48.4月下旬の活動記録
 21日は新宿交差点で朝の挨拶活動を行おうと向かうが交差点には本人不在のまま新人の幟が立ち並び場所取りが終わっていたので火曜日にも立ったあじさい通りの交差点に移動して挨拶を行う。第一小学校に入学した娘の親友から声掛けいただいたことが嬉しかった。
 自宅に戻って自転車遊説の準備を済ませる。週始めの予報では金曜日は雨であったが良い方に外れて今日も晴れている。前回は雨で活動できない日もあったが今回は天候には恵まれた選挙戦になった。しかし4月の選挙とは思えないほどの暑さである。朝から気温が上がる中、すっかり日焼けした顔で街中に移動し、吾妻公園や木更津駅前などで街頭演説を行うなど足を止めた活動も行い、午後からは岩根地区で最後のお願いに回る。
 結局この日の最高気温は25.3℃まで上昇して夏日となった。暑さに身体が慣れていない中で疲弊して来たが自転車での遠征遊説活動は実質的には最終日である。また金曜日なので市役所から新型コロナウイルス感染者数の情報が届く。今週は先週より21人増えた48人となったが、まだ低めで安定しており安堵する。この48人の中には前日に発表があった渡辺市長も含まれている。選挙終了後に仲間の議員に対し当選を祝いに行けないことが残念だろうと心中を察する。
 
 22日は選挙戦の最終日で前日とは打って変わり肌寒い朝である。この日に娘が入学した岩根小学校では授業参観とPTA総会が行われる日であるが最終日なので全てを妻に任せて選挙活動に専念する。
 早朝から西山の交差点で朝の挨拶活動を行い、朝8時を回ったところで街頭演説を行う。その後は歩いて西山地区や万石地区、江川地区を回って翌日の投票のお願いを行う。通りかかる人の反応も良く、充実した選挙戦を送ることが出来たのかと考えながら日没前に選挙活動を終えて事務所に戻った。
 翌日の段取りを確認してからスタッフと解散し、拡声器などを外して事務所を閉めたのは20時であった。これまでの4期16年間の評価は明日であるが、一週間の慰労を行うためニュースを見ながら麦酒を飲んだ。
 
 23日は久々に朝寝坊をしてから昨日までの電話作戦結果を整理してからHPを更新する。出納の整理や事務所の片付けなどやらねばならないことはとても多いのであるが、少し気持ちも休憩である。午後から食料品などを買い出しに行き、帰宅後に妻と投票に行く。期日前投票は伸びているが当日は低調で最終的には40%前後に成りそうだと予感する。
 事務所に戻って開票会場に事務所を改造すべく椅子や机の配置を変え、庭には投光器を設置するなど応援に来てくれた友人たちと身体を動かしているうちに日が暮れた。夕食を摂りスーツに着替え、パソコンで作業をしているうちに投票時間が終了となった。
 8時を回り少しづつ人が集まり始め、10時の39.99%の開票率の段階では800票が発表される。会場から拍手も起きるが次の発表まで万歳を見送り、10時半に1400票の発表がされたところで当選祝賀会を開催した。
 万歳三唱や花束贈呈、ダルマの目入れ等を行い簡素に祝賀会を終了してから確定投票を待つこととなる。新人の吾津候補がトップ当選となることや元職の平野候補が次点に泣くなど想定外の展開も有り、選挙は蓋を開けるまで解らないと実感した。
 近隣の方々が帰宅してからも来客が訪れるなどして事務所を閉めたのは午前1時を回っていたが、風呂上がりに千葉テレビで県内の開票状況を見続けたので就寝は午前3時に成ってしまった。
 
 24日は睡眠時間2時間半で起床してスーツに着替え、6時から巌根駅前で御礼の朝立ちを行う。事務所に戻りリース品の返却などを立ち会い事務所を日常の風景へと戻すが、来客も続くなかでHPの更新も行う。
 昼前に出かけて銀行等で支払いを済ませてから駅前庁舎に行きコンビニ弁当を食べながら再選を果たした会派のメンバーで打合せを行う。
 その後は8階の防災室に移動して13:30より当選証書授与式に出席する。初めて議員が顔を揃える場になるが、色々と思惑が交差して緊張した空気も流れているように感じる。式が終わり朝日庁舎の選挙管理委員会に行って「7つ道具」を返却し、各所で所用を済ませて帰宅すると授業参観の代休で休みの娘に保育園時代の友達が遊びに来ていた。そのお母さんが後援会に入りたいと申し出ていただき、選挙終了後の最初の新規会員が入会された。友達を見送ってから雑件を処理し、その後にHPを更新してから夕食を摂った。
 
 25日は選挙戦を支えていただいた後援会の役員の方々などへ挨拶に回り、選挙遊説中に幟の竿を貸していただいた店にも御礼に伺う。帰宅してからは選挙管理員会に届け出る「選挙運動費用収支報告書」を作成し、夜は前夜の睡眠不足のために早く寝てしまった。
 
 26日も挨拶周りを続けるが雨が強くなってきたので、事務所の書類の片付け等を行う。市内各所で膨大なゴミが発生して来るのだろうと思いながら私もせっせとゴミ袋に不要となったものを入れていく。印刷会社と公費負担のポスターに掛かる手続きの打合せなどを済ませ、夜7時からは4年ぶりに開催されるきさらづスポーツコミッション通常総会に出席する。76人の会員のうち実出席が22人、書面議決が15人、Web議決での意思表明者が14人で総会は成立した。私は総会終了後の懇親会で乾杯の挨拶をさせていただき多くの方と旧交を懐かしんだ。
 
 27日は前日の雨も上がり中里ではクレーンに吊され、青空に鯉のぼりが元気に泳いでいた。選挙管理員会に収支報告書を提出し、市内で挨拶周りや打合せを行い、帰宅して事務所で江川区の役員と集会所の建設についての打合せをしている頃に学童保育を休んだ娘が帰宅してきた。
 この日は午後4時から小学校の先生の家庭訪問を受けるため妻も午後休としており娘も早く帰らせたのであるが、最近は希望者だけ訪問しているという事で、我が家は本日の3軒目で最後らしい。家庭を先生に見られたくないと云う気持ちも解るが、先生が家庭の状況を想像できないことが良いのかどうか解らない。先生にとっては仕事が増える傾向の中でやらなくて良いことが出来るのは労働環境の改善に成っているだろう。
 
 28日は近くで開店したドラッグストアーの状況を見に行きながら買い物を済ませ、設置していた木更津駅頭での遊説会の案内看板の幾つかを撤去して回り、市外に住む友人と昼食を摂り、午後からは妻の実家に持っていく娘のアルバムを造るため写真店に篭もり、夕方は居酒屋で青年会議所時代の友人が当選祝賀会を開いてくれたので出席した。
 
 29日は市場まつりを見学するため朝9時前に向かうが既に多くの人が訪れ売場の多くには長い列が出来ているなど、コロナで中止されていたイベントに対する欲求が高いことに驚かされる。
 マグロの解体ショーを遠く眺めて会場に来られていた市長や他市の議員、他多くの知人と挨拶を交わしてから会場を後にして昨日注文したアルバムを受取に行き、娘の7歳のお祝いの自転車を購入し、図書館に行って娘が借りていた本の返却と借用を済ませるなど日常活動が帰ってきた。
 午後には選挙の後始末に逐われて数日間ほど放置していたHPを久々に更新した。なお、前日の金曜日に市から発表があった新型コロナウイルス感染者数は先週より7人増えた55人であったが、落ち着いた状況を維持している事は変わらない。参考にグラフを示すと下図の通りである。
 
 来週の発表が最後になるだろうが、それ以降は人々の関心も少なくなり、日常が戻ってくるのだろうか。観光地には人が戻っており、リモートワークも減って居るのか金田の駐車場も混んできたように見えている。
 
 30日は朝から嵐のような天候で、自宅で雑件や溜まった仕事を片づけながら過ごす。連休の前半は会議も多いので自宅で過ごし、後半に妻の実家へ行きながら日帰り登山が出来たらと考えている程度である。夕方早くに仕事も終えて、夜は溜まっていた報道番組をまとめて見た。
 
 
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2023年05月上旬の記録