ブラッとドライブ memo.22
熊野三山ドライブ 2020.08.07〜2020.08.09 ホンダフィットシャトルHB
▼ 7日 木更津〜那智勝浦  昨年は一泊しか出来なかったので信州の高原を楽しんだが、今年は新型コロナウイルスが流行している中、密を避けるべく熊野三山を詣でることにした。計画を建て宿を予約して準備を進める中で「GoToキャンペーン」が始まったり感染の第2波が拡大するなど日々状況が変化した。
 
 朝の2時に起床し荷物を積み込み2:46に出発して東名高速へ向かう。深夜割引を利用して新東名から伊勢道を経て尾鷲まで走る。最初は感染対策で東京近郊の県が全て海水浴場を閉鎖したため三重県の新鹿海水浴場で娘と水遊びである。平日なので人も少なく、白い砂と透き通った水は房総の守谷海岸より美しく思え、更に隣接して清流が海に注いでおり、私も満足である。
 9:35に到着して日焼けしない程度に1 時間程度遊べばよいかと思ったが娘がすっかり気に入ってしまい2時間も戯れてしまった。隣の川で塩を落としてからシャワーを浴び新宮市まで移動してめはり寿司を食べてから熊野三山の一つである速玉大社を参拝し、次いで初日の私的な目的である神倉神社に行くと麓の駐車場は満車であり多くの方が汗を拭いながら降りてきていた。タオルを首に巻いて橋を渡り鳥居を潜ると壁のような急坂が待っていた。娘を心配したが元気に登っていき、妻がばてていた。私も暑さと息苦しさで感染防止のマスクを外して登っていった。参拝を終えて下山し手水場で頭から水を浴び、次の那智を目指すと娘は直ぐに寝てしまった。
 有料駐車場に車を停めて眠っている娘をだっこして参道を登っていくと降りてきた人が上にも駐車場はあるよと言う。周遊を目的にしているので問題ないが、神倉神社で歩いた後で妻には更に厳しい試練となったようだ。私も35年ぶりの訪問であった昔はよく自転車で軽く登って参拝していた事を感心せざるを得ない。那智大社に着く前に目が覚めた娘は急に元気になり青岸渡寺からは三重の塔に向けて走り始める。飛龍神社に向けての石段を飛ぶように降りていくのでこちらも先回りして転ばないようにガードするのが大変である。辿り着いた神社から見上げる滝の雄大さには息を呑み初日の4社1寺の参拝を終えた。
 この夜は那智勝浦を代表するホテル浦島に泊まる。離れた駐車場に車を停めシャトルバスで桟橋まで運んで貰い渡し船でホテルに渡る。感染症の拡大で宿泊者が減少しているようであるが閑散としている状況ではなくて安心する。29年前に勝浦市内の温泉で汗を流したことはあるが、浦島の忘帰洞等を味わうことなく南紀勝浦温泉を評価していたことを訂正したくなるような素晴らしい温泉であった。妻子も温泉や食事に満足していたが、朝の早さと山歩きに疲れたのか直ぐに寝てしまっており、私も感染拡大の中でホテル内の居酒屋に行くことも躊躇され、窓際で外の明かりを頼りに新宮門前で購入した日本酒を一人でちびちびと飲んでから寝た。 
▼ 8日 那智勝浦〜奈良  早朝に散歩したり朝湯したりと考えていたが娘の機嫌が悪く部屋から出たがらない。妻と交代で朝風呂を楽しみはしたが朝食も遅くなり、その後に娘のリクエストで散歩して敷地内の浦島神社を参拝してから荷物をまとめたので、ホテルの駐車場を出発したのは計画より1時間も遅くなって午前10時を回っていた。
 熊野三山の最後となる本宮大社には1時間で到着する。参道の狛犬もポストの上の八咫烏もマスクをしているが風鈴の音と吹き渡る風に爽快な気分になり娘の元気な成長を願って周辺の社も参拝して廻る。全国には熊野神社が4776社有り県別では福島県の437社に続き千葉県の346社が多いことに驚く。因みに我が氏神も江川熊野神社である。建てられて20年となる大鳥居まで足を伸ばし周辺の水田に早稲のようだと思いながら和歌山県を後にする。
 部分的に整備の進んでいる国道を十津川に入り私的な目的である果無集落へ向かう。熊野古道が天空の集落を通り抜ける風景に感動し住民の方とお話をして娘はメダカに餌を与えることが出来て喜んでから里に下り、「野猿」を楽しみ、籠を引くのに疲れて腹が減り村落内の喫茶店で遅めの昼食を摂る。
 妻子が眠る中で五條市までの長く細い国道を走り抜きヤマトで柿の葉寿司を購入してから大和一宮である大神神社の参拝を行う。暑いので三輪素麺を食べたかったのであるが夕方で全て閉店となっており、奈良市内に移動してから何か食べようと決めて家への土産となる素麺だけ購入する。
 私的な目的地である若草山の有料道路に入る頃に日も暮れて山頂駐車場に着く頃には道も暗くなり街頭の明かりに誘導されてついた広場からは奈良の綺麗な夜景が見渡せたが、まさかのトラブル発生で取り敢えず今夜の宿である旅館松前を目指す。
 駐車場に車を停めて薬局に急いで湿布薬と麦酒を購入する。宿は「ならまち」の中心に位置して周辺に多くの店があるのであるが妻はとても歩くことが難しいというので五條市で購入した柿の葉寿司を食べた。一人で出歩いて感染したら洒落にも成らないので缶ビールの後に三輪の門前で購入した日本酒を飲んでこの夜は速めに寝てしまった。
▼ 9日 奈良〜木更津  旅館で朝には周辺まで鹿が来ていると聞いていたが誰も早起きをしないので一人で周辺を散歩して街中の鹿を沢山見る。コロナ騒動で観光客が減っているので餌を貰えない鹿が街に出ていると聞くと複雑な気持ちである。
 宿の美味しい朝食を食べて、散歩に行けないと言う妻を残して娘と二人で興福寺を経て公園へ行く。妻から携帯で病院へ行って来ると聞きながら東大寺前まで向かうが「鹿の角が怖い」「喉が渇いた」と叫ぶので大仏を見ずに宿に戻ることにすると携帯には骨折していたと連絡が入る。妻を病院に迎えに行き、再度宿に戻って色々と手伝いいただいたことの御礼を伝えて奈良を後にする。
 骨折している妻は東大阪の知人と宇治市で逢う約束を中止することはなく福寿園で落ち合って一緒に昼食を摂りながら骨折を驚かれた後に宇治上神社の参拝を行う。
 宇治を出て山科から逢坂の関を越え坊主めくりで百人一首にはまっている娘のために蝉丸神社に立ち寄ると社格は有りながら駐車場もない無人の神社だった事に驚かされるつつも句碑の前で記念写真を撮る。因みに妻は京阪の踏切を渡るのが危ないので車内で留守番である。
 帰る前に湖水浴体験を娘にさせて上げようと湖西道路を大津から高島に向けて走っていき、片側2車線が1車線に絞られる場所の渋滞最後尾に停まった所で追突される。相手も急ブレーキを踏んだが間に合わなかった様で走行に支障はないものの多くの部材が曲がっている。路肩の駐車帯に移動して警察に電話し事故処理を行うのに小一時間も掛けてしまった。勢いが弱くて妻子に怪我がなかったことと停止中の追突なので当方に非がなかった事は先方も了解していたので話が早く済んだことは幸いだった。
 水が綺麗なマキノサニービーチに着く頃には日没間近であったが娘は水着に着替えて泳ぎたいというので松葉杖の妻を駐車場に残し、残照の中で1時間ほど琵琶湖の水と戯れていた。
 北陸道木之本ICから高速に乗り養老SAで夕食を食べ、皆が寝静まる中で黙々と木更津を目指して運転を続け日付が変わって1時間もしない頃に帰宅して荷物を片づけて午前2時過ぎに旅を終えることが出来た。