連休三陸ドライブ 2013.4.27〜2013.4.30 ホンダフィットシャトルHB
▼28日  震災から2年が経過し、今年の連休は被災地を訪ねようと考えたが、その一方で例年になく遅くまで降雪があった冬だから山スキーも楽しめそうだと考え、新潟と福島県境にある浅草岳を経由するルートで。北上することにした。
 出発は27日の午後で、その日は新潟県側の大白川に有る旅館に泊まる。関東では観測史上を競うような早さで桜前線が通過しているのに、この辺りではまだ雪が深く、宿の人が「今年の田植えは遅くなる」と言っていた。
 
 28日は朝から浅草岳登山を行い、山頂を踏めずに下山した後はドライブの開始である。『鉄子の旅』で有名な只見線柿ノ木駅に立ち寄ったら山を越えて栃尾に入り「越後とちお温泉」で汗を流し、城の旅の一環として新発田城に立ち寄り散策し、笹川流れで粟島に沈む夕日を眺めてから日没後の県境を越えて酒田に入り、夕方に予約を入れたビジネスホテルに宿泊した。郊外に有るホテルなので外に飲みに出ることもなく、レストランでビールを飲んで眠りについた。
▼29日  酒田のホテルは素泊まりなので、午前6時に出発する。朝から天気が良く、鳥海山や月山が見えており気持ち良い。当初の計画ではGWをフルに使って下北半島の尻屋崎を経由してから三陸に入る予定であったのだが、1日に地元で用事が入ったので日程を短縮することに成り、太平山登山や八戸の夜も全て省略し、酒田から国道47号線で太平洋岸に抜けねばならない。陸羽東線の堺田駅前に有る分水嶺で日本海側に別れを告げ、鳴子から国道を離れ一路気仙沼に向かっていく。栗原市で後ろに栗駒山を見送ると雪山にも別れを告げて、被災地に向かっていく。
 気仙沼駅前には10:37に到着した。最初に駅前の観光案内所に立ち寄り、今夜の宿を確保しようと思うと、想定外に空きがある。無理を前提に寝袋を持ってきていたが使わなくて済んだ。宿は昨年の春と同じ望洋荘を予約した。
 朝から何も食べていないまま大船渡市の碁石海岸のレストハウスまで走り『さんまらーめん』を昼食に頂く。庭は桜が満開で、多くの観光客が海岸美を楽しんでいた。被災地に3度目の桜が来たんだなと思うと目頭が熱くなる。
 モニュメントと化した「道の駅高田松原」や奇跡の一本松など高田市内を巡り、観光案内所で情報を入手した霊泉玉ノ湯で一汗を流し、気仙沼に来る度に気になっていた室根山へ回ってみた。朝からの快晴が曇り始め、視界が悪くなっているものの、山頂から見下ろす気仙沼の街や西に霞む国境山脈など、ツツジの咲く快晴時に来ると素晴らしい所だろうなと想像して気仙沼に戻る。
 ホテルに車を停めたら復興屋台村気仙沼横丁まで歩き、いつもの店で飲む。3人で始めた店が、自分の店が復旧したという人が抜け、2人での営業は大忙しのようだった。
▼30日  前日と同じように朝6時前に起床し、行動開始。但し、朝食は気仙沼で営業を再開している吉野家で食べる。この店も何回目かな、などと思いつつ、ボランティアも無いので直ぐに国道を南下し始めた。
 前日の陸前高田に続き、歌津や閖上にも立ち寄るが、被災地で考えたことについては別途整理するので「連休三陸ドライブ」の記録では記載しない。
 この日は被災地以外では多賀城史跡にまず立ち寄った。案内情報が解りにくかったが、規模の大きな史跡には感心する。平安京のように建築物を復元すると見応えも有るだろうと思うが、これはこれで良いのかも知れない。次に国道4号線を延々と南下して白河小峰城に至る。震災から2年が経過しても崩れた石垣の処理が終わって居らず、本丸には近づけなかった。その様な意味ではここも被災地である。さて、ここから4号線を南下しようと思っていたところ「水戸」の看板が目に入り、大洗から千葉を経由して、帰るのも悪くないなと考え、まだ連休末の渋滞は発生していない状態であったが、全て一般道で木更津まで帰ってきた。流石に日付も変わり、すっかり疲れたドライブに成った。

ブラッとドライブ memo.13