合の業務は全て七尾市が引き継いで、中能登町は七尾市に対して委託事務としており職員の出向等は行っていないようだ。事務組合の長い歴史と信頼感から中能登町から七尾市に対しての要望は事務レベルの範囲に留まり政治的課題には成っていない。
新火葬場は旧火葬場と同じ地区で建設されたが、建設に当たっては公民館建設基金等の負担金を支払った他、現在も一定額を地元協力補助金として支払い続けている。火葬場の維持管理費は利用実績に応じて負担を決めている。ななお斎場で特徴的なのは火葬炉5基のうち1基は汚物炉として愛玩ペットや野獣の火葬に充てている事である。導線は人と区分されていないため冷蔵庫で一時保管して利用時間をずらして運営している事である。愛玩ペットが家族の一員に成りつつある現在で人以外の火葬炉を設けるか、木更津でも悩むところである。
ななか斎場は七尾市役所から離れているため現地視察には行かず座学のみで研修を終えた。途中で体調の悪くなる議員が出ると行ったアクシデントもあったが、概ね順調に進行して視察研修後は七尾市の道の駅である「能登食祭市場」に行って合同で昼食を摂った。
白山市に向かう自由民主クラブと別れ、七尾市を午後1時過ぎに出て次の視察先を目指して県境を越える。無料の自動車専用道路が出来たため移動が容易で助かる。この日は木更津で農協の理事会で多くの議案が上程される頃であるが視察が重なり2ヶ月連続の欠席となってしまった。氷見市役所には午後2時に到着して研修を開始する。この市役所は、新栄会の白坂・座親議員が1年前に視察して高評価だった所でもあり、9月の引越前に参考になることを得ようとするものである。
3.
富山県氷見市
市制施行 昭和28年8月1日
人口 50,303人(平成27年4月1日現在の住民基本台帳登録数)
面積 230.56km2
平成27年度一般会計予算額 208億27百万円
財政力指数 0.42 (平成25年度)
視察項目
高校の体育館を改修した新市役所について
氷見市は平成の大合併に参加せず単独の道を歩むことを決めたのであるが財政の余裕はなく、厳しい財政運営を求められた。議員定数も昭和45年当初までは30人居たものを段階的に削減し、現在は17人の定員としてきた。ちなみに平成24年10月26日に行われた市議会議員選挙の結果、3人の現職議員が落選して17人中9人が新人議員となり、平均年齢も現在で51歳と若い議会である。挨拶していただいた嶋田議長も議案の否決や修正が多く運営が大変だと言っていた。なお平成25年4月7日の選挙で当選した本川市長も現在48歳と、双方が若い事に感心する。
厳しい財政状況の中、市役所のIs値は0.23と基準を満たさず、駐車台数も70台と少なくて不便であったものの建て替えは計画にも上っていなかった。しかし平成24年3月31日に閉校した有磯高校の跡地利用として市役所を移転することを考えた建築系の職員がおり、平成24年6月議会で議会に特別委員会を設置して10月には方針が決まり、12月にプロポーザルを実施して平成25年9月に工事着工、平成26年5月6日に新しい庁舎での業務を開始するといった素早い動きである。議会も概ね同意し順調に進んだが、市役所の移転のために第一種低層住宅地域を近隣住居地域に変更する急な都市計画対応が必要だったとの事である。
新市役所の延べ床面積の合計は7,027uで、駐車場は校舎を撤去した跡地に157台(市民118台+公用39台)を確保した。事業費は富山県から用地購入した約3億円を含め、約19億4千万円であり旧庁舎が津波浸水地域であったので緊急防災・減災事業債を活用できた。新市役所は仮設といった扱いではなく、建物が使える限り使いたいという考えのようだ。なお、上下水道課と検診部門が統合されずに残っているが、水道料金は市民窓口で支払うことができる制度にしたようだ。
変更自由な大空間
オープンなプレゼンルーム
ガラス張りの市長室
多くの地域協動スペース
有磯高校はスポーツが盛んなために体育館が2棟有って、その上に雪国であるため2階建てとして1階には土間の練習場を設けて有った事が空間利用の自由度を高めているが、空間を什器で区分するだけのレイアウトは職員の変動による面積の変化に対応可能であり、職員のアイディアを引き出し、市民と意見交換を深めていく空間づくりはとても参考になるものであった。大空間の弊害として残業時の照明や空調の効率、大声が反響すること等を質問したが、パソコンがWiFi対応なので残業は会議室にパソコンを持ち込んで行うように提案している事や、大声の市民は年に1件程度しか生じなかった事の回答があった。
市役所の空間づくりにあわせ本川市長はデザインワークショップを行って市民や職員を巻き込むと供に、職員が市民の中に入っていくようファシリテーターに養成することを目指した改革も進行中のようである。新市役所の誘導標識整備が予算不足で満足に出来なかったことや、旧市役所周辺の旧市街地が衰退することによる反対意見が1名の議員から出された事など全てが上手く行った訳ではないが、参考になることの実に多い視察であった。
視察を終えて高速道路で金沢市に移動する。ホテルへの到着は午後6時を回っていた。ホテルに近い居酒屋で夕食を摂りながら意見交換を行い、会派としての結束を高め金沢の夜は更けていった。
30日は早朝に目が覚めてしまい持参したポロシャツ・短パンとビーチサンダルに着替えて朝6時半より散歩を始める。犀川沿いの室生犀星の碑や21世紀美術館の屋外展示物などを見てから坂を登り石川門から金沢城に入る。昨年の4月に来たばかりなのに1年の間に玉泉院丸庭園が復元工事を完成させており、金沢の文化行政に関する力の入れ方を強く感じさせられる。
金沢の人々が通勤を始める頃にホテルに戻って朝食を食べてシャワーを浴び、9時20分にホテルから歩いて視察先の「金沢学生のまち市民交流館」に向かう。開館は通常10時であったが雨も降り始めたので早めに入場させて貰い、今日の視察に入る。
4.
石川県金沢市
市制施行 明治22年4月1日
人口 464,237人(平成27年4月1日現在の住民基本台帳登録数)
面積 468.64km2
平成27年度一般会計予算額 1666億8千万円
財政力指数 0.79 (平成25年度)
視察項目
市民協働推進事業について
会場となった交流館は大正5年に豪農の佐野家によって建築され、市に寄付された(但し土地は購入)町屋を活用して市民に解放しているもので、月曜日と年末年始以外は毎日朝10時から夜10時まで利用できるものである。アルコールの摂取は禁止しているが、学生を中心に多くの利用がある建物である。
金沢市は浄土真宗が盛んで篤い信仰心による相互扶助と雪国といった気象条件による連帯意識の強い土地柄である。市内に60の公民館があるが、その運営コストの1/4は地元負担とするなど、地域コミュニティも大切であるが、まちづくりの為には専門性も大切にしたいと各種団体との協動を目指し、平成17年に協動条例を制定し、まちづくりチャレンジ事業を進めている。事業は例年700万円程度で予算化され、単独市民団体の提案は30万円、複数団体の提案は40万円、学生団体の提案は一過性のものが多い事を加味して10万円を上限に補助している。
木更津の市民協動事業との違いは、団体の自己負担が無くても良いことと、複数年度に跨る事業が出来ないことである。事業計画は市の担当課を指定し、その課と協動で行うことで必要と認められた場合は通常事業に昇華することでチャレンジ事業から卒業するという仕組みである。これは市の職員にも協動事業の理解が必要であるがパートナーシップという意味では先を進んでいると考えさせられた。更には市よりテーマを掲げて団体を公募し最高100万円を補助するというパートナーシップコンペに事業が進んでいる点は、さすが金沢と感心させられる。団体にとっても事業採択されることで市のお墨付きが得られた事になり、公式ロゴが使えるといった利点はある。ただし木更津と同様に他の補助金は使えない制度であるので、認知度アップといった効果が大きいものと思われる。公開で決められる事業審査の会場にはマスコミが入り市民の関心の高さを伺わせる話である。
協動のまちづくりを進めるファシリテーターについては「会議ファシリテーター協会」に150万円で委託し、職員7人を含む45人の参加者を対象に5回の講座が開かれるなど育成事業が始められているが、まだ今後の活躍は未知数であり、特に活躍の場を保証しているわけでもないとの事である。木更津の取組も検討が必要そうだ。
質議を終えた後、隣の建物である交流ホールを見学させて貰う。由緒はあるが取り壊される料亭「かわ新」に飾ってあった額や襖等が移設された広大な空間で、企業等も研修会場として有料で使用できる約80畳の会館である。金沢の文化の底力を垣間見るが、費用を聞いて財政力も羨ましくなる。
北陸新幹線の影響か、来月も市川市や松戸市など、多くの視察が入っていると職員の方は大変そうにしていた。申し訳ない気持ちになりながら会場を後にして市内で食事を取り、世界で美しい14駅に選ばれた金沢駅に着き、越後湯沢乗り換えの頃との差は何だろうと考えながら北陸新幹線で帰路に着いた。
31日は視察の翌日で疲れも残っているのであるが、金曜休暇を取った友人と山梨県へ日帰り登山に出かける。現地について標高を上げても気温が下がらず、その上水蒸気が多くて視界も効かないため、暑さに苦労しただけの山と成りそうなので早々に中止し、薩垂峠等を見て帰宅した。
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2015年8月上旬の記録