体育会系を考える
2023/12/11記
 週末に江川総合運動場や市民体育館などを会場にスポーツに親しむ市民を増やす目的でチャレスポinKISARAZUが開催された。
 子供と保護者が基本的な単位であるためか、暖かな日射しの中で、仲睦まじくスポーツを楽しんでいる姿が微笑ましかった。私も娘を連れて参加するつもりであったが、若干風邪気味なので出かけることを嫌がり、ジャージに着替えていた私も見学に専念した。
 スポーツによるまちづくりは現在の吉田議員や平野元議員が議場で提案し続けたこともあり、会派羅針盤は体育会系だと言われることが多い。視察の行動時間が長くて厳しく、宿泊場所に観光地を選ぶことが無いことや夜の酒が多いことも理由かと思う。
 しかしながら私は「体育会系」では無いのである。
 
 還暦を迎える今年は10月22日に県立君津高等学校昭和57年卒業生の同窓会(参加員数89人)を、11月25日には市立岩根中学校昭和54年卒業生の同窓会(参加員数72人)を実施した。私は地元に残り議員をしているといる理由で双方とも10年前から代表幹事を務めている。個人的には他の議員や政党の支持者、更には政治家嫌いの同級生が敬遠するリスクが有るので他の方に代表を譲りたいのであるが、会場の利用などに顔が利くという理由で続けさせられているのである。
 それはさておき、同窓会を行う度に思うことは学生時代の部活動の経験を共有していないことで、同じ目標に向かって朝練や夜まで汗を流したという連帯感が欠如していることに気付き、一抹の寂しさを覚えるのである。
 中学では部活動を行うことが前提であったが、運動神経に恵まれていない早生まれの体が小さかった私は大きな子に混じって走り回りたくなかったことと帰宅部になって放課後は自宅で本を読んで過ごしたかったことと、何より週末などで大会に行くことが嫌で理科の先生が担任で活動もほぼしていない科学部に入部した。入部後も満足に顔を出していなかったので卒業アルバムの部活動紹介に自分の写真がないことを改めて気付いて驚いたりした。
 
 高校では一切の部活動に席を置いていなかったが3年の頃に友人が「SF研究会」を立ち上げるのでメンバーに成ってくれと誘われて数合わせにメンバーに成った。同人誌を出したいと言うので当時好きだった多くのSF作家の影響を受け「房総〜暴走」という房総半島が数万年後の人類滅亡後の地球にタイムスリップする話を書いて投稿し、それが卒業後に「シネマ研究会」で映像化されたように聞いている。3年生で立ち上げたので先輩は存在しておらず、部活動を通じて先輩との交流を行った記憶はない。
 因みに自己弁護の様に記載するが、中高を通じて身体を動かしていなかったわけではなく学校行事と離れてサイクリングを楽しんでいたのである。友人達と出かけたものもあるが一人旅が多い。友人と一緒に出かけても途中で別行動となる旅もあるように団体行動は重視されていない。中高を通じた6年間で25編の旅に64日間を費やし、約1万kmを走っているが体育会的ではないのだ。
 
 大学では一人暮らしを始めたこともあり仲間づくりとして「サイクリング部」に席を置き数ヶ月は活動したが、上毛三山を一日で走りきるような工学部のマッチョな先輩との付き合いに馴染めず、何より新天地である北関東を走り回れる貴重な週末に部活動があることに耐えられず、結果として部活とは疎遠に成っていった。高校時代に四国で怪我をして九州まで届かなかったのでリベンジが燻っていたこと、海外旅行が高額で難しく当時の憧れの大地であった北海道を走りたかった事など、前橋桐生で生活していた頃のサイクリングに賭けたモチベーションは大学のサイクリング部の枠に収めることが出来なかった。更に、同じアパートに住む同学年や近くで下宿している建設工学科の同級生・マージャンやスキーに誘ってくれた生協組織部の怪しい先輩達・都内を中心に関東各地の大学に散った高校時代の友人達や地元から遊びに来る中学時代の友人と楽しむことで仲間は満たされていたことも部活に足を運ばなくなった理由だろう。
 27日間をかけた北海道や38日間に達する九州への長い一人旅では出逢いや別れが有り、当時は多くの若者が集まっていたユースホステルでは年齢に関係なく互いを尊重しながら楽しい時を過ごした。その頃に年長者が若者に手を差し伸べたように、私も社会人に成ってからは旅先の学生達をサポートしてきたが、それはその場限りであり、体育会系の先輩後輩とは異質のものだろう。大学の4年間では20編の旅に131日間を費やし、約1万8千kmを走るほどのめりこんでいるが体育会的ではないのだ。
 
 そんな経験なので先輩を称えるという意識が薄く、従来の性格もあって仕事では上司や元請けに意見をすることに違和感はなかったが、体育会系の文化で育ってきた周辺の人には生意気に見えていたことであろう。それは地元に帰り、消防団や青年会議所で活動する時も同様で角があると言われたことが有り、議員に成ってからも言われた事が多い。付き合いが長くなってくると「近藤の個性」として捉えられている様でもあるが、基本的には私が体育会系では無かった為なのではないかと思う事が多い。
 もちろん体育会系の部活動を通じて自分の為だけでなく人のために頑張ることや助け合い励まし合うことなどを効率的に学んでいくことは可能であろう。高校時代に体育会系の教師が「近藤は部活をしていないから駄目に成るぞ」と言われたことがあるが、学校の外でも時間を掛けてそれらを得ることは私が知っているので、逆に体育会系に浸かっている人はその様にしか考えられなくなっているのかなと、高校の同窓会で思い出したりした。
 しかし学校の部活が全てではないという私の価値観で中学生の親になった場合、私は自分の娘に、そして娘の同級生に何を伝えるべきなのだろうかと思うこともある。有る意味では学校の一部否定である。忖度して封印する方がよいのかなと考えるのは年齢を重ね角が取れて丸くなってきたのであろうか。
 
 チャレスポでふとそんなことを考え記事にした次第である。