23.8月中旬の活動記録
 11日は娘とともに岩根4丁目会場でラジオ体操を行い、朝食後は娘を連れて鳥居崎海浜公園プールに行く。2時間ほど遊んでから娘を連れて袖ケ浦駅北口に開業した商業施設を見学に行き食事を摂る。新しいためか多くの来客が訪れており、岩根周辺からも集客しているのだろうかと考えながら施設を見学した。
 帰宅の頃に雨となり、ゲリラ豪雨に襲われる中で帰宅する。昼寝してくれない娘も事務所に連れて行きHPの更新作業を進めるが娘に次々と邪魔をされ進まない中で、夕方に娘の子守から解放され、中学時代のクラスの同窓会に出席して充分に暑気払いを行った。
 
 12日は娘とともに江川会場でラジオ体操を行い、午前中は娘を妻に任せて事務所に籠もって真庭市視察の整理を行う。昼からは娘を連れて近所に夏の挨拶周りを行い、午後3時から妻子と供に東京ドイツ村に行って娘をのびのびと遊ばせた。
 
 13日は娘とともに万石会場でラジオ体操を行い、保育園に送った帰り道に近所の挨拶周りを行い、午前中は溜まってきたHPの更新作業を片づける。午後から市役所で執務を行い、夕方に娘を保育園に迎えに行って、お盆の迎え火を家族で行う。その後は夜の打合せで自宅を抜け、帰宅後に仕事をした。
 
 14日は娘と婆とともにお墓参りをしてから久津間会場でラジオ体操を行い、保育園に送ってから駅前庁舎に行って執務を行う。
 10時から鳥居崎公園で開催される木更津港まつりの修祓式に出席して議会を代表して玉串を納め、直会に参加した後で一旦解散し市内で買い物を済ませてから娘を保育園に迎えに行く。仕事から帰った妻に娘を預けて午後4時過ぎに港まつり本部に異動する。
 設営や警備で待機している人達に感謝を伝え、岩根西まちづくり協議会の連に挨拶を行い、本部テントに座ってやっさいもっさいの開会セレモニーを見届ける。踊りが始まってから着替えて岩根西まちづくり協議会の連に加わって最後まで踊り、夜は協議会スタッフの打ち上げに参加した。
 
 15日は娘を連れて岩根小学校まで行くが、直前で体操したくないと泣き叫ぶ娘を自宅に連れ戻したのでラジオ体操は欠席する。朝のうちに花火大会見学の準備を手伝い、10時半に駅前庁舎に登庁する。
 10時50分に駅前庁舎の横に付けた日本製鐵のバスに実行委員会の皆様とともに乗車して入港船訪問へ出かける。これは木更津港の安全と繁栄を祈って行われるセレモニーであり、今回は日本製鐵君津製鐵所に着岸している鉄鉱石運搬船のNSU PRIDE号で開催された。
 全長約333mで約25万tを積み込むことが出来る船であるが、岸壁に設置されている諸設備も大型のものが多く、スケール感がピンと来ないまま乗船する。船の船籍はパナマであるがNSユナイテッド海運株式会社という日本の会社が運行しており、乗員は船長を含め24人のベトナム人で、6月9日にブラジルの港からシンガポールを経由して7月30日に木更津港に着岸、荷下ろしを終えたので15日の14時に出港して排煙の環境対策工事のために中国の上海に向かうという事である。船員確保のために運行会社もベトナムに海事学校を開設して育成しているそうで、ベトナム人の確保競争はここでも生じていたと実感する。
 セレモニーと会食が終了して駅前庁舎に戻り、事務局と翌週の日程について打合せて一旦帰宅する。花火を見に来た妻方の家族とお茶してから花火大会会場に行く。祭りの広場を見学し、近隣市の市長や議長の接待を行ってから本部に移動し、19時からの点火式を市長や野口実行委員長とともに行う。 
 点火式の後も木更津市の花火大会や港まつりの解説を近隣市の来賓の方々に行う。他にもナイジェリアやインドネシア、ガーナの各大使館の方々も本部に来られていたが、そちらは市役所の担当に任せた。
 
 本部からの花火も綺麗であったが、近隣市の方々が少し早めに退席した頃、親戚の待つシート席に移動し最後のフィナーレを満喫させていただいた。今年も花火スポンサーの皆様に感謝である。
 
 16日は中里会場でラジオ体操を行い、そのまま鳥居崎公園に行ってゴミ清掃のボランティア活動を行う。アクアコインのボランティアポイント対象に成っているためかは解らないが、多くの参加者があり、個人的には焼き鳥の串が多いなと思いながらゴミを拾った。
 風が強いため砂まみれに成ったまま自転車で自宅に戻ってシャワーを浴び、荷物を整えて妻子と夏休みの家族旅行に出かける。少し渋滞している中央道を韮崎で降り、明野のひまわり畑とまきば牧場を見学して長野県佐久市の春日温泉に宿泊した。
 
 17日は午後から開催される第16回学校支援ボランティア交流集会での挨拶を副議長に任せて夏休みを続ける。涼しい
美ヶ原高原に移動してハイキングを楽しみ、信州蕎麦を食べてから帰路に着き、渋滞している関越道を所沢で降りて妻の実家に立ち寄る。翌日の荷物を整理して妻子と別れ一人で帰宅した。
 
 18日は岩小会場でラジオ体操を行い、第37回君津地方PTAバレーボール大会開会式は副議長にお任せして、娘が借りていた絵本を図書館に返却してから集合場所に行き、相乗りで保田海岸まで移動して木更津市役所トライアスロン部のメンバーとともに練習を開始する。皆がスイムの練習をしている間はテントの下で荷物番を努め、12:50より木更津まで約40kmの自転車走行を開始した。
 
 木更津のアメダスデータでは35.4度を記録する猛暑日の自転車走行は流石に厳しく、途中2回の休憩所で大量の水分補給を行ったが、25日の大会本番がこのような陽気や日射しだと厳しくなると実感する。
 木更津に帰って車に自転車を積み込み一旦帰宅する。フルエントリーの人達は潮浜公園でランの練習中を続けるが、私はその間に自宅でシャワーを浴びて着替えを済ませる。因みに今回のトライアスロンは佐藤議員がスイム、私がバイクで、ランは永原議員が担当する。今回の練習会には佐藤議員も参加していたが、永原議員は家族の用事で不参加となった。
 夕方は練習に参加したメンバーでBBQを行いながら、練習会の無事終了を祝い、本番に向けて覚悟を深めた。
 
 19日は岩根西中会場でラジオ体操を行い、娘を保育園に送ってから自宅に戻って内業を片づけてからHPの更新を行う。午後からは質問通告の状況を確認するために議会事務局に行く。今回は代表4会派に加え個人質問が14人の合計17人となる事と重複調整を行わなくて済むことが明らかになった。6月定例会が3日間で終わる個人質問13人だったので、今回は4日目の最後の枠まで使う様に成ったことに安堵する。駅前庁舎を出て市内各所に立ち寄り、娘を保育園に迎えに行って夜は子守をして過ごした。
 
 20日は娘とともに岩根4丁目会場でラジオ体操を行い、娘の登園は妻に任せて8時から議長車で参議院会館に向かい千葉県南部地区議会道路整備協議会の会長として他の役員とともに国会議員への要望活動を行う。因みに他の役員は富津市・館山市・鴨川市・南房総市・大網白里市・長柄町の各議長で、要望に伺ったのは参議院が豊田・猪口・元栄・石井の各千葉県選出の与党議員、衆議院が森・松野・浜田の関連する各小選挙区選出議員である(敬称略)。10時から部屋を回り始め、最後に浜田代議士の元で要望活動の記念写真を撮影した。
 
 役員の方々と意見交換をする中で、東日本大震災で津波被害を免れ物流を支えた三陸道のように、外房側の高規格道路が必要となっているという事に改めて気付かされた。来年も要望活動が予定されているが、維持補修の重要さとともに盛り込みたい要望だと考えさせられた。
 午前中に要望活動を終え、議員会館の食堂でお弁当を食べて解散となる。私は木更津市に帰り16時から翌日の議会運営委員会に向けた打合せを行ってから帰宅し、娘を迎えに行った後、夕方は9月に議会に向けて同僚議員と意見交換を行った。
 
 
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2019年8月下旬の記録