12.4月下旬の活動記録
 21日は雑務処理を済ませた後、大安なので出生届を出しに朝日庁舎に行く。市民課、保険年金課、子育て支援課と回りながら手続きを進めるが、新庁舎の集約窓口は確かに使いやすいと自ら実感する。来月の人口には自然増として寄与することが出来たかなと感慨深い。その後、各課で打合せを済ませて帰宅する。HPの更新をした後、呼び出しで駅前庁舎に行く。
 防衛省から発表があるという事で議会事務局に行ったのであるが、要件は翌週の月曜日の朝からCH-47JA(チヌーク)とMV-22(オスプレイ)の
騒音比較測定を行うという発表が18時頃に行われるという事であった。これは基地対策特別委員会に示された騒音比較資料が高度や測定条件が異なるため一概に比較できず、オスプレイの騒音レベルが解らないために現場確認を行って貰いたいという要望に応えたものであるが、熊本地震の最中に行わなくてもと思いながら正副議長とともに議員全員に測定状況確認のための立ち会いが出来ることを事務局から送り、翌日午前中に出欠確認することなどを決めて夜7時過ぎに解散した。
 
 22日は児童手当の申請で必要になる書類を取るため埼玉県新座市役所に行き、その後に娘の退院の手伝いを行う。このためにチャイルドシートを装着したが、人生最初の外出で、最初のドライブで、等と考えると全てのことがこれから始まるのだなと感慨深い。
 実家に妻と娘を降ろし、荷物を渡したら直ぐさま帰路に着き、自宅で着替えて岩根小学校の歓送迎会に出席する。今回は来賓として挨拶したが、これから6年もしたらPTAの一員となり、それから数年もしたら役員に成るかも知れないし、その頃の校長先生は多分年下だろうと、今年の役員と冗談に話した。
 
 23日は自宅の掃除や様々な雑用を処理する。里帰りしている期間が議会の休会中と重なるので頻繁に埼玉に行けることは嬉しいのだが、やはり自宅を開けていると雑務が溜まり大変である。夕方に議会事務局から電話があり月曜日の騒音比較測定が米軍の都合により
取りやめになったことを知る。木曜日の緊急会議は何だったんだろうと思った。
 
 24日も自宅にいると親戚の方々が出産祝いに訪れる。感謝を込めて対応し、午後からは自宅で雑務に追われて一日が終わった。
 
 25日は朝のうちに私的な仕事を片づけ、昼前に朝日庁舎に行き出生手続きの際に不足していた書類提出を行いつつ、他部署で打合せを行う。午後からは森県議や会派の同僚とともに熊本地震の救援募金活動をした所、農協からも多大な協力をいただいた募金は翌日も行われ、3日間で118,955円が集まったと聞く。
 帰宅後はHPを更新し、夜10時を過ぎたら車に布団を積み込み山を目指す。途中で妻の実家に立ち寄り荷物や土産を渡してから関越に乗って群馬県に入った。
 
 26日は甘楽PAで目覚めて上野村に移動し、往復約7時間をかけて日本三百名山の一つである
諏訪山を登山する。下山後は温泉で汗を流してから妻の実家に行き、12日前に生まれた娘の育児を手伝う。夜は仕事を終えた義弟達と誕生祝い酒を酌み交わし、初めて娘の横で眠りについた。
 
 27日は終日おしめ交換やミルク授乳などの育児練習を行い、夜遅くに帰宅した。荷物の片付け等をして日付が変わってから就寝した。
 
 28日は10時からの地方創生特別委員会を傍聴し、企画部と日東バスの担当者から公共バス路線の置かれている課題を聞く。幹線を担う路線バスと支線の分担方法等、公共交通の在り方を審議する協議会の再開が強く望まれる所である。昼に会派で話し合いを行って帰宅する。
 夕方は自宅でHPの更新を行い、夜は市民活動支援センターで市民まちづくり塾の会議を行った。立派な施設であるが稼働率がまだ高まらず、会議室を借りることが出来たが道路から良く見える一階のテーブルを使って5月21日における太田山での活動や富津市磯根崎での自然観察会の検討を進めた。
 
 29日はQVCマリンフィールドで行われるロッテvs日ハムの試合を見に行く。この日は隣接する幕張メッセで『ニコニコ超会議』というイベントが開催されているために試合の始球式も小林幸子(ラスボス)が登壇して、如何にも連休らしい楽しさと強風の中の勝ち試合を飲みながら観戦した。
 試合後は一人幕張本郷駅に行き、強風でダイヤが乱れている武蔵野線に乗り妻の実家に行き、娘の寝顔を見ながら一緒に横になった。
 
 30日は天気が良い中で新座に居て、散歩してきたらという声に背中を押されて遊歩道を経て平林寺境内の一周など、汗を流しながら2時間半に渡る散歩をおこなう。平林寺のような古刹が有ることで武蔵野の雑木林も綺麗だなと改めて感じて実家に戻り、その後は終電の1本前に成るまで新座に留まった。
 
 
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2016年5月上旬の記録