68.11月中旬の活動記録
 11日は朝から娘の子守を行い、夕方には茂寿司で開催された高柳・江川・万石・西山区合同懇親会に出席した。これは昨年度まで小櫃堰の理事や農業委員の協力のために行われていた西山・万石懇親会、および農業用水の上下流になる西山・江川懇親会が農業委員の法改正で選出区が変わった事による枠組み変更の会である。岩根東西の農業委員と推進委員が揃う中で多くの意見交換をさせていただいた。
 
 12日は朝から市民まちづくりの活動として千代田区の主催する自然観察会の協力で富来田公民館からいっせんぼくまで現地案内をする。
 千代田区では約60名の児童を対象に年4回の自然観察を企画し、春の干潟観察、夏のすだて体験に続く秋の源流探索という位置付けのようで冬には海苔梳きを行うようだ。私は植物を説明するような知識は持っていないが、地域での猪被害の状況を説明すると、都会から参加した大人達が驚いていた。
 富来田公民館まで帰ってきて、お昼御飯の後に発表会を行うようだが、私は案内が終わったので会場を離れ、農協本店で開催されている収穫祭を見学に行く。天候に恵まれ多くのお客が来られており、購入を考えていた幾つかの商品は既に売り切れていた。旧知の役員や職員に挨拶をして会場を離れる。
 一旦自宅に戻って車を車庫に止め、14:16の路線バスで街中に出て、5年前に廃業しレトロ建築な建物が今も残る人参湯に向かう。
 ここで午後3時から開演される『銭湯で、日本酒片手に音楽を。』という音楽フェスティバルを楽しむ。テーマに併せ、脱衣場だった所には出店が並び、私も松本佳奈さん、他4組のライブとともに日本酒を堪能して帰宅したので、翌日の視察の準備もまま成らず、早く布団に入って寝てしまった。
 
 13日は朝3時半に起床して仕事を片づけてから出張の荷物を準備し、同様に朝の早い妻を6時半に見送ってから娘をいつもより1時間半早く保育園に送り、朝7時半に駅前庁舎前に集合する。バスは富津市と君津市の議員を乗せて到着し、私達が乗り込んだ後は袖ケ浦市役所で残りの議員を乗せてからバスはアクアラインを渡り、四市の議員で構成される賢友会の宿泊視察が始められた。参加者は四市の市議と吉本・森両県議に事務局の浜田事務所を加え32名である。まず、初日の午前中は東京湾の対岸にある海上自衛隊横須賀基地を視察する。
 途中の渋滞も想定し、10時半から研修を開始する予定としていたが渋滞もなく早着してしまったので三笠公園に立ち寄って時間を潰してから自衛隊に入る。この日は訓練で護衛艦が全て出てしまっていたので資料館等での説明が中心になった。
 自衛隊の基地から対岸の米軍基地及び艦艇、米軍基地に係留されている自衛隊の潜水艦群も見えているが写真撮影は禁止された。手前の公園や湾内クルーズからは自由に写真が撮れるのに、日米の約束は窮屈に運用されていると、岩国や三沢と同じことを感じる。
 海上自衛隊の防衛体制や護衛艦の現状などを研修した後は隊員食堂で昼食を執って研修は終了となり記念撮影を撮る(石井議員提供)。
 
 その後、鎌倉に立ち寄って鶴岡八幡宮を参拝してから横浜に移動し、宿泊場所兼総会場であるローズホテルに到着する。日中に都合が付かず総会から出席する議員も多く、人数は約40名程度となった。
 賢友会の総会を終えて記念講演が始まる。講師は小此木国家公安委員会委員長・国土強靱化担当・内閣府特命担当大臣(防災)であり、日本の治安の改善と同時に進む孤立化の問題や、浜田代議士との友情についてのお話を聞く。その後は大臣も交え懇親会となり、他市の状況等を勉強させていただいた。
 
 14日は朝9時にホテルを出てバスで大田区へ移動する。朝のうちに帰郷した者もあるなど、フレキシブルに参加できる近隣での企画内容は各市2名の若手議員が会議を重ねて決めたものであり努力を労いたい。到着した施設は埋立地の物流地区の中にあり、最寄りの住居地域から1kmも離れている環境であった。
 
 視察項目 臨海部広域斎場について
 
 臨海部広域斎場は東京都大田区に位置し、5区から成る一部事務組合で運営されている火葬場10炉と葬儀式場を併設する総合斎場である。構成する5区と我々のかずさ四市の概要は下表の通りである。
区名 人口(H29.10.1) 面積 (ku) H29一般会計予算(万円)
1 港区 253,407 20.37 16,615,000
2 品川区 386,905 22.84 16,453,600
3 目黒区 276,564 14.67 9,265,209
4 大田区 723,267 60.66 26,185,893
5 世田谷区 899,507 58.05 29,879,410
合計 2,539,650 176.59 98,399,112
△視察先の5区  ▽かずさ四市
1 木更津市 135,461 138.95 4,372,000
2 君津市 84,221 318.81 2,941,000
3 富津市 44,449 205.53 1,681,000
4 袖ケ浦市 61,639 94.93 2,397,000
合計 325,770 758.22 11,391,000
 東京23区内には都営1、民間7の火葬場があるが死亡者が増加するの中で火葬場の新設は地方公共団体しか認められなくなり、火葬場と葬儀式場の不足が予想された。平成6年に5区(当時は港区の替わりに渋谷区が入っていた)で都営の施設建設を要望したが、平成9年からは5区での設置を目指して協議を開始し、臨海部広域斎場組合を平成11年10月20日に設立させ、平成16年1月に開場に至っている。組合の運営は各区の担当部課長から成る運営会議で方針が決められるが、組合議会は各区の議長だけで構成されており、その点は民主的な運営とは言い難い。
 建設事業費は総額92億2100万円で、うち工事費等は47億2730万円である。構造は鉄筋コンクリート2階建で延べ床面積は約7,600uと、木更津の火葬場整備運営事業基本構想に示す建物面積3,905uのおよそ2倍の規模である。これは木更津では民間の葬祭式場が多いため、その機能を含んでいないからであり、都内では式場を持たない葬儀業者が当該施設を利用して事業を営んでいるようだ。管理運営経費の不足分の負担方法は10%が均等割りで残りは当該年度の利用率で按分している。因みに年間の管理費用は約7億円程度である事に対し収入が4.5億円程度なので毎年2.5億円程度を5区で負担しているようだ。また、建設費のうち火葬場部分の公債費は都市計画交付金申請割合での按分という事だが、この難しい方法は参考としないため質問しなかった。
 木更津市の火葬場は平成52年に需要のピークを迎え年間4,582件の火葬が行われるとされているが、当該施設では構想と同じ10炉でも昨年に7,177件の火葬実績を記録している。これは休館が年末年始の3日間と、それ以外は年に4日しか休まない上、日最大30体を焼けるという稼働効率の高さにもよる。
 木更津市基本構想では年間稼働日数を300とし、日最多件数を24.7で想定しているが、この実績を見ると炉の数は8基程度で充分ではないかと考えてしまう。因みに人口254万人のエリアで7,177件の火葬という数は少ないが、現在でも65%が民間の火葬場に流れているとのことであった。なお、職員に休館が少ない理由を聞くと、都内では「友引」を敬遠する事も少なくなり、また葬儀を行わずに火葬だけを行う割合が4割に達しているという事である。式場の予約は7〜10日待ちであり、そのため遺体を保管する冷却庫も24基設置されており、木更津市でも火葬だけを希望する人が前日のうちに持ち込むケースを想定すると、保冷庫は必要な施設になるかも知れない。
 建設時期が平成14年頃なのでPFIという手法が執られず設計プロポーザル方式での事業となった。建設から13年が経過する中で炉の増設や交換も行われてきている。面積こそ我々が4.3倍であるが、人口では先方が7.8倍、一般会計の予算規模においては8.6倍となる地域の広域事業であるが、大変参考になった。
 
 視察を終え、都内で昼食を執り、午後に議員全員協議会があるためレンタカーで先に帰る袖ケ浦市議会のメンバーと別れ、それ以外の者は靖国神社を参拝し遊就館の見学を行う。遊就館に展示してある「彗星」の復元は昭和56年に木更津基地で行われたと掲示されているが、それを知る市民も少なかろうと思う。
 木更津には午後4時を回って帰り着き解散する。議会質問の整理と資料作成を始めたが疲れて早めに休んでしまった。
 
 15日は午前中に私的な仕事を片付け、午後から議会質問の事前打合せを所管課と行い、帰宅してゴミ置場に関する立会を終え、事務仕事を行っていると妻から電話があり、娘の熱が高くなっているので保育園に迎えに行って欲しいとの事なので仕事を打ち切り、お迎え後は子守と看病をしていた。
 
 16日は仕事を休む妻に娘をお願いして午前中に質問項目の再整理を行い、昼から駅前庁舎で諸調整を行った後、午後2時からは20日に開催される君津広域水道企業団議会に上程される議案の説明を受ける。帰宅してからHPの更新を行ったが、例によってボリュームが多く、夜中まで作業が必要になった。
 
 17日は一般質問の通告の日である。前回は時間前に役所に行き一番に籤を引いて最後に成ってしまったので、今回は市内で所用を済ませ、朝日庁舎で簡単な打合せを行ってから駅前庁舎に移動して10時過ぎに通告する。通告の内容は下記の通りである。
個人質問通告書(平成29年12月定例会)
平成29年11月17日
木更津市議会議長   齋藤 高根 様
質問議員氏名(11番) 近藤 忍
下記のとおり発言したいので、会議規則第62条第2項の規定により通告します。
大綱・要旨項目
質問事項1 大綱(大項目) 社会資本の諸課題について
要旨(中項目) 要旨(小項目) 関係部等
(1)道路 @都市計画道路の課題の共有化
A都市計画道路の柔軟な事業化
B既存市道の道路等級の問題点
C開発行為での道路構造の課題
D中野畑沢線の信号処理の改修
E道路用地の取得手段の改善策
都市整備部
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(2)橋梁 @橋梁長寿命化計画修正の課題
A既存塗装中の有害物質の状況
B歴史的価値のある橋梁の保全
都市整備部
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(3)公園 @公園の地域的偏在状況の対策
A太田山公園内の遊歩道の整備
都市整備部
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(4)護岸 @高潮被害の状況と今後の対策 総務部
(5)鉄道 @総武線快速電車停車の事業化
Aバリアフリー化への取組状況
B東日本旅客鉄道との協議状況
企画部
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 10時を回っているのに私が4番目で、引いた籤は13番だった。この後の人数によって何日になるのか確定するので良いのか悪いのか解らない順位である。通告後には上記の質問に関して経済部と打合せを行い、午後からは千葉県と千葉県高圧ガス地域防災協議会が木更津市を会場にして行う「高圧ガス輸送車等防災訓練」を閲覧する。これは昭和52年から開催されたもので今回が第41回となり、訓練参加者は185名となるものである。訓練は@アンモニアガス漏洩時の処置訓練、A空気呼吸器装着訓練、B校閲ガスの破裂・逆火実験、C酸素・液化石油ガス輸送車防災訓練(写真)と多彩に渡り、様々な場面に高圧ガスが使用されている実態を改めて実感することが出来た。
 
 訓練が終わり議会事務局に行き、通告者数を聞くと16人であり、私は質問順序9番目となり、6日(水)の14:10に決まりそうだと確認して帰宅し、HPの更新作業を行った。翌日に予定されていた子ども祭りが日曜日に延期となることを知ったので、夜になって仕事から帰ってきた妻と娘を乗せて埼玉県の実家に移動して宿泊した。
 
 18日は妻の実家で、近所で用事の有る妻の替わりに子守を行う。天気が続けば公園でもと思ったが小雨も降り、娘も眠そうだったので読書を楽しんでいた。
 
 19日は素晴らしく晴れた中で妻の実家から木更津に戻り、子ども祭りとナチュラルバルを妻子と供に楽しんで回る。
 午後2時を回って片付けが始まる頃に自宅に戻り、実家からの荷物を降ろして片付けなどを行った後に着替えて、日も暮れたたんぼ道を徒歩で茂寿司まで歩いていき、岩根4丁目の元区長さんであり初代岩根西区長会会長の山口さんの自治功労祝賀会に出席し、地域の方々と色々意見交換をしてきた。
 
 20日は朝から自宅の事務所で議会質問資料を作成し、11時から新田の庁舎に登庁し君津広域水道企業団議会に出席する。この建物は水道事業の広域統合化後も書類置き場や議場として使用する予定だと前回の議会で確認させていただいている。私は2年前から議員であるが6月7日に辞職して翌日に再任された事になっているので冒頭で新たに議員となった事の挨拶を行った。同じく君津市議会の枠が池田市議から三浦市議へ、千葉県議会の枠が川名県議から吉本県議に変更となった。議案は前年度の決算と補正予算であり、16日に事前説明を受けているためあえて質問しなかったが、議事録に残すことも必要かなと思った。
 午後からは駅前庁舎でタブレット端末の基本操作に関する研修に参加する。パソコンの使用法はそれなりに詳しいと思うがタブレットのスイッチの位置など基本的な事に成れとかなければ翌日の会議システムの研修に戸惑うと感じて参加したのである。皆が戸惑いながら新しい取組を開始した瞬間である。
 研修会の後は自宅に帰り私的な仕事を行う。終了後にHPを更新するつもりであったが、あまりに寒くて夜中の仕事を放棄してしまった。
 
 
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2017年11月下旬の記録