11.4月中旬の活動記録
11日は雑務を片づけた後、富津市の現職議員の激励に回る。飛び入りの応援演説をしたり、遊説に出た後の留守番の事務所に顔を出したり、事務所でお茶を飲みながら情勢の話しをするなど、対応は様々となったが、かずさ地域の未来を担う同志として当選を願う。
地域に密着した選挙のためか、ネットを活用した選挙の動きが見えない。候補者22人の内7人が40代、3人が50代であれば、もっとネットを活用して有権者に主張を伝えても良いのではと思うところである。
昼過ぎに富津から帰宅し、午後は雑用を片づけた。
12日は朝からHPの活動記録の更新をしてから市役所に行く。資料請求して入手した保育園関係の資料整理を行うとともに、本日に提案書類提出の提出期限を迎える道の駅や江川運動場拡張事業、公共施設マネジメントなどについて担当課と諸調整を行い、総務部とは6月議会質問に向けた初回打合せを行った。天気が良いので夕方には汗を流すペースで散歩し、夜遅くまでHPの更新作業を行った。
13日は午前中は自宅で片付けや私的な用事を片付け、午後から袖ケ浦に用事で出かけたついでに「農村公園ひらおかの里」に立ち寄る。県が事業主体の浮戸川上流の123haに渡る農業農村整備事業の中で造られた17,310uの公園には施設が多く、農業体験の場として水田や畑も整備されている。
木更津市の緑の基本計画において中郷の望陀農学校跡地に農業公園という構想はあるが、袖ケ浦と完全に重複するなと考えながら園内を歩き回ってきた。帰宅後はHPを簡単に更新し旅の荷物をまとめた。
14日は朝からアクアラインを渡って妻の実家に行き荷物を詰め込んで病院に行く。診察を待ち、入院の手続きを終えて妻を病院に残し、妻の実家に戻り泊まる。夕食を義父達と取っていると妻から電話で熊本の地震を知る。義母は震源地の益城町の隣町の出身なので心配になる。
15日は朝から熊本の地震情報が絶えず流れる中、妻の入院している病院に行き、分娩室で熊本のニュースを見ながら出産に立ち会う。なお、この日にはアカデミアホールでトーゴ共和国の音楽フェスティバルが夕方から開催されるが、既にチケットは同僚議員に渡しておいた。
汗を拭く程度しか手伝えないもどかしさを感じながら長時間ベッド脇の椅子で待機室付ける。夕方に女児が生まれ、52歳にして待望の父親になることができた。疲れ果てている妻が病室へ移動する事などを手伝った後、深夜に妻の実家に帰宅し祝杯を上げた。
16日は更に被害が拡大している熊本の報道を聞きながら病院に移動して誕生から1日目を迎えた娘の顔を見てから帰宅。着替えて岩根西中学校の歓送迎会に出席するためにビューホテルに移動すると前夜の内にアップしたフェイスブックで子供の誕生を知っている出席者やホテルのスタッフからお祝いを受ける。先生方の歓送迎とPTAの役員交代の場を祝いながら、自らのお祝いを夜遅くまでしてきた。
17日は午前中に雑務を片づけ、午後から江川区の総会に相談役兼組長として出席する。10年間努めていただいた江野澤前区長から同級生でもある小川区長に代わって最初の総会である。私も江川運動場の進捗状況等について説明を行った。夕方から体調を崩している親戚の見舞いに行き、夜9時を回ってから富津市議会議員選挙の投票結果の確認と後輩が無事に当選した場合のお祝いを行うために関尻まで出向く。
夜11時の開票結果で、高木・猪瀬とJCの後輩は二人とも当選したことが解ったが、15人立候補した現職議員の内、5人が落選となった事も知った。その中には仲の良かった議員も居て複雑な気持ちになる。これからの富津市議会の同行には注目していきたいと思う。
18日に日付が変わる中で富津から帰宅し、HPの更新を行い午前3時過ぎに就寝した。翌朝7時半に起床してメールの処理等を終えてから妻の入院している埼玉県富士見市の恵愛病院に行く。
この病院には多くの患者さんが居るとは前から思っていたが出生数で全国3位の病院と知り、さらに全国1位が熊本県に有ると知って二度驚かせれた。この日は退院準備を手伝いながら愛娘の様子に喜びを分かち合って病室に宿泊した。
19日は朝から天気が良いので、妻や娘の診察の時間を使って富士見市内を散歩して回った。詳しくない市であったが公園造り等は綺麗にしている事に感心してきた。娘は治療と様子観察が残ることになり母子ともにとは成らなかったが、この日には妻のみ退院し、実家まで送って買い物して先方の実家に泊まった。
20日は朝から木更津に帰るためアクアラインを渡ると観覧車の雰囲気が違うので近寄ると40個のゴンドラが取り付けられ試運転が行われていた。今後のイルミネーションの工事が楽しみである。その後は議会事務局や市役所各所と諸調整を行い、自宅で溜まっていた仕事を片づけた。
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2016年4月下旬の記録