44.3月中旬の活動記録
11日は東日本大震災から6年目となる土曜日で、岩根西地区では午前9時から避難訓練が行われた。私は妻子と供に海上自衛隊に避難したが、他にも岩根小学校・岩根西中学校・木更津病院・岩根西公民館も避難所であり、5会場を合わせて9:35現在では269人が参加していた。前年より大幅に増加していた。
防災に関するフォーラムは翌日に実施するため、この日は避難所にて解散となる。帰宅後、HPの更新や地域の雑件を片づけ、午後からは予算審査に向けた勉強を夜遅くまで行った。
12日は前日の避難訓練に引き続き10時から岩根西公民館で岩根西まちづくり協議会主催の防災フォーラムが開催される。運営を考えて2日に分けたようであるが昨日より参加者は少なくなっていた。因みに昨日の避難訓練には最終的に281人が参加し、スタッフや消防団を合わせた総参加者数は340人だったと鈴木会長より発表があった。岩根西地区の住民がおよそ8千人であるから住民の4%程度が参加したことになる。
フォーラムは木更津高専の鬼塚教授による昨日の訓練状況の講評をいただき、その後NPO法人ゆかいな仲間たちの白尾理事長による『自主防災組織の必要性について』と、市役所危機管理室の星野室長による『避難所運営の在り方について』という講演を聴く。今後の自主防災組織の設立の追い風になればと願う。
正午を回ってフォーラムは解散となった。良い天気であるが事務所に閉じこもり、翌日からの予算審査に向けて資料の整理を行った。
13日から
予算審査特別委員会
を開催する。9時に登庁して配付された資料の確認や進行の打合せをした後、予定より若干早い9:55より会議を開始する。初日は総体的事項・歳入・議会費・総務費の審査であり、今回も多くの質疑が行われた。一般会計予算で各部からの当初要求額は合計488.4億円であったものを437.2億円に納めているので51.2億円が査定で削られた事や入湯税事業者にホテル富士屋が加わったので温泉を掘り当てたのだと解った事、土地開発公社から買い戻す土地は保育施設としての利用が予定されている事、市役所の課長以上の職員50人にモバイル端末が渡される事などが質疑で明らかになった。初日の委員会は夕方の予定を考慮したのか午後4時頃に終了した。事務局で翌日の打合せをしてから総合福祉会館に移動し、フィリピン共和国ビスリグ市訪問団28人のウエルカムパーティーに出席する。パーティーといいながら公共のホールを使いアルコールも出てないが、参加団にイスラム教徒が居たわけではなく、オーガニックなフレンドシップだったからだろう。
ビスリグ市からも多くの市議会議員が参加していたので私も片言の英語で意見交換を行いしばらく談笑した後、両市の市長による覚書の締結に立ち会った。木更津市からビスリグ市を訪問すると友好都市の調印となるが、移動時間は片道10時間という事である。どうも秋頃に行きそうな気配である。
午後7時過ぎにパーティは終わり、ホテルオークラアカデミアに行く送迎バスを見送って帰宅。翌日の審査に備え準備を行った。
14日は一般会計のうち民生費・衛生費・労働費・農林水産費・商工費に併せ国民健康保険・後期高齢者医療・介護保険・公設地方卸売市場の4特別会計の審査を行う。民間が子ども食堂を始める場合の貧困の洗い出しが難しい事や外国人介護人材は厚生事業団を通さねばならないため友好の深いインドネシアのボゴール市やフィリピンのビスリグ市から直接募集できない事、医療費のかかる透析に移行しないための医療連携措置が始まる事、いきいき館の改修工事で来年は5ヶ月間閉館になる事、ゴミ袋の制作費やKCSでのゴミ処理単価が下がっている事、酪農家は平成19年に21戸有ったものが9戸に減っている事、産業創業支援センターの初代センター長が6月で引退され次の長を公募する事などが議論で明らかに成った。私からも保育士不足を補うための任期付職員の採用計画や君津市の行う事業所内保育施設補助事業の本市での対応、霊園管理事務所の建設費の問題などについて委員長でありながら質問させていただいた。それが原因というわけではないだろうが審査は午後5時を回り、時間延長されて終了した。
翌日の午後からの審査をビスリグ市の議員が傍聴するという方向のようなので対応をどの様にするのか事務局と打ち合わせてから帰宅。夜になって翌日の準備を済ませ、HPの更新を行った。
15日は一般会計のうち土木費・消防費・教育費・公債費・予備費に併せ公共下水道特別会計と水道企業会計の審査を行う。岩根中学校西側の狭隘なバス通りの測量が行われる事や市営住宅からの退去が続き入居世帯の減少が続いている事、中野畑沢線の新宿交差点の設計協議が整えば平成30年には交差点改良工事が行われる事、矢那で下水の圧送管から腐食による漏水事故が有った事、郷土博物館の入館料を無料にする検討が進められている事などが議論で明らかに成った。私からも袖ケ浦市で学校の教室にエアコンを一斉に設置する検討が開始されたが本市での対応状況、水道施設のうち岩根浄水場などの休止施設の統合化での対応などについて質問させていただいた。また、この日はフィリピン共和国ビスリグ市訪問団のうち市議会議員の方々が委員会審査を傍聴するとか議場において行われる議員間での意見交換のため正副議長や傍聴議員の多くが途中退席するなど通常では有り得ない委員会運営を迫られたが議論は順調に進行し、最終日も午後5時を回るまで委員会は継続され、付託議案は全て委員会可決で終了した。
16日は午前中に雑件を片づけ、昼前に駅前庁舎に登庁して翌日の委員会運営の準備を行う。この日は
地方創生特別委員会協議会
が開催され、オーガニックアクションプラン(案)の報告が行われる事となっていたが委員会資料は7日の総務常任委員会と同じであったため傍聴せずに視察報告資料などを修正していた。
午後3時を過ぎて帰宅し、夕方には恩師を偲ぶ会に出席する妻子を都内まで車で送っていった。連休中には友人の結婚式に出席するなど都内や埼玉での用事が続くので暫く実家に戻ることを進めたので数日間の独身生活を送ることになった。
17日は午前中に岩根小学校の卒業式に出席する。東日本大震災の春に入学した子どもたちが立派になって卒業していくと考えると感慨深い。
い 卒業生は入学時と同じ64人であるがそのうち6人が岩根西中には進まないという事である。逆に西中には2人の転入があり60人体勢で開始されるようだ。来年度から学校再編課が設立される、岩根西中も対象校となり、地域の方にも不安が広がっているようで卒業式の後の懇談の場でそのような質問を受けた。新年度には学校再編課も出来るので、具体的なスケジュールが無い段階から地域での議論が行われるようにしなければと考えさせられた。
卒業式を終えて市役所に行き、委員会資料の確認を事前に済ませて、午後1時半から
基地対策特別委員会協議会
を開催する。この日の議題は下記の通りである。
番号
内容(件名とは異なる)
関係部
協
議
会
No.1
米海兵隊MV-22オスプレイの定期機体整備に関する連絡体制
企画
No.2
平成29年度防衛関係予算の状況
企画・財務
No.3
江川総合運動場拡張事業等の進捗状況
市民・都市
No.4
行政視察の報告
-
No.1は過去の委員会でも話題になっていた非常時等の連絡体制を委員会に伝えるためのもの、No.2は防衛省が直接実施する事業と市が防衛補助事業を行うものを明らかにするもので江川運動場の進捗と消防庁舎の工事実施の関係で予算規模が例年以上に増大している事を確認するもの、No.3は進行状況の管理で現地は27日の教育民生常任委員会の現地調査で確認するものである。行政視察報告は全ての質疑を記載したので長文となり、最終日の委員長報告は簡便に行う予定にした。
委員会終了後に同僚議員から知事選に立候補している松崎候補が木更津駅東口で街頭演説を行っていると聞き見学に行く。すると聴衆も無く、知事選の盛り上がりが低調であることを改めて実感した。帰宅後は独身なので友人を誘って飲みに出かけてしまった。
18日は市民まちづくり塾の『太田山竹取物語』の活動で朝9時から汗を流す。午前10時半から翌年度の市民協動事業採択のため、市民活動支援センターにおいて行われるプレゼンテーションに同行する。作業中なので汚れた服装のままであったが、理解は得られただろう。
伐採した竹を降ろして荷物を片づけた頃には午後5時となっていた。疲れはしていたものの帰宅後に事務所に籠もりHPの更新などを行った。
19日は江川区の『溝払い』で朝8時から地域住民と供に水路清掃に汗を流す。午前中に終了して市内で所用を済ませてからイオンモールに行き今年での新入職員が行う『きさ恋』というイベントを見に行く。時間も遅かったので既に終了間際と成っていた。
帰宅後にHPの更新を始め夕方に江川海岸までダイヤモンド富士を見に行くが空気の透明度が悪く綺麗な景色を見ることは出来なかった。ただ連休中だけに駐車場は多くの県外ナンバーで混雑していた。
20日は実家に帰っている嫁に荷物を届け、その足で群馬県みなかみ町まで移動する。沼田より北はまだまだ雪が多い。ホワイトバレースキー場で2時間ほど滑り、前日に全通した国道17号バイパスである「上武国道」を走って妻の実家に戻って宿泊した。
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2017年3月下旬の記録