世界の旅 ベトナム社会主義共和国:ホーチミン

2013.03.25-03.28 日本航空で往復 宿泊はホーチミン3区のGOLDEN ROSE HOTEL
▼25日 深夜の入国  私にとってベトナムは物心が付いた頃からアメリカと戦っていた国で、38年前にはサイゴンが陥落して社会主義国に統一され大量のベトナム難民(ボートピープル)が日本でも問題となった。また、統一後にはカンボジアに侵攻したり中国と戦争したりと、危険な印象が強い。しかし、1986年に開始されたドイモイ(刷新)政策により改革・開放路線が進むとともに、1995年にはアメリカと和解してASEANの7番目の加盟国となり、近年ではTPP交渉に参加するなど、変化していることは感じていた。それが最近の中国での反日暴動によりチャイナリスクを回避する筆頭として選ばれ、日本企業も進出ラッシュのようであり、安倍総理も政権交代後の最初の海外訪問先に選んだ国でもある。
 そんなわけで、変わり行くベトナムを見てみたいと、往復航空券とホテル2泊が付いたHISのツアーで旅に出た。なお、民主党から自民党への政権交代の効果で1年前の韓国の旅に比べ、円の価値が1割以上安くなってしまったのが残念である。
 
 25日の17:55に成田から飛び立つJALで深夜にホーチミンに到着する。日本のODAで建設されたタンソンニャット国際空港の綺麗な事より、入国カードも税関申告書も記載しなくて良いという事に驚かされる。社会主義国とは名ばかりでドイモイ政策の自由化が進んでいることを入国前から感じさせる。空港の外に出ると深夜なのに大勢の人がおり、南国の蒸し暑さで汗が流れるのでTシャツになり、韓国の中古と思われるバスでホテルまで送って貰い、この夜は静かに就寝した。
 
 26日は何時も通り日本時間の7時に起床。ベトナムでは午前5時なので外は暗く、おまけに乾期なのに雨が降っている。この日はネットで1週間前に予約したTNK&APTトラベルJAPANのクチトンネル&カオダイ教ツアー【¥2,042 (US$21)】に参加するのだが、ホテルが送迎対象外という事で、7:45までにデタム地区のオフィスまで行かねばならない。事前にネットで地図を検索してホテルから2km強だと解っていたが、知らない外国の都市なので時間に余裕が必要である。ベトナム時間で6時になるのを待ち、ホテルで傘を借りて、朝食も取らず出発した。幸い、雨は上がりはじめ、傘は直ぐに荷物になるのだった。
 聖母マリア教会を通過し市民劇場の写真を撮っていると日本語を話す親父が1US$で3輪自転車の市内観光案内をすると誘ってくるがボッタクリの可能性もあるので無視して坦々と歩くとホーチミン人民委員会庁舎前で諦めてくれた。ベンタイン市場前のバスターミナルを過ぎ、集合場所には40分前に到着できた。店の向かえにある喫茶でモーニングを食べ、ツアーの出発を待つ。
 
 外に立って待っていると、サングラスや扇子等の物売りがまとわりついてくるが、無視している内にバスが到着する。バス入口近くの前半分の9人が英語による解説で、後ろが親子連れと私の4人で日本語の解説を、それぞれのガイドから受けるという、日英混載のツアーバスであった。
 目的のカオダイ教は1926年に誕生したベトナムにおける新興宗教で、圧倒的な仏教徒と1割程度のカトリックに次ぎ国民の数%の支持者がいる第3位の宗教である。その寺院を見たい、というのではなく、ホーチミンから160kmも離れたカンボジア国境近い田舎までわずか21US$で行けることが嬉しくてこのツアーを選んだのだ。安さの奥には昼食と入場料が別途である事もあるが、それでも格安だ。
 高速道路が殆ど無いベトナムでは道路の立体交差も進んで居らず、全て一般道で長距離の往復となるが、想像以上に国道22号線の舗装状況は良く、沿線には多くの場所で家が建ち並び、田舎まで電化は進んでいるようで椰子の葉で屋根が葺かれた家でもテレビのアンテナが立っているし、小さな町にもHONDAの店がある。水田には水牛が居るが、機械で米の刈り取りをしているところも見られ、近代化が凄い早さで進んでいる事も解った。途中でカンボジア国境まで10kmの町を通過したのでガイドさんに隣国との関係を聞くと、ベトナムでは規制されているギャンブルを楽しむためにバスで国境を越える人も多いという事で、意外な一面も知る。
 休憩もなく4時間ほどバスは走り、カオダイ教の本山に到着する。近くのレストランに案内され、自費で昼食を食べてから参拝に入る。綺麗な装飾や建築には感心するがそれ以上の興味は特にないので坦々と見学する。
 次に、ベトナム戦争の跡地として有名なクチに向かうが風景も飽きてきて1時間半の移動の大半で不覚にも寝てしまった。現地に着き入場料9万D(約400円)も自費で支払い、敷地内に入る。最初に日本語で共産党のプロパガンダのような説明ビデオを見るが、この施設内の解説も現場の係員でなくツアーガイドが行っていた。ゲリラのとラップの解説を受け、現存するトンネルや米軍の戦車を見て回ると、このジャングルの戦場で精神を病んでしまった米兵の気持ちも解る気がする。見学時間は1時間半に及んだが、第2次大戦後に多くの日本兵が帰国せずに残り、ベトナム軍に戦術指導をしていたことなどを話して貰えなかったのが少し残念である。
 
 ホーチミン市内にはベトナム時間で17:30に戻り解散となり、また市内の散策を開始した。市場を覗き、国営百貨店で両替をしてサイゴン川を眺めたら、ツアーディスクで聞いてきた日本語の使えるベトナム料理店『Golden Fish』へ向かう。なお、両替については成田が18.9D/円で有ったのに対し市内では22.0D/円と17%も差があった。両替は現地が有利であるがサイパンの失敗もあるので事前情報が欲しい点である。
 ドンコイ通りに近い『Golden Fish』は簡単に見つかり、ビールやベトナムワインを飲みながら生春巻きやサラダ、チャーハンを楽しむ。ホールボーイの日本語がとても上手いので日本に行ったことがあるかと聞くと木更津からも近い東金市に居たと言われ、親近感が涌いてくる。色々話をしながらボトル1本のワインを空けてほろ酔いで帰り道に着く。日本の店が市民劇場の東側に沢山あると教えて貰ったので、多少回り道になるが日本の影響を見たいと行ってみると、台北市内並に日本語の看板が目につくし、通りに面して日本語メニューも出してある。どの程度のクオリティなのか、明日は確認してみようかなと思いながら今晩は素通りする。
 ホテル近くの公園を通過すると、夜9時に成ろうとしているのに大勢の若者が集まり、それぞれに楽しんでいる。所得が少なく、外で集うしか無いのかとも思うが、それが可能なほど整備された公園が有ることや、何より国民の若さに感心しながらホテルに帰り、今朝の早起きの反動とワインの酔いで直ぐに眠りについてしまった。
▼26日 早朝のホーチミン市内
▼26日 カオダイ教&クチトンネルツアー
▼26日 夕方から夜のホーチミン市内
▼27日 メコン川デルタクルーズツアー  日程の短い旅なので、この日の夜に空港から旅立つ事になるが、それまでの時間を使ってレフォンツーリズム・サザンブリーズ株式会社のメコン川デルタクルーズツアー【¥3,404 (US$35)】に参加する。こちらはホテルでピックアップしてもらえるから安心してゆっくりと眠り、のんびり朝食を取って散歩してからバスを待つ。
 私を含めて13人となったバスは、ベトナム唯一らしい高速道路を利用してミトーの町に着く。船に乗り換える前に休憩を入れると言われたから便所に行き、それでも集まる気配が見えないのでわずか先に有る窓から写真を撮っていたら待合室に置いてきぼりを食らってしまった。動くとかえって混乱するかと思い、持参した新書を読んで30分程度時間を潰すが、何のアクションも発生しない。仕方がないので受付で電話を借りツアー会社に連絡を入れると、島まで別便に相乗りして行くことになった。
 メコン川に出ると下流川に大きな斜張橋が見える。日本のODAで大成建設等により建設される中、2007年に支保工の崩壊で多くの死傷者を出したカントー橋だとばかり思っていたが、帰国して調べてみたらラックミエウ橋という別の橋だった。島の桟橋に渡ってもガイドが居ない。さらに20分程度待ってガイドに合流するとお詫びのバナナチップスを貰い、ツアー客の居る場所までスクーターの後ろ座席に座って島の細い道を飛ばしていく。おかげで蛇との記念写真や蜂蜜の解説といった、気乗りしない観光を結果的に全てパスすることになって良かったが、仮に逢えなければ今夜の帰国が大丈夫だっただろうかと不安に成る一幕だった。合流した人から『そういえば船に乗るときに点呼を取っていなかった』と言われ、この後は俺が慎重に行かねばと気を引き締める。
 熱帯のフルーツを僅かな時間で食べ、ジャングルの中を小舟で川下りする。満ち潮なので漕ぎ手の叔母さんは大変そうだったから私も協力するため、予備の櫂で漕いだ。それでも終点の船乗り場でチップを請求する辺りが観光地だなと、若干興ざめする。
 ミトーに戻る船では椰子汁が振る舞われ、その次はバスで移動して川魚が名物のレストランで昼飯となる。これはツアー料金に入っているもので、品数も多く味も良くて満足する。ただし、別料金となるビールが進んでしまった。そのため、帰りのバスはすっかり熟睡してしまい、気が着くと街路樹が綺麗なホーチミン市街であった。本来ならホテルまで送って貰うことも可能だが、時間が15:30と早いため街の中心でバスから降ろして貰った。
 
 早速昨日から気になっていた高層ビルの展望台(サイゴンスカイデック)へ行く。昼食時に「昨日行ったら展望が良くて料金の20万D(約900円)も高くない」と同じツアーの人に言われていたから楽しみにしていったのだが、何とこの日はイベントで貸し切り。昨日の内に行かなかった自分を反省しながら後ろを振り返ると、地元でなじみのある店の名前が書かれた看板を発見して、何と多くの店がベトナムに来ているのだろうと驚かされる。
 夕暮れまで街を見下ろそうという計画が無くなってしまい仕方なくホテルに向かって帰ると聖母マリア教会に多くの観光客が出入りしている。内部が見学できるのだなと私も見学に行く。そこで時計を見ると、まだ夕方5時に成っていない。展望台の料金が浮いただけタクシーを使って郊外のポイントを回ろうと決めてタクシーを拾った。
 最初はホーチミンで最大の仏教寺院という永厳寺(ヴィンギエム寺)へ行く。建立は日本に留学していた僧によって1971年に建設された新しい寺である。タクシーを待たせて参拝し、結果としてベトナムの3大宗教の建築内部を参拝し終える。次いで鉄道のサイゴン駅へ回って貰う。駅前広場には都市の風格が出ている場所だと思っていったら大きいだけのつまらない駅でガッカリする。
 日も暮れたのでホテルにも近い日本食の『Tokyo Town』でタクシーを降ろして貰う。メーターは17万Dであるがチップを含め20万D札を渡す。店の入口には浴衣を着た色白の女の子が居たので「日本人?」と聞くと「違いますよ、ベトナムです」と日本語で答える。日本訪問経験は無いそうだが流暢に日本語を話す彼女に案内され店の奥に入り、サンマの塩焼きや焼き鳥、寿司などを食べながらハイボールなどを飲んでいた。品質は日本のチェーン店並に安定しており、単価も安い。周囲を見渡すと地元の恋人同士や家族連れと思われる人達が楽しんでおり、時間が早めのためか日本人らしき人が居ない。日本食も現地で受け入れられているのだなと嬉しくなる。
 『いらっしゃいませ』の声を聞きながら1時間半ほど飲食を続け、約67万D(約3千円)を支払ってホテルに向かうが、考えてみるとベトナムの代表的な料理であるフォーを食べていないことに気が着いた。満腹間近であったが頑張って締めに麺を食べ、ホテルに帰り21:20にピックアップされ空港へ向かった。
 出国の手続きも簡素で、深夜便で日本に帰る。成田で申告する物がないのに税関申告書を書かされたときにはベトナムの方が進んでいるかもと思いながら慌ただしい旅が終わった。
▼27日 午後から夜のホーチミン市内