37.1月上旬の活動記録
 1日は娘がよく寝ていたので初日の出は外に出ず自宅の窓から眺め、その後新聞を読んだり年賀状の確認をしたりとゆっくりと元旦を過ごす。午後から江川光明寺へ年賀に行き、その後、年始の挨拶を行いながら今後の市政を話すなどして過ごした。
 
 2日は一日遅れで氏神である江川熊野神社に初詣を行い、昼から自宅に集まった親戚と毎年恒例の記念写真を撮影した後、近くの中華料理店で遅めの昼食を食べながら近況報告などを交わしてのんびりと過ごす。解散後は届いた年賀状に返信を書いたり、メールへ返送するなどして正月を満喫した。
 
 3日は妻子を連れて妻の実家に年始の挨拶に向かう。移動の途中で早稲田にある穴八幡神社に立ち寄り「一陽来復」のお守りを購入する。都内は交通量も少なく、正月中だと実感する。実家に着いたら近くで買い物をし、夜は妻の両親と食卓を囲み和やかに過ごした。
 
 4日は午後から実家の両親と一緒に私のリクエストで行田の「わらアート」を見に行く。途中で岩槻で雛人形を見たり、加須でうどんを食べたりして行田には夕刻に着く。新潟から始まったと聞く「わらアート」は木更津でも流行らせたいものだと感じる。見学後は加須駅で両親と別れ、東北道で帰宅した。
 
 5日は自宅で仕事を開始し、ついでにHPの更新作業も進める。電話で翌日の委員会運営について議会事務局と調整を進め、好天だが自宅で内業に明け暮れた。
 
 6日は自宅の仕事を片づけて、昼前から駅前庁舎に行く。午後からの委員会の進行について事務局と調整し、その他の各種の調整も住ませ、午後2時から基地対策特別委員会協議会を開催する。今回も報道関係者や傍聴者が居る中、防衛省関係者4名より覚書の締結状況や沖縄における事故の報告を受ける。誤算であったのは年末には覚書の締結が終わり、年始の会議では文章として示していただけるものと考えていたが、関係者の決済が遅れ、今のところ手続き中と言うことで口頭による説明が行われただけであった事である。今月中から定期機体整備が始まる方針に変更はないことが明言された事が大きな情報であった。
 1時間半の会議が終わり、午後5時からは木更津商工会議所が主催する賀詞交歓会に出席し、優良企業表彰を見届けた後に新年に初めて顔を合わせる多くの人に挨拶を交わしてきた。会が終わった後で、昨年末に開店した知人の店に一人で顔を出したら、賀詞交換会に出席していた職員と一緒に成った。
 
 7日は消防の出初め式に出席する。朝は庭で厚い氷が張っていたが日射しも強く、午前10時からの式ではそれなりに暖かになっていた。それでも消防団員は防寒着を着ずに整列していたので寒いだろうと心配になったが進行が簡易で時間も短くなっている事が評価できる。
 連携総合訓練は今年も川崎市と千葉市の消防ヘリが加わり、昨年に発足した女性消防団のお披露目も兼ねた展示となっていた。閉会後に風船を飛ばすという企画があり、来賓も含め多くの市民が参加して空に放した。私も最後の潮見庁舎の姿だなと思いながら写真を撮影した。
 ジェスパルの売店でイカ焼きを購入した後に市内で所用を済ませて帰宅し、HPの更新を行った後、江川消防団の新年会に参加した。
 
 8日はアカデミアで成人式が開催される日であるが、教育民生常任委員会の担当であり、私は午前中に太田山で炭窯から竹炭を出す立ち会いを行う。梅の木は既に花が咲き、そこだけは春の訪れを感じさせていた。作業の途中で帰宅し、礼服に着替え葬儀場に向かう。
 正午から開始される自分の後援会の役員の告別式に列席するが、先月末に神社で元気な姿を見て冗談を話していたのに、その夜に急死されたとはご遺体を前にしても信じられない気持ちである。今は感謝を捧げ、やすらかにと願うばかりである。
 
 9日は携帯電話の調子が悪くなってきたので新機種に交換するなど、市内で所用を済ませる。夕方からは水曜日の出張の準備をして連休の最終日は穏やかに過ごす。
 
 10日は正午から陸上自衛隊木更津駐屯地の賀詞交歓会である。天気が良いので少し早めに家を出て吾妻まで歩き、徒歩で基地に入る。オスプレイの定期機体整備については写真の渡辺市長以外に触れる人がおらず、極めてナイーブな問題だと感じさせられる。
 地元の方と一緒に軽く飲んで、徒歩にて帰宅し、翌日からの行政視察の準備やHPの更新を行った後、議員会の新年会に出かけた。
 
 
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2017年1月中旬の記録