24.8月下旬の活動記録
 21日は万石会場でラジオ体操に参加して、帰宅して朝食を摂って新聞を読んでから岩根小学校に行き、岩根西地区まちづくり協議会の子ども育成特別委員会の企画する「親子で工作」に参加する。
 小学校のご協力もあり午前中は冷房設備のある図書室をお借りして発泡スチロールを使ってボートを造り、午後はそのボートに水中モーターを付けて競争するという企画である。夏休みの宿題の一環として造られた24作品からデザイン賞を選定する難しさを感じながらイベントを楽しんだ。
 午後3時に帰宅すると甲子園から作新学院が優勝した事を知る。決勝を見ても打撃が素晴らしく、改めて木更津総合高校が本塁打2本に抑えた事の凄さと、決勝まで行かなかった事の残念さを感じた。
 
 22日は台風9号の接近で終日自宅に籠もり、事務所の整理や議会質問の片付け、HPの更新などを行う。昼間に風も弱まって安心していたら通過後の吹き返しが強く、すっかり事務所の窓が綺麗になった。市内では床下浸水も出たようだが、直撃を受けながら少ない被害に安堵する。
 
 23日は江川会場でラジオ体操に参加して、朝から駅前庁舎で基地対策特別委員会の発議資料作成、総務常任委員会の視察や雑件の処理、総務委員長が慣例で委員長となる決算審査特別委員会の現地調査事項の聞き取りや下見など、議会運営に向けた諸調整を行いながら一般質問に向けた打合せを進める。帰宅して町内の仕事で近所を自転車で走り回っていると夕焼けが綺麗になってきたので江川海岸に足を伸ばす。
 平日なのに十人を越えていると思っていたら大勢の人が歩いてきた。水門前に停まっているバスを見ると
阪急交通社のバスツアーであった。既に観光地に成っていると実感した。
 
 24日は前夜に早寝してしまったので午前4時に目が覚めてしまい、ついでだから未明から仕事を始めHPの更新を行う。ラジオ体操の時間になると中里会場まで出かけ、帰宅後は着替えて市内で所用を済ませながら駅前庁舎や朝日庁舎に行って議会質問や議会運営の諸調整を行う。帰宅後には事務所からメールで資料をやり取りして質問の精度を高めるなど、午後11時頃まで仕事をする。17時間も働いて疲れて寝た。
 
 25日は岩根4丁目会場のラジオ体操に参加して、午前9時には駅前庁舎に入り9月議会の初日を迎える。市民歌の斉唱、市長挨拶等に続き、下表に示す議案9件と陳情3件が上程された。
番号 内容(件名とは異なる) 関係部 担当委員会
議案56 一般会計補正予算(第2号) 財務 全体
議案57 国民健康保険特別会計補正予算(第1号) 市民 教育民生
議案58 介護保険特別会計補正予算(第1号) 福祉 教育民生
議案59 公共下水道事業特別会計補正予算(第1号) 都市 建設経済
議案60 平成27年度歳入歳出決算の認定 財務 決算特別
議案61 教育委員会委員の選任 総務
議案62 印鑑条例の一部改正 市民 教育民生
議案63 平成27年度水道事業会計利益剰余金の処分 水道 建設経済
議案64 平成27年度水道事業決算の認定 水道 決算特別
陳情10 指定難病以外の難病対策の充実を求める意見書 市民 教育民生
陳情11 國吉俊夫市議の懲罰を求める陳情 - 総務
陳情12 東京湾漁業の環境整備等に関する意見書 経済 建設経済
 初日は上程のみで終わり休会に入る。異例の陳情11号については所管する委員会がない限り総務が引き受けるルールに従い、私が議事進行する事になる案件となる。陳情制度のあり方や議会の権能の問題を整理する必要が有ると考える。また、この日は基地対策特別委員会で意見書を提出する件の事務局調整などを行い、午後からは教育民生常任委員会が内房地区私立幼稚園協会より平成29年度の要望を受けた協議会を開催するので傍聴する。質問の調整を終えて退庁し、市内で各種の用事を片づけた。
 

 26日は久津間会場でラジオ体操に参加し、潮の引いた江川海岸を見て帰宅。前夜の内に届いた質問の調整事項に回答を送ったり、市内で雑務を片づけたりして終日過ごす。
 
 27日は岩根西中学校でラジオ体操に参加し、帰宅後は議会質問の準備をしながら、溜まったHPの更新作業等を行う。夕方まで事務所で作業を行ってから廃業した人参湯へ妻子と供に行き、銭湯を使って行われる『酒パーティ』に参加する。
 昭和を感じさせる建築物で行う雰囲気は楽しく、地元八藏が出展し、芸者さんが踊るなど内容の濃いイベントで、渡辺市議や石井市議も会場でお見受けした。主催者に聞くと清掃作業だけでも大変だったという。壁の富士山の画は剥がれ落ち、維持するだけでも大変だろうと思う。冒頭を見学だけで帰る妻子と別れ、友人達と遅くまで楽しんだ。
 
 28日は岩根西地区の夏期ラジオ体操の最終日なので全員が岩根西中学校に集合する。雨模様の天候なので体育館の中で約二百人が参加する中、体操と閉会セレモニーを行い、住民が持ち寄った商品を元にしたビンゴ大会の開催により盛り上がる中で、今年度のイベントは終了した。
 一旦帰宅して荷物を置き、陸上自衛隊まで自転車で移動して『木更津トライアスロン』の開会式を見学する。
 台風10号が近づきつつある中でも木更津港内の波は静かで気温も低くバイクの向かい風の厳しさを除けば良い条件ではと思わせる中でイベントは行われていた。大会を支えた多くのボランティアの皆様には敬意を表する限りである。
 午前中に見学を終え、太田山で開催して居るであろう『竹取物語』のスタッフに電話を入れると、既に終了して解散したと聞く。安心して午後は議会質問の配付資料の作成を済ませ、市内での所用に回った。
 
 29日は早朝にHPを更新した後、翌日の代表質問と台風接近の調整等を気にして駅前庁舎に行く。会派室で配付資料を準備すると供に質問の最終調整を行い、台風の進路を確認して翌日は予定通りの日程で出来そうだと判断して帰宅。自宅事務所でメールを使い、遅くまで職員と質問の諸調整を続けた。
 
 30日は台風が東に逸れ東北では被害が発生する中でも木更津には青空が垣間見れる状況になり、予定通り代表質問を始めることが出来た。開始前に会派室でお茶を飲んでいると袖ケ浦市の「さんま祭り」のポスターが届く。旧『楢葉村』が福島県楢葉町に寄せる支援活動で、震災後5年半が経っても忘れないメッセージが暖かいと感じた。それでは今回も個人的に印象に残った答弁を記載する。
羅針盤代表 斉藤高根議員
 中郷小学校の校舎建設や祇園小学校のプール解体に充当しようと計画していながら受けられなかった学校施設環境改善交付金は、木更津の計画が悪いという事ではなく県内で293件の申請があって採択されたのはわずか10事業だけだったと回答。多くの自治体で予定が狂っているだろうと思うし国の精度に疑問が残る。
一新の会代表 篠崎哲也議員
 現在の庁舎は駅前が年間52百万円、朝日が年間1億円の、計152百万のリース料を払っているので早く自前の新庁舎を建設してはという意見があった。100億円で建設したものを50年間で更新しなければ成らないとすると年間の償還額は2億円で、現在より高い。リースも有る意味では合理的だと質問を聞きながら思っていた
自由民主クラブ代表 重城正義議員
 現在は5地区で活動され、今後は鎌足と金田で始まろうとしている「まちづくり協議会」へボランティアとして協力しようと手を挙げた地域推進職員は33人であった事が解った。渡辺市長の気持ちに応えた人数として多いか少ないかは微妙だが、岩根西では鈴木会長が「助かっている」と言っていたことを思い出した。
 代表3人の質問が終わり、総務委員会で配布する資料の調整を行い、翌日の質問の確認をしてから帰路につく。夕焼けが綺麗だったので江川海岸に行くと台風の余波の強風により波しぶきが飛ぶ中で大型バス2台と乗用車数台分の観光客が写真を撮影していた。
 
 私のカメラは完全防水だから全く問題ないが、観光客のカメラが塩で駄目にならないようにと祈りながら帰宅した。
 
 31日は質問原稿の一部修正を行ったものを印刷して、午後の準備を整えてから代表質問を聞く。
公明党代表 岡田貴志議員
 空き家に対する法改正があったことを受けて、空き家管理条例の改正が今年度中に行われ、新たに設置される協議会が「特定空き家」と認定すると指導→勧告→税制の優遇の除外と命令と手順を踏み、それでも対応しない場合に代執行が成される事の説明があった。最初の代執行は早くても3年後かなと思いながら聞いていた
 お昼を挟み午後からは個人質問になる。私が個人質問の2番手に成るのだが休憩が入らない可能性もあるので昼休みの内に配付資料が執行部や議員の机に置かれていた。
一新の会 石川哲久議員
 平成27年の農業センサスによる農家数は2,580人で5年前と比較して666人が減少している。一方、平成22年から27年の6年間での新規就農者は22人である。有休農地は平成27年に502[ha]となり5年前と比較して41[ha]増加している。把握されていないものもあり、データに現れない問題を何処まで考えられるかが今後の農政の課題と考える
 石川議員が2分だけ残したので少し休憩が入って私の質問となる。その間に石川議員の傍聴者が引き上げ、私の傍聴者が若干名入室する。質問の全文は後日アップする。
共産党 鈴木秀子議員
 質疑で気になったのは癌クーポン発効前後の受診率の変動はどうなったのかという質問に対してデータが無かったことである。質問が馴れ合いにでは駄目だという意見も聞かれるが、事前調整がないと無駄な時間が流れるだけという見本のようなやり取りとなった。今回の質問は思いつきだったのか・・・それは疑問である。
 本会議終了後、総務委員会の協議会に挙げられる資料の調整を行って帰宅。明日も質問が続くが自分の質問が終わった慰労として、娘にミルクを飲ませた後で晩酌を行った。
 
 
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2016年9月上旬の記録