40.2月上旬の活動記録
 1日は9:30にホテルへ迎えに来てくれた海上自衛隊のバスに乗り海上自衛隊岩国基地を視察する。岩国基地は昭和15年7月に岩国海軍飛行隊として発足し、終戦後は英国連邦空軍が常駐したが昭和27年4月より日米安保条約による在日米軍基地となり昭和32年3月からは海上自衛隊が共同使用して現在に至っている。基地の総面積792haのうち海上自衛隊の単独占有面積は3ha(0.4%)で民間空港面積6ha(0.8%)を加味しても98.8%が米軍の管轄する基地である。自衛隊施設も米軍管理下に点在するため、入退場も米軍の確認を受ける必要があるなど、木更津の自衛隊とは雰囲気が違う。なお、基地内に広がるアメリカの街並みは撮影禁止だったので記録はない。
 会議室で概要説明を聞き、資料館で岩国基地の歴史を知り、格納庫で保有機等の説明を受ける。オスプレイに関しては熊本地震の際に日米協動作業で支援物資の空輸を頼んだが、輸送速度が速く資材運搬回数が稼げたので大変有効であったと海上自衛官が言っていたことが印象的であった。
 基地の中には家族を含め米軍関係者が6千人ほどおり、その生活を支える商店等の従業員と海上自衛隊の隊員を会わせると1万人の街を形成していた。映画館や娯楽施設があり、中には日本人が使用できない場所もあるなど、米軍施設の雰囲気を理解できる視察となった。
 
 この日は地元で正午から江川漁協の水神祭が有り招待を受けていたが当然出られるはずもなく昼食は岩国市内で摂って空港に行く。屋上展望デッキは米軍機の撮影が禁止されるなど、米軍施設を利用している実感はあるが、乗車した飛行機の窓からは米軍機が良く見え多くが写真を撮っていた。
 
 2日は午前中に後援会報の発送準備を進め、昼からは地元である江川熊野神社の役員として翌日の節分祭の準備をする。その後、HPの更新作業を行い、夜は有志議員等で巌根駅等の交通体系に関する勉強会を行った。
 
 3日は午前中に朝日庁舎で各種の打合せを行い、帰宅後はHPの更新作業を続け、午後からは節分祭の準備や後援会報発送に向けた作業を行う。夕方には江川熊野神社と江川日枝神社の双方が開催する節分祭に顔を出し地域の方々と意見を交換した。
 
 4日は天気が良く暖かな土曜日であるが、昨年度の活動報告である後援会報の発送作業や必要な備品の買い物などを夕方まで行う。午後6時過ぎに江川海岸まで冬花火を見に行くと多くのカメラマンが電柱の夜景を撮っており、突然上がった花火に驚いていたので木更津の冬花火イベントを解説した。
 
 5日も妻や妹を巻き込んで封筒詰めやラベル貼りを行う。早く終わればナチュラルバルを見に行く予定であったがけっこう手間取り、皆に仕事をさせたまま西山区と万石区の合同新年会会場に行き、帰宅後に作業を再開し、深夜に終了した。
 
 6日は朝から郵便局に行き後援会報を一斉に発送する。午後から確定申告作成等の私的な仕事を片づけた後、HPの更新を行った。
 
 7日は赤坂迎賓館の「朝日の間」が2月14日まで特別公開されており、事前予約が無くても平日なら見ることが出来るという情報を得て、妻子と母を連れて東京見学に行く。迎賓館と対になるように明治建築の代表格である旧岩崎庭園も合わせて見ることとした。
 都が管理する国の重要文化財に指定された建築を見て回る。設計は鹿鳴館も手がけたコンドルで、三菱財閥の資金を注ぎ込んだ岩崎家は戦後GHQに接収されて手を加えられたものの、その後は素晴らしい復旧作業で、平日は館内写真撮影自由な事も気に入った。
 外装は3月まで補修の足場が係っており、外観を見るためにはもう一度入場する必要がある事になったが、それでも満足して四ッ谷に向かい迎賓館に入場する。こちらはコンドルの弟子である片山東熊の設計で平成21年に明治以降の文化財としては初の国宝に指定された。現在も現役の国賓対応施設であるためか警備も厳しく、内部の撮影は禁止であるためその華美な内装は
内閣府のHPを参考していただくとして、外観だけでも感動に値する建築物であった。
 
 都内で食事を摂って帰宅し、所用を済ませてから小櫃川桜まつりの会議に出席する。今年は4月2日が開催日に決まったので桜の開花がそれと歩調を合わせてくれることを期待するばかりである。
 
 8日は午前中に私的な仕事を片づけた後、市内で所用を済ませてから登庁し、午後から市役所に行き15日に予定されている君津広域水道企業団議会の議案説明を受ける。その後会派室で諸調整を行った。
 
 9日は午前中に地方創生特別委員会が開催されるが、議題は先日の総務委員会で行われた公共交通の案件なので傍聴を行わず確定申告の準備をする。午後から登庁し、建設経済常任委員会協議会を傍聴する。
議題は下記の通りである。 
番号 内容(件名とは異なる) 関係部
No.1 千葉県産木材の活用について(要望) 経済
No.2 火葬場整備事業の負担割合等の締結について 環境
 No.1についてはオーガニックなまちづくりを進める木更津市としても若干コストアップになろうとも取り組もうとしているという回答である。木更津市内の林業家が少ないこと、欧州では高層建築の構造材に使用されているCLT(Cross Laminated Timber)という直交集成材の普及、燃料としての木質ペレットストーブを学校現場への展開など、現在の取り組み以上に可能性は多いだろうと傍聴席で考えていた。
 No.2はPFI事業可能性調査については四市での均等割負担に合意し協定を締結したという報告であるが、用地購入やその評価額の算定を木更津市単独とする事以外、多くの課題で費用負担が決まっていない。人口の少ない富津市や袖ケ浦市は均等割より人口や利用者にウエイトを置こうとするし人口の多い木更津市と君津市は準備作業等は均等割が相応しいと主張するため、協議が10回を越えて長期化しているようだ。
 傍聴を終えて会派室で翌日の研修日程等を確認して解散した。
 
 10日は事務所で雑用を片づけた後、金田BTまで送ってもらいアクアラインバスで東京に出て平野議員・草刈議員・石井議員とともに議会へのタブレット導入に関する研修を受ける。最初に先進自治体である逗子市の菊池議長と長島議員が講演していただき自治体と議員がどう変わったのか説明していただき、その後にタブレットやソフトの特色を聞く。
 逗子市では情報の伝達が容易になったため具体的な資料が多く情報提供されることや、プレスリリースが事前に入手できること、さらには議員がより深い質問をすることになったことなどを聞くと本市でも取り組むべき課題だと認識する。また予算書と決算書については紙資料を使うなど併用もしているようだ
 システムについては2015年8月に参加したセミナーから18ヶ月が経過する中で、当時の29自治体から47自治体が採用し多くの意見を吸い上げる中で着実に進化している事が理解できた。議運で行った洲本市で話し合ったように本市でも導入する際には単にデータをメールで配信するだけでなく、会議を行うのに有効なシステムが望ましいだろう。
 3時間半の研修を終え、新橋で意見交換をしてから帰宅した。
 
 
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2017年2月中旬の記録