3年目の被災地で考える
2013/05/07記
 東日本大震災で被災した地に3度目の桜前線が訪れている。昨年は連休中に多くのボランティアが行くだろうと考え連休は回避していたが、昨年の夏から9ヶ月近く三陸に足を運んでいなかったことと、気仙沼市震災復興・企画部地域づくり推進課より気仙沼ファンクラブの案内が届いたこともあり、少しづつ変わり行く被災地を見続けるのも使命かなと思って東北に足を伸ばした。
 
 4月27日の午後に木更津を出たのであるが寄り道をしながらドライブを楽しんだので、気仙沼には29日に入る事となった。最初に駅前の観光案内所に立ち寄り、今夜の宿を相談すると、連休中は観光案内所が一元管理しており、空部屋の状況を把握している。ボランティアが沢山来ていた頃は宿の確保が大変だったし、観光案内所は宿の復旧状況のみを把握していただけだったから大きな変化である。案内所の職員に聞くとボランティアが減った分、観光客が帰ってきていると嬉しそうであった。ちなみに宿泊は昨年の春にも泊まったホテル望洋である。
 気仙沼観光案内所での用事を済ませ、大船渡市の碁石海岸を目指すのであるが、その途上に第十八共徳丸が横たわっている。
  震災から3度目の春を陸上で経験するこの船は塗装も痛み、モニュメントにするのであれば整備に取り掛かる時期を迎えているように思えた。
 
 陸前高田を通り抜け、国道45号線を離れ、海岸を行くと人家の無い区間では相変わらず護岸は壊れたまま放置されている。台風接近時などは高潮が進入して大変だろうと思うが、まるで工事が追いついていないのだ。
 一方、JRは気仙沼以北の大船渡線をBRTとする事を今年の1月31日に発表していたが、現地を見ると線路の撤去が進んでいた。これは専用道路に切り替えるための工事かとも思うが、いずれにしろ鉄路での復旧は遠くなり、NHKの朝ドラで脚光を浴びている三陸鉄道も、その南側で鉄路が途切れる状況になっているのだ。
 碁石海岸でラーメンと風景に満喫した後、陸前高田市に戻る。
 
 陸前高田は自治体としての市の機能の大部分が津波に飲み込まれて壊滅的被害を受けたところであり「道の駅高田松原」と「奇跡の一本松」を震災の象徴として大切にしている印象を受けた。
 それぞれに駐車場の誘導員がおり、観光バスを含め多くの人達が立ち寄っていた。道の駅の鉄筋コンクリートが津波でこれほど破壊されるという姿は後世に残すべきものであろう。しかし、保存するとなると大変なことも良くわかる。
 一方、立ち枯れした「奇跡の一本松」の復元費用が1億5千万円もかかる事については意見が色々出ているようだ。事業費は寄付金で賄うようだが、復興費用として他に活用すべきとか、枝の向きが違うのでやり直しとかに多くの意見が出ている。ただ震災後の月日の中で陸前高田市民だけでなく多くの被災地の人が、生き残った意味の象徴としてこの松を見ていたことを思うと、私は残してあげたいという気持ちに賛同するものである。

▲2011/7/18の写真
▼2013/4/29の写真

▲2012/4/1の写真
▼2013/4/29の写真
 前回来た時には膨大な瓦礫が積まれていた場所もすっかり片付いていた。多くの場所に焼却炉が出来ていたことが原因だと判る。個人的には多すぎるのでは、と思うほどあるが、東北の震災瓦礫を受け入れてくれる自治体が少ないので仕方が無いのかも知れない。
 
 中心市街地が壊滅した陸前高田市は市役所や商店街が移転しているので、海岸から離れて見に行った。
 市役所前には観光案内所と「みどりの窓口」が有るJRの駅が出来ているのには驚かされた。観光案内所の中に入ってみると右のような観光パンフレットも作られていた。被災地で支援してもらうだけでなく、観光という交流人口の増加を通じて地域経済の発展を考えているのだろうな、と妙に感心した。また市役所周辺の丘陵地では山を削って宅地造成が進んでおり、その残土で旧市街の盛土工事も行われていた大掛かりな造成工事によりダンプが列を成して走っていたが完成までには何年かかるのかと思わされた。
 次に復興商店街に行ってみると銀行やスーパーまで仮説で営業されていた。気仙沼市は市役所を含め多くの施設が被災を免れたが、中心市街が壊滅した陸前高田では仮設の規模が違うのだということを改めて気づかされた。
 海岸に位置する木更津市も駅の西側で浸水の想定がされている。東側の市街が生き残れば気仙沼型の復興を果たすことが出来るだろうと思うが、被災しない対策が重要なことはいうまでも無い。
 
 陸前高田から寄り道をして気仙沼に戻る。毎回来ている南気仙沼駅前に立ち寄ってみると、既に駅があった気配すら無くなっており、残っていたビルも順次解体が進んでいるようだ。

▲2011/5/19の写真   ▼2013/4/29の写真
 その後は例によって「おさかな市場」で買い物をし、ホテルに車を停め、歩いて復興商店街の行きつけの店に入り、酒を飲む。民宿が流された3人で始めた店も、1人が復活を果たして2人で切り盛りしていた。連休で全国から人が来ている事が判ったが、連休後も多くの人達が被災地を元気付けるように訪れれば良いのになと思いながら宿に帰った。
 
 連休の時間を利用して山田町や八戸市まで行きたい所では有ったが5月1日に地元で用事があるため、30日は直ぐに帰路に着いた。小雨の天気であったが、帰りながらBRTの歌津駅と名取市の閖上地区、そして内陸の白河に立ち寄る事にした。
 
 JRは気仙沼以南の気仙沼線もBRTで運行しており、既に多くの専用軌道を設けるなど設備投資がされている。専用軌道と一般道部分が接続される歌津駅に寄ってみると木更津羽鳥野バス停より進んだバスロケーションシステムも完備されており、鉄路の復活が無い分だけ、地域の人達に納得してもらう程度の設備投資がされているのかもしれない。
 まだ時刻表などには鉄路が記載されているようだが、現実には鉄路による復活はありえない、と示されているような気がしてこれらの施設を見ていた。
 
 ついで名取市閖上地区に回る。仙台港から南下すると荒野のように利用されていない平地の中を県道が延び、その先にいまだに解体されていない民家が多く残る閖上地区は有った。
 昨年秋の農業委員会研修で立ち寄った場所なので、防災無線が鳴らなかった事や、公民館から中学校へ避難先を変更する間で多くの人が飲まれた事、行政による地盤かさ上げ計画に地域の賛同が得られていない事等を知りながら現地に行ったが、日和山にある閖上湊神社に登っていると花と線香を持った地元の人が次々と訪れ、とても写真を撮ることが未だに出来なかった。
 右下の写真の奥に見える山の高さまで地盤の嵩上げを前提にされている、現在は誰も住んでいない街中の道路の植栽枡にチューリップの花が咲いていた。木更津では雑草の除去が大変だからと次々に埋められている植栽枡なのに、この地域の人達がどれほどこの地を愛しているのか、この花が物語っていた。
 この場所から離れたところに営まれている閖上さいかい市場に回り、昼食でも食べようかと思って行ったが連休中で大型バスも来ており3件の食堂が全て満席だった。賑わっている事は良いことだろう。
 
 最後に津波被害の無い内陸の白河市に立ち寄る。ここは一昨年の8月3日に中心市街地活性化の視察を受け入れてくれた自治体であり、その時も市の観光資源である小峰城は石垣が崩れて近づけなかった所である。
 福島県内陸部は揺れで多く被害を生じており、須賀川市で農業用ダム決壊の決壊により10名、白河市葉ノ木平で斜面崩壊により12名が亡くなられている。通常の災害であれば驚くべき話であるが津波被害が突出してしまったがため、内陸部は目立っていないのである。さらにもうひとつの被害が生じている。
 写真からは読みにくいかもしれないが、放射線の被害を回避するため長時間使用を避けるように呼びかけ、手洗いやうがいを推奨しているのである。必要な呼びかけではあるが、これを見て観光客が増えるとは思えない。被害が甚大でなかった分だけ予算の配分も少なく、福島県内陸部の疲弊は今後も着実に進んでしまうだろう。例えば旅行先に岳温泉を選ぶとか、猪苗代湖畔で避暑を楽しむとか、様々な方法で関東地方が支えてあげる必要を感じる。
 
 以上が連休の被災地で感じたことであるが、記載が多いことと連休をのんびり過ごしたため、HPへのアップが1週間後に成ってしまったことを反省したい。