14.5月中の活動記録 |
11日は江川集会所に行き江川区総会に区の相談役として出席する。
57人の組長のうち36人が実出席、12人が委任状出席であり、私を含む役員8人と合わせると集会場には44人が揃う中で総会は開始され昨年度決算や今年度予算等を承認した後に教育委員会より市史編纂への協力依頼で総会は終了した。同席した市職員は人数の多さに驚いていた。
市史編纂は昭和30年代に始まる木更津飛行場に起因する航空法の制限や騒音地域からの移転事業について記録するため、記憶に残っている世代からの聞き取りを行うもので、新堀区長の手配で来月に関係者を集めた会議が開催される予定である。今では江川運動場に成っている辺りにも生活があった記録が残されることは素晴らしいことだと思う。会議が終わって帰宅し元気を取り戻した娘を連れて精米所に行き、帰宅後は娘とともに事務所に籠りHPを更新してから明日の出張の準備をした。
12日は朝の高速バスで羽田空港に渡りANA643便で会派視察に出発する。強風のため飛行機は20分遅れて熊本空港に到着し遅れて出発したリムジンバスで桜町BTに到着する。宿泊するホテルに荷物を預け、BT地下にある食堂で赤牛丼を食べてから徒歩で市役所に向かう。
政令指定都市である熊本市は市役所の庁舎の隣に議会棟が建ち、視察に使用する4階の会議室からは目前に熊本城が見えていた。午後なので逆光に成っているが各所に工事用足場が組まれており文化財の復元工事が進められていることが解る。貸与されたタブレットを使用してペーパレス研修が始まった。
1.熊本県熊本市
市制施行 明治22年4月1日
人口 735,509人(令和7年4月1日現在)
面積 390.32km2
令和7年度一般会計当初予算額 4,193億円
財政力指数 0.69 (令和5年度)
視察項目 新しい学校部活動の取組について
熊本市では令和2年度には休日部活動の地域移行を国が示したことに対して議論を開始し令和4年12月に外部有識者からなる「熊本市部活動改革検討委員会」を設けて10回の議論を行い令和6年3月に答申が出された。子供たちにとって何が良いかという視点に立ち国が示す地域移行ではなく地域と連携して学校部活動を継続する方向を選び令和9年度からの導入に向けて学校や住民への説明会や指導者の募集などを進めている。少子化で生徒数が減少したことに伴い学校単位では多様な部活動が提供できなくなっている状況を改善するため昨年度から市内4校で近接校で人数が減った部活動を統合する「拠点校部活動」を始めており、これを全市内に拡大することで現状市内の565部活を約400に集約するとともに指導者を1600人確保することで各部活に指導者を4人配置し常時2人で対応できるようにする。現状の課題として学校の先生のうち専門外の部活を担当させられ26.9%が精神的な負担に感じていることや平日の手当てが支給されていないことなども解決するように今後は任意での参加となり指導者と成った場合は正当に報酬を受けられるようになる。
地域移行を選択しなかった理由としては小学校に有った部活動を22箇所の総合型地域スポーツクラブに移行した結果、これ以上の受け皿がないという背景もあるが、学校で部活を行うことで市が損害賠償責任を負い、生徒や保護者に安心感を与えることも効果として捉えているようだ。
地域から広く人材を確保する方針ではあるが1600人の指導者の内訳としては800人を教員、市の職員から約300人、大学生から約200人を想定しており地域住民や外部からの登用は300人程度と想定している。指導者は引率する顧問と補佐する副顧問の組み合わせとして考えており報酬はそれぞれ1600[円/hr]、1000[円/hr]とされ、熊本市としての事業費は人材バンクの運用も含め年間6.5億円と想定している。その半分を受益者負担とすると月額3千円となるが就学支援対象などの約18%の世帯には行政の補助を行うように今後条例改正を進めていく。保護者はこれ以外にも遠征の経費や道具代など別途必要な費用も負担することになる。また基金条例を設け企業等からの協力を得ることで行政負担は前述の補助も含めて2.1億円程度に抑えられることを目指している。
生徒の部活動離れを防止するため生徒が主体的に楽しむことを目的とした「チャレンジクラブ(仮称)」を併せて創立するとのことで最初は「ダンス」から取り組むということのようだ。生徒がカヌー・登山・サイクリングなど様々なことを言い出した時に誰が対応するのかといった課題は残るようだが部活動を行わない生徒を減らすためという問題意識が優先されているようだ。前にも書いたが学校での部活動を回避してきた私としてはそこまでして学校の部活動を維持する必要があるのだろうかと感じる。また学校と指導者の調整や指導を行うため「部活動コーディネーター」を設け、理想としては各学校に配置したいが運用開始までには5つの行政区に一人づつ配置したいということである。具体的な人材は学校長経験者を想定しているということである。
民間の指導者には特段の資格を求めるものではなく、また特別職公務員にはしないということであったが個人情報の保護などの課題を感じるし、木更津市における学校支援ボランティアとの優劣も難しい。また拠点校部活動も山間部などで隣接校と物理的距離が遠い場合は平日の合同活動が現実的には難しいこと、合同校の名称やユニフォームなど諸課題は残っているようであるが議論を重ねて動き始めている熊本市から勉強させていただくことは多く、令和9年に運用開始された結果を注視したい。
視察後に議場を見せてもらい、ホテルに帰る途上で熊本大神宮に立ち寄り十八間櫓の復元作業などを見る。その後は夕食までの時間を利用して個人的に「桜の馬場城彩苑」や「熊本銀行屋台村」を見て回る。街のデザインを楽しんでいると店の親父と話が合って夕食前に熊本の新酒を楽しませていただいた。
13日は朝6時に目が覚め朝食まで1時間ほど城の近くを散歩する。巨大なバスターミナルを再開発し2019年に開設された「桜町熊本」は前日にも見ているが朝日を浴びた良い建築デザインを見せてくれている。
木更津金田BTについても近隣の市街化が進み高度利用が求められてきたときには同様の複合施設に整備し直すことが求められるだろうから、その時が来たらまた視察に来るかと思いながらホテルに戻り朝食を食べて熊本駅に移動し、豊肥本線の各駅列車で肥後大津駅まで乗車する。
駅の改札を出たところに大津町の議会事務局職員が迎えに来ていただいており町役場の議場まで案内される。熊本地震を機に建て直された奇麗な庁舎で坂本議長の歓迎の挨拶を受け、大村建設経済常任委員会委員長の同席のもとで視察研修が始められた。
2.熊本県大津町
市制施行 - (現大津町は昭和31年8月1日に誕生)
人口 36,545人(令和7年4月30日現在)
面積 90.10km2
令和7年度一般会計当初予算額 158億9404万9千円
財政力指数 0.72 (令和5年度)
視察項目 企業誘致の取組について
大津町は町村合併で誕生以来、昭和50年まで人口減少が続いていたが本田技研工業の誘致などで増加に転じ、隣の菊陽町に台湾の半導体大手であるTSMCが約1兆円を投じて建設した工場)JASM)が2024年末から稼働した影響を受け、その年は工業用地と商業用地の地価上昇率が全国1位となり、住宅需要も増大する中で令和42年には41,706人まで人口が増加すると想定するなど、現在とても元気な自治体である。
更なる発展を目指し国会議員や県と一体となって産業誘致を進める中、空港内に保税倉庫を設け、肥後大津駅から分岐する形で熊本空港に乗り入れる空港アクセス戦の整備も進んでいる。町役場には課長以下4名の職員から成る企業振興課を設置し企業誘致・工業振興・工業団地整備を進めている。
特に令和3年度より新規立地企業が増加したことにより産業用地が不足したため、中九州横断道路の大津西IC計画地近くの農振農用地である9.8[ha]を町が直営で整備し令和9年度以降の分譲を目指すという姿勢には驚かされた。木更津市でも産業用地の確保が課題であるが行政が供給するという姿勢はない。大津町は都市計画区域ではないが区画整理の手法を使わずに農振除外を成し遂げられるのは県の後押しも大きいと推察した。更に近接する菊池市・合志市・菊陽町とともに強力な支援制度を設け土地取得の補助や固定資産税の3年間25%免除などにより地域全体での活性化を進めているので、これだけ企業立地の需要が高くなっているなら支援制度に伴う支出を減らそうという意見は出ないのかと大村委員長に確認したが、今の勢いを掴むことが優先され削減するという意見は出てこないようだ。中九州道と熊本西環状道路を直結させることで熊本港へのバイパスルートが出来て船舶での輸出も加速することが想像される。空港や道路のインフラ整備、企業用地の供給、支援制度などの充実など、自治体と県が一体となった産業策は羨ましく思えた。
視察後に議場を見学させてもらい、町役場近くの食堂で定食を食べてから手配していた車に乗り「熊本復興プロジェクト」として設置されたワンピースのゾロ像を大津中央公園で見てから阿蘇に行き、阿蘇大橋の崩落現場で震災の話を聞いてから震災ミュージアムKIOKUに行く。 |
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広範囲に被害を残した熊本地震は各所に大きな傷を残したが、この施設は破壊された元東海大学農学部の校舎や地表に現れた断層などを残すとともに震災以降の中核拠点として県が整備したものである。ワンピースのロビン像も敷地の中に設置されており、会派の若手からは他の8体も見たいというので例によって「家族で観光に来なさい」と伝える。天気も良いので草千里や大観峰に行くと壮観だろうと思うが観光はせずにこの日の宿泊地である柳川市まで急いで移動した。
ホテルには想定より1時間ほど早く到着したので市内を歩いてみて回るとするが、せっかくだから川下りを体験したいと言われ、開いていた川下り会社に今から30分の短いコースでやってくれるかと相談すると可能だと回答があり、人数合わせのために私も船に乗船することに成った。
乗船したのが17時近かったので他に行き来する船とは一艘しか合わなかったので若い船頭さんに聞いてみると、インバウンドの需要で多くの船が潤っているのか、早い会社は14時には受付を終わってしまい夕方に運航しているのはこの会社だけだという。水面に漂う草などの清掃船が有るものの市は早朝しか清掃してくれないなどと、こちらの仕事を知らないはずなのに多くの行政批判を聞くことに成った。午後5時半過ぎにホテルに戻り6時から柳川市街の居酒屋で夕食を摂った。
14日は駅の西口から出発する路線バスに乗車して大川中央公園最寄となる医療福祉大学前バス停まで約20分のバス旅を楽しむ。
バス停には大川市の議会事務局職員が迎えに来ていただいており、公園内にあるモッカランドまで案内される。水路際の園路や公園の花壇などの整備も良く、スポーツを楽しんでいる高齢者も多い。その広い公園敷地の中で体育館の隣に子育て支援総合施設モッカランドは建設されていた。
2.福岡県大川市
市制施行 昭和29年4月1日
人口 30,871人(令和7年4月30日現在)
面積 33.62km2
令和7年度一般会計当初予算額 201億2千万円
財政力指数 0.50 (令和5年度)
視察項目 子育て支援総合施設モッカランドについて
大川市ではワンストップで子育て支援が出来るよう市内に点在していた①市保健センター・②子育て支援センター・③市役所子ども未来課・④ファミリーサポートセンターを集約するため令和3年10月3日に中央公園内に木造平屋建て延べ床面積1,744.04㎡の「モッカランド」を開設した。公園内の遊具だけでなく図書館や体育館に近接することで相互利用を目指しており、本年3月までの開館後3年半で15万人の利用があり、昨年度の利用者は167.4[人/日]であった。そのうち大川市民は42%だけで佐賀市も含め他県他市からの利用が過半数である。職員は大川市のPRにつながると寛容であるが、人気の室内遊び場であるモッカルームについては他市の住民には予約が出来ないなど利用制限を課しているようである。モッカランドを運営するのは子ども未来課で課長以下正規職員が9人、会計年度任用職員が言語聴覚士・保育士・助産師・看護師などの17人から成り、課長は施設長を兼ねている。主な機能としては①母子保健・②児童福祉・③発達支援・④子育て世代の交流であり、2つの係で運営する他、ファミサポは社協に委託され、モッカフェは福祉作業所の木の香園が運営している。大川市役所には部長職が無いので組織図上は副市長直属という形態であり議会での答弁も課長が行っているという。
相談の敷居を下げるため「子どもを連れて遊びに来たついで」に相談を受けたり検診を受けたりすることを目指しているのでカフェの一部がコワーキングスペースとしても使用可能になっており、充実した絵本コーナー・おはなしルームなど諸室の配置が検討されている上に家具の街らしく木の香りで溢れている。
他には4つの相談室を備えた多目的ホール、学習室、クッキングルーム、ことばの教室などの諸室があり、ファミリーサポートセンターではお互いに不要になったものを持ち寄り、おもちゃや衣類などを交換する「おゆずり会」を毎月開催していて、選別などの拠点に成っていた。
木更津市でも図書館機能の吾妻移転に伴いこの様な施設を図書館であった施設を活用して整備する構想があるようだが、可能な限り来てもらう施設にするという考え方がこの様に重要であることを実感させる素晴らしい施設であった。名称の「モッカ」は木香のことで家具の街のキャラでもあるようだ。
施設の建設費は約7.9億円で3.4億円は国の補助、残りはふるさと納税で賄ったということなので近隣市からの利用も積極的に受け入れる代わりにQRコードでふるさと納税出来るようにしてる戦略性も感心する。カフェなどにも市内で清算された個性的な家具が1脚・1台づつ置かれていたので、どうせならQRコードを付けて生産者と連絡先及び参考価格が解るようにしたらどうですかと言ったら妙に感心された。 |
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視察を終えて昼食は奮発して蒸籠むしを食べてから佐賀空港までタクシーで移動する(3人以上乗ればシャトルバスより安価になる)。搭乗手続きをする前に展望所に登り佐賀駐屯地の建設状況を見る。
永原議員と齋藤議員は先週の木曜日に同じ場所で防衛省から説明を受けているので、彼らから格納庫や事務棟の解説を聞きながら、これだけ工事が残っている中で2ヶ月後にはオスプレイの部隊が設置され移駐が始まると考えると防衛省の努力は正当に評価されるべきだと考える。
帰路のANA456便も羽田空港の混雑を理由に20分以上遅れて出発となった。短い映画を見ながら帰ったがクライマックスに成ったところで羽田空港に到着し、最後はどうなるのかと気にしながら帰宅した。
15日は行政視察の資料を整理する間もなく9時から会派室で打合せを行い、資料を作成し、10時半からは8階の防災室で開催される第6回木更津駐屯地に関する協議会定例会及び令和7年度第1回部会合同会議を傍聴する。多くの報道関係者が揃う中で会議は始まり、V-22の佐賀への移駐と、今後もこの協議会を継続することについてが打合わされた。基地司令より5年間に渡り配備させていただいたことへのお礼の言葉があったが、移駐の開始にあたり木更津市民にどのような形で感謝を示すのか検討中であるということである。また佐賀に移駐しても木更津隷下の部隊であるので航空祭等の際には戻ってくることが有りえるようである。5年に一度の定期機体整備もあるので今後も毎年4機程度が飛んでくることに成るのだろうと理解した。
傍聴を終えて会派室に戻り通告書を作成し、午後からは議会運営に関する会議を行ってから帰宅する。夕方まで一生懸命HPの更新作業を進めてきたが視察の内容が濃くて終わらず、娘を迎えに行ってから帰宅が遅くなる妻が戻るまで娘と過していたら疲れで寝てしまった。
16日は朝5時に起床して視察報告を兼ねたHPの更新作業を進める。自宅で昼食を摂ってから駅前庁舎に行き午後1時半に一般質問の通告を行った。なお私を含め14人しか質問を行わないので日程が一日短縮される予定であるが、細部は22日の議運終了後に記載する。ちなみに今回の通告書は下記の通りである。 |
個人質問通告書(令和7年6月定例会) |
令和 7年 5月16日 |
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木更津市議会議長 鶴岡 大治 様 |
質問議員氏名(21番) 近藤 忍 |
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下記のとおり発言したいので、会議規則第62条第2項の規定により通告します。 |
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大綱・要旨項目 |
質問事項1 |
大綱(大項目) |
本市自衛隊の課題について |
要旨(中項目) |
要旨(小項目) |
関係部等 |
(1)木更津駐屯地 |
①暫定配備の定義
②協議会の継続化
③機体整備の今後
④自衛隊員の定員
⑤基地の民間活用
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企画部
〃
〃
〃
〃
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(2)日米地位協定 |
①地位協定の変更
②駐屯地外の敷地
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企画部
〃 |
質問事項1 |
大綱(大項目) |
障害福祉費の増大について |
要旨(中項目) |
要旨(小項目) |
関係部等 |
(1)自立支援給付 |
①増加費目と理由
②適切な福祉の質
③今後の推移予測
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福祉部
〃
〃
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(2)児童通所支援 |
①増加費目と理由
②学童と役割分担
③今後の推移予測
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こども未来部
〃
〃 |
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13人目の通告で13番籤を引いて会派室に戻る。その後に一人が通告して締め切り時間の14時に成り本会議での一般質問は3日間で終わることと私の質問は6月4日(水)の14:10からになることが決まったが手続き上は今月22日の議会運営員会で日程を決め29日の本会議で承認されて確定する。通告を終えて帰路に着き浜田事務所で浜田靖一衆議院議員と石井準一参議院議員による自民党演説会のポスターを受け取りいつもの場所に設置し終えて帰宅する。HPの更新を目指していたがバスの時間が近づいたのであきらめ、夜は街中で友人の昇進祝いを行った。
17日は娘を土曜学校に送り、午前中にHPを更新する。
<続く> |
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