38.1月中旬の活動記録
11日は娘を保育園に送ってから帰宅して私的な仕事を処理する。遅めの昼食後に街中で所用を済ませ、夕方からHPを更新した。夜は溜まっている報道番組の録画を見ていたが連日の疲れで早く寝てしまった。
12日は娘を保育園に送ってから帰宅してからHPの彩りになればと考えて庭の水仙の写真を撮影し、9時から順に3組の来客に対応する。
様々な打合せを終えてから遅めの昼食を摂り、午後からは事務所に籠もって私的な仕事を処理した後に翌日に期間終了を迎える意見公募の内容について作成したものの再確認を行い、表現方法などを修正する。その後は雑務を処理して速めに就寝した。
13日は娘を保育園に送ってから駅前庁舎に行き会派室で印刷してから各課に
意見公募
の書類を手渡しして回りながら含意を伝える。基本的に委員会で発言した項目については言い残した重要なことが無いのであれば意見を提出しないようにしたので、15件中8件だけとなったが他の市民からも意見はあまり寄せられていないようだ。途中に富津市で打合せを済ませてから回ったので帰宅は午後3時を回っていた。夕方は後援会長と春の統一地方選挙に向けた日程等の打合せを行ってから保育園に娘を迎えに行き、夕食を食べてから夜中にHPを更新した。
この日は金曜日なので一週間の新規感染者数が発表されたが先週より732人増加した1,353人となり、第8波として最多であった。
先週は年末年始で検査が少なかったので低い値となっていただけであることが明らかになり落胆する。重症化しやすいわけでは無いのに感染による死亡者数が過去最高を記録している理由は、感染を報告していない事例が多いためで、実際の感染者数は数倍だと言われている。中国のような現状との乖離の激しさはないが、上記のグラフもどの程度実態を反映しているのかと問われると日本でも自信が持てない状況である。
14日は朝からスッキリしない天気であるが暖気が入って寒くはない。この日も売却する土地の農地転用に関する打合せを行った後に後援会役員の元に今後の選挙日程のご案内を届けて回り、午後からは娘を歯科医院に連れていく。初期の虫歯が見つかり来月から治療を始めることになるが年度末の忙しい頃に合致して仕舞うなと思いながら帰宅し夕食を摂り、風呂から上がって防寒着を着て録画が溜まった番組を夜更かししながら遅くまで見てしまった。
15日は朝寝坊して起床し雑務を処理してから妻子を連れて年始の挨拶に回り、買い物をして帰宅する。前夜に夜更かししていたので早めに就寝した。
16日は娘を保育園に送ってから新年の挨拶回りに市内を回り、帰宅してから来客対応の後は夕方まで私的な仕事に追われて過ごす。日没後に同僚議員の御家族の通夜に顔を出し、この夜から選挙に向けた準備を開始した。
17日は娘を送ってから帰宅して私的な仕事の対応を行う。昼前に市役所に行き会派室で作業を終えた後にコンビニの昼食を摂り12時半に出発する市のバスに乗車して
県南市議会議長会議員研修会
が開催される山武市成東文化会館へ移動する。木更津JCTから圏央道を経由して会場には13:40に到着した。14時から開催される研修会は山武市長等の挨拶の後で株式会社てっぺん代表の大嶋啓介氏による「自分の心が変われば、周りも変わる」と題した自己啓発系の講演が行われた。
20cm飛べる蚤を10cmの容器に入れて蓋をして3日間経つと10cmしか飛ばなくなること、その容器に20cm飛ぶ蚤を改めて入れたら変わることを人間社会に置き換える話術には感心し、自らが周りを変えようとしていないことを自覚する機会と考えると、娘がこれから小学校に進む中で反映しようと思う点は多い。
申し訳ないが過去に聞いていた話も多いと思っていたが、袖ケ浦の議員の質問で青年会議所の研修で衝撃を受け、それを境に自ら進んできた道だと知って納得した。私のように同じ話を聞いて納得している人も多い中で、私よりも10年も若い講師が青年会議所との出逢いを経て、自らの会社を変え業界を変え社会を変えるために講演活動を進めている姿勢に改めて敬意を表したいし、多くのスポーツ選手や企業活動を含めて様々な人の人生を変えたことに実践の力を感じさせていただいた。木更津に帰り情報交換後に路線バスで帰宅し、夜中にHPを更新した。
18日は娘を保育園に送ってから事務所で選挙用印刷物の検討を行い、午後からは印刷会社と打合せを行う。その後に私的な仕事を処理してからHPを更新し、日没後に娘を迎えに行って夕食を摂り、風呂から上がり防寒着を着て録画が溜まっていた報道番組を夜遅くまで見た。
19日は娘を保育園に送り銀行で用事を済ませて帰宅し10時に江川区集会所に行って役員会議に出席して手当や規約の変更等について打合せを行う。集会所で役員の皆さんと弁当を食べてから自宅に戻り、車を木更津駅西口立体駐車場に停め13時に庁舎北側を出発する貸切バスに乗車して
かずさ四市市議会議長会議員研修会
が開催される富津市役所へ移動する。直接自分の車で行っても良かったのだがバスが有ると聞いて乗車率を高めねばとの判断である。14時から開催される研修会は富津市長等の挨拶の後で株式会社地方議会総合研究所代表取締役の廣瀬和彦氏による「議会における政治倫理〜パワハラ・セクハラ〜」と題し全国の議会で生じた事例を紹介しながら講演が行われた。
先輩議員による後輩議員へのパワハラは再現ビデオを使っていたが似たような例は昔有ったななと思いながら楽しく話を聞く。職員に対するセクハラや職員からの逆パワハラなどそんな事例もあるのかと思わされる話しも多く、倫理条例があるからと安堵せず襟を正さねばと考えつつ講演を聴いた。
帰宅してHPの更新が滞っているなと感じたが翌朝も早いし前夜も寝不足だったので問題は先送りにして早めに就寝した。
20日は朝7時50分に集合し庁舎北側を出発する貸切バスに乗車し総務常任委員会の日帰り行政視察を行う。委員会からは金田と岩根の4人の議員に佐藤議員が加わり、議会事務局から1人と危機管理課から3人の職員も同行している。議員は金田で集合すれば良かった等と言いながらアクアラインに乗る。昨日から話題のザトウクジラが見えるかと目を凝らしたが解らないままトンネルに入り、首都高速で八潮市には予定より早く到着した。八潮市議会の寺原議長もお越しになっていたので予定より30分早い9時半から議長の歓迎挨拶を受けて視察を開始する。
1.
埼玉県八潮市
市制施行 昭和47年1月15日
人口 92,339人(令和5年1月1日現在)
面積 18.02km2
令和4年度一般会計予算額 377億8千万円
財政力指数 1.01 (令和3年度)
視察項目
地区防災計画作成の取組について
埼玉県内で事業所の数が川口市・さいたま市に次ぐ3位である八潮市は綾瀬川と中川に挟まれた低地であり河川氾濫による洪水被害が心配される都市である。つくばエクスプレスの開業で人口増加が続きマンションや団地だけの自治会も誕生し、市内には44の自治会があるがその全てに自主防災組織が結成されている。自主防災組織は自治会単位で構成され防災組織の長は自治会長が担っている事例が殆どである。
令和2年度から各自主防災組織で地区防災計画の作成を開始し最初に立候補した柳之宮地区をモデル地区に東大の協力と取りまとめをコンサルに委託して最初の計画が完成した。令和3年度は作成の意向がある3地区で作成を進め、順次全地区での策定を目指していくということである。
八潮市の防災対策の特徴は令和3年度より地域の防災力を高めるため防災士を世帯数に応じて各自治会に1〜3人を配置することを目標にして最終的には61人となるよう受験料の全額を補助していることと、自主防災組織が設立してから20年を越えた場合は5年ごとに世帯数に応じた資機材整備費を助成していることである。制度が出来る前から市内に防災士は40人は居るのであるが個人情報保護のためどの地区に居るのか把握していないし防災士取得後の研修等の費用は負担していない。また既に制度を利用して防災士を取得した地区には防災士が引退するまで制度の利用は出来ない。市の職員も防災士の取得を進めているようだ。
各種の基準となる世帯数は自治会の世帯数で全世帯に占める自治会加入世帯は42.4%であり、自治会未加入者への対応が課題であることは本市と一緒である。避難所は市内に22箇所であり同じ避難所を共有する自治会間での調整や合同訓練も今後の課題と考えているようだ。その点は避難所開設訓練を行っている本市が先行している。国士舘大学の協力を得て子ども防災マスターという学習を行うことや食糧備蓄が市民全員の4日分を用意していることなど本市より進んでいる取組が多かった。
11時に視察を終えて議場を見学する。現在新庁舎が建設中で昔ながらの議場は傍聴席が高く、議会内では感染症対策のため座席を一つおきにしたため席が足りなくなり議席番号の多い議員は会議机で発言用のマイクがなかった。各席にはヘルメットが置かれており潮見庁舎の時代を思い出させた。
近くのお蕎麦やさんで早めの昼食を摂り渋谷区役所に移動する。首都高の渋滞もなく早めに到着したので少しの自由時間が確保された。
そこで15階の多目的フロアを見に行くと木更津市の中央公民館前の自習スペースのような空間が広がっていたが、そこで勉強する学生はおらず昼寝をしている若者の姿が目に着いた。また展望の良い空間でボッチャが出来るようになっており、これは東京パラリンピックのレガシーかなと思った。
午後2時に全員で13階の議場を見学する。令和元年に完成した庁舎の議場は窓も広く子供連れの傍聴席や車いす対応のエリアがあるだけでなく、14階の廊下からはガラス越しに斜め上から傍聴出来るようにその廊下には音声が流れる仕組みにしていた。ここも議席には簡易なヘルメットが収納されていた。
議場を見学した後で8階の災害対策本部室へ移動し、予定より45分早い14時15分から本日2箇所目の視察を開始する。
2.
東京都渋谷区
区制施行 昭和7年10月1日)
人口 229,412人(令和5年1月1日現在)
面積 15.11km2
令和4年度一般会計予算額 1,062億67百万円
財政力指数 0.96 (令和3年度)
視察項目
防災対策について
渋谷川が暗渠になっている渋谷駅前は浸水被害が多発しており、また夜間人口に比べ昼間人口が30万人以上多いため災害時の帰宅困難者への対策やハロインの人口集中による災害が課題となっている。都市部のため防災訓練への参加者も少なかったが令和4年度から開始した防災キャラバンは各戸にチラシを入れキッチンカーや体験できる消防はしご車を配置し飲食ブースを設けることなどで多くの区民が参加した。
災害対策本部室は110インチのLEDモニターが3面並び、東京ガスが作成したシステムで災害情報が地図上で把握でき、各種報道もマルチ画面で確認できる。8階では本部室に隣接した防災課執務室以外は全て会議室となっており災害時は警察や消防の災害対策班が展開できるように配慮されている。
避難は学校を中心に33箇所が指定され4人の職員で開設される設定となっているほか13箇所の自主避難所は区の外部団体である渋谷サービス公社の職員が運営する設定になっている。5地区で開催された防災キャラバンの予算は1箇所あたり3百万円と企業協賛金で運営されたようで木更津市の財政では難しいと感じた。また隣接する他区とはシステムの統一は行われておらず情報の共有は課題となっている。地理に不慣れな訪問者が多いことを想定し災害時の一時避難所へ誘導する矢印をアート作品として展開しているところは渋谷区のセンスの良さだと感心した。また英語の避難マップを作成するなど国際都市としての対応も進められていた。財政事情や面積及び人口で木更津市と異なる部分は多いが、各種のアイディアには参考になる点が多い視察であった。
木更津への向けてアクアラインを渡る頃に西日が沈み始め、上空を報道用と思われるヘリが飛んでいた。クジラを追いかけているのだろうと思いながら視察は終了した。予定より早く木更津に戻ってこられたので保育園に娘を迎えに行き、夕食を摂った後でHPを一気に更新した。なお、この日に発表された市内の一週間の新規感染者数は先週より463人減少した890人となり、波は大きな上下を繰り返し始めた。
今週は祭日もなかったので検査は通常通りだったと想定される。従って収まり始めたのかと推察するが断言は難しい。4月からは感染症5類相当に変更しマスクの着用は自由になるという報道もあるが、感染者数が高止まりし、高齢者の死者数が多い状況下でどの様に振る舞うべきか各自の判断でどこまで防げるのか疑問が尽きない。
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2023年01月下旬の記録