93.7月下旬の活動記録
 21日は未明に娘が愚図るので目が覚め寝直したところラジオ体操初日の開会イベントに遅刻する失態を演じてしまった。挨拶等の役はなかったので大過はないが運営に努力する地域の方々には申し訳ない。帰宅後には前日から作りかけていたHPを更新する。友達と遊ぶという娘を吾妻公園まで連れていき、自分は妻に木更津駅のみなと口まで送ってもらい11時発の貸切バスで日比谷公園楠公駐車場まで行き、都営三田線に乗って水道橋へ移動し都市対抗野球に出場したマジックを応援する。
 梅雨明けした都内は暑く、後楽園遊園地の狭く混雑した導線で向かう球場で災害時の避難行動を考えると多くの被災者が出そうだと思いながら真夏の日射しの元を列に並び三塁側の席に着く。日本製鉄かずさマジックが初戦で対戦するのは予選大会で苦戦する千葉市代表のJFE東日本と製鉄所対決である。
 JFEは全て社員で構成されているが市民球団のマジックは18社の社員からなるチームである。中心の日本製鉄がある君津市代表としているがかずさ四市で応援を行うべくドームに出場できた際には四市の議員や職員・マスコットも応援に出かけるのである。

 午後2時に始まった大会はマジックの先発メンバーには日本製鉄社員が1人だけであった。JFEに先行されては追いつく展開が続き3-5とリードされたまま9回の表を迎え四球や内野安打など地味な加点を行い6-5と逆転して、9回裏も押さえ3時間を超える熱闘が終了した。
 地下鉄で日比谷に戻り往路と逆に木更津に戻り最後は20時発の路線バスで帰宅した。都市対抗野球では25日の2回戦と27日の準々決勝は見に行けないが勝ち進んでいただけたら29日の準決勝か30日の決勝を見に行きたいと願っている。なお同じ日に行われた高校野球の予選では拓大紅綾はベスト8に進出を果たしたものの県立木更津高校は7-8で惜しくも敗退してしまった。それでも木更津総合と志学館を含めベスト8に木更津市内の3校が進み、今後の展開が楽しみとなった。
 
 22日は寝過ごすことなく起床し江川光明寺会場まで娘と自転車で並んで走ってラジオ体操に参加する。帰宅して朝食を取り娘を学童に送り私的な仕事を終えてからHPを更新する。市内で買い物等を済ませて水道庁舎に行き危機管理室で開催される事業運営懇談会に出席する。
番号 内容
No.1 令和6年度の実施予定工事(52件)の概要
No.2 衛星を用いた漏水調査
No.3 危機管理対策室について
No.4 その他
 No.1では既に23件(44.2%)が公告に掛けられ内10本(19.2%)は発注済みであり更に昨年度末の3月31日にゼロ債務工事として8件が発注されているという事なので早期発注の体勢は改善しているようだ。検査や発注に人的資源が足りないので有れば補助金が多い期間だけでも施行監理委託を受け入れたらと言う提案に対して発注規模を大きくすることで件数を減らし負担軽減を図っているという。まだ四市で材料の基準が違うなど課題は多いが着実に前に進んでいる。No.2はイスラエルの企業の保つ特許を利用して漏水範囲を推定することで調音調査が効率的に行えるというものであるが、全線調査する場合とコストの優位性が顕著ではない。今年度は全線(約2,900km)を調べ効果を見たいという。漏水の減少は重要な課題であるがシステム改修による系統別漏水状況を活用することも一つの手段だと考えている。No.3に関して令和元年台風で職員が泊まり続けた日数を確認すると半月を越えている者が居たことを知る。コロナでも休めないソーシャルワーカーの職員に感謝する次第である。No4で@管網保守管理業者から約20万人分の個人情報が漏洩した可能性があること、A世界的なOSの不具合が原因でネットを通じた使用受付が中断していること、B料金改定後に28件の問い合わせがあったが大きなトラブルはないこと、C158人の職員の内106人(67.1%)がプロパーとなり千葉県や各市から出向している職員は52人に減少し、今後は更に半減を目指すこと等の説明があった。私から52人の派遣の内で木更津市が23人に対し君津市はたったの3人(富津と袖ケ浦は11人)というアンバランスを指摘させていただいた。木更津市でも技官不足は深刻で余裕はないし君津市同様に企業団に転籍している職員も居ることをアピールしたのであるが、君津市からの転籍は例年多数に登るという理由もありこう成ったらしい。元凶は地域差の大きい手当だろう。
 およそ2時間の会議を終え、簡易水槽などの組立や機能の説明を受け、能登で活躍した給水車を見学してから一旦解散し、娘を学童に迎えに行って私は情報交換会の会場まで送ってもらい暑気払いを兼ねながら水道事業の現状を聞く。房総導水が県営水道と統合されるなど世の中は動いていると実感する。
 
 23日は岩根西中学校でラジオ体操を行い、娘を学童に送ってからスーツに着替えて駅前庁舎に行き会派室で作業を行ってから議長応接室に移り中華人民共和国山東省東営市人民代表大会常務委員会(議会のようなもの)梁副主任を始めとした5人の訪問団による木更津市議会の表敬訪問を議会運営院長として受ける。過去20年間で5回目の訪問ということである。因みに東営市と木更津市の概要は下表の通りである。
東営市[A] 木更津市[B] 比率[A/B] 参考:千葉県
人口 (万人) 221 13.6 16.3 628
面積 (ku) 8,257 139 59.4 5,157
市制施行 1983.12.01 1942.11.03 - 1873.06.15
議員定数 307(39) 24 - 95
 勝利油田が開発されて人口が増加し40年前に市になった東営市に対し木更津市は歴史だけは倍の長さがあるが、人口16倍・面積59倍という巨大な相手である。面積は千葉県より大きく黄河河口には自然が溢れる緑地帯や干潟も広がっている。東営市の人民代表は307人の定員であるが議会に相当する常務委員会はその中の39人だけで2ヶ月に1回の委員会(定例会のようなもの)が開催されるようだ。市長や山東省代表(県議会議員のようなもの)も人民代表から選出されるなど直接選挙ではなく間接民主主義が積み重なっている体制のようだ。意見交換後に写真撮影のため議場に入り、今は仮住まいなので狭く低いと伝えたが新庁舎完成後も決して大きく高くならないことは誰も口にしなかった。
 訪問団を見送りコンビニ弁当を食べ午後から会派室で代表質問の整理や打合せを行う。午後4時に帰宅して事務所のエアコンを入れてから娘を学童に迎えに行き
近くのスーパーに買い物に行く。市原市の牛久でこの日の全国最高気温39.0℃が記録され木更津でも35.1で前日から続く猛暑日であった。勝浦だけ30.7℃で牛久から37kmで8.3℃も違うことに驚かされる。夜になっても暑くエアコンを入れながら酎ハイを飲んで速めに寝てしまった。
 
 24日は重城病院駐車場でラジオ体操を行い、娘を学童に送ってから事務所に籠もり私的な仕事を終えてからHPを更新した。夕方に徒歩で航空自衛隊木更津分屯基地盆踊りに参加する。地元市議として招待されているが、他にも踊り手の一つである岩根西まちづくり協議会のメンバーでもあるのでユニフォームのTシャツを荷物にしのばせて会場に入る。例年とレイアウトが変わり子供用のイベントスペースが設けられ多くの子どもたちが列を成していた。踊り手の場所に着替えを置いて打合せを行い来賓席に行く。指定された私の席の右隣は重城前議長であるが、左隣が君津市の石井市長で正面が袖ケ浦市の粕谷市長という場所で開会される前の時間で麦酒を飲みながら各市の情報交換を進める。
 
 
 まだ西日が強い中で開会セレモニーを迎える。基地司令は来賓側ではなく一般客に向けて挨拶している姿勢が好ましい。来賓挨拶等が終わると踊りの時間になるので場所を移動してシャツを着替え1時間ほど「やっさいもっさい」を踊り、途中で踊りの輪から退出させてもらって来賓や地元の方々と意見交換を続けて迎えに来た妻の車で帰宅した。
 
 25日は岩根4丁目の公園でラジオ体操を行い、午前中に事務所で雑務を済ませてから北海道旅行の準備を行い、娘の準備作業も手伝ってから荷物を車に載せ金田BTへ移動し13:29の高速バスに乗って羽田空港に移動する。14時から都市対抗野球でマジックの試合もあるのであるが、午後から家族旅行で道東に行くので残念ながら欠席である。
 釧路空港に飛び降り立つと気温差15℃の涼しさに嬉しくなる。レンタカーを借りながら話を聞くとエゾシカとの衝突事故が日常的に起きているというので休業補償などの保険を上乗せする。この日は釧路のホテルまで移動して炉端焼きとザンギを食べて終了。
 
 26日は個人的に霧多布に行き厚岸でカキを食べたかったことと妻子に北方領土を見せたかったので根室の納沙布岬まで往復する。
 昆布干しの作業や牧場での大型車両など関東では見ることの出来ない多くの風景も見られて娘は勉強になっただろう。納沙布岬では晴れていたが空気の透明度が低く国後の姿は僅かに確認されるだけであるがロシアが実行支配する貝殻島の灯台は見えて国際状況を伝えることは出来た。
 
 27日は細岡展望台や多和平展望台など行きたかった観光地に妻子を連れていき、硫黄山や弟子屈湖の砂湯、阿寒湖のアイヌコタンなどを体験させてから釧路市営動物園に行き「夜の動物園」を経験する。横浜ズーラシアには比べ者に成らないが涼しいことはそれだけで素晴らしい。
 
 28日は朝から雨なので連泊したホテルを引き払い早めに空港に行きアイヌ文化の絵本を娘に読ませたり買い物や食事を済ませてから帰路につく。飛行機が遅れて乗る予定だったバスに間に合わず、次に金田に立ち寄るバスまで2時間以上も待てないので京急で品川に出て品川発のバスで帰宅した。荷物を片づけてから事務所に入りメールなどを対応をしていると疲れて早めに寝ることにした。
 
 29日は江川会場でラジオ体操を行い、朝食後は事務所で私的な仕事とHPの更新作業を行うが11時に駅前庁舎まで送ってもらいコンビニ弁当を食べながら会派会議の準備や経済部との打合せを行う。
 13時半から会派会議を行い行政視察や9月議会の質問概要の確認及び各種担当などを確認してから草刈議員の車に乗り幕張で行われる片山議員の千葉県後援会に出席する。金融政策やジェンダーに関する興味深い話しを聞かせていただき木更津に戻った。
 
 30日は岩小会場でラジオ体操を行い、朝食後に娘が参加するデイキャンプのためさとの保育園まで送り届ける。午前中に雑務を済ませてから朝日庁舎に行き来月5日に開催する予定の都市計画審議会についての事前説明を受けながら言葉の定義や基準、管理上の考え方等を確認し技術的提案を行い課題を出す。2時間ほどの意見交換を終えて娘を迎えに行き、娘のお使いに付き合ってから帰宅した。
 
 31日は早起きして万石会場まで娘と自転車で行き、朝食後に娘を学童に送ってから新盆の準備などで買い物をしながら私の看板の状況確認を兼ねて夏の挨拶まわりを始め、作業が必要な箇所も把握する。
 夕方に娘を学童に迎えに行き私は午後7時になってから妻に街中まで送ってもらう。ラジオでは埼玉県で大雨警報が発令されているというが木更津の空も怪しく黄色に輝いていた。友人達と暑気払いを始め、オリンピック期間中なので特別なカクテルも飲むがパブリックビューイングが有るわけでもなく、パリでの戦いを忘れて次は雪山で温泉とスキーを楽しもう等という話しに脱線していた。
 
 
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2024年8月上旬の記録