No.1 東房編      日本を走る No2南房編→
Prologue 走破市町村 2(木更津,袖ヶ浦) 累計数 2
 生まれて何時から自転車に乗っているか定かではないから木更津を何時走ったかは記録に残せない。また、小学校の頃には近所を走り回っていたので最初の自治体である袖ヶ浦町に何時入ったかも明らかに出来ない。少なくとも中学になる前に袖ヶ浦には行っていたであろう。
Episode1 旅行期間 1976年10月11日
走行距離 56km
走破市町村 2(君津,富津) 累計数 4
 中学の同級生であるTとMとともに通学用自転車を使い3人で富津市佐貫にある東京湾観音の日帰りをする。これが私の記録に残る最も古い旅である。なお、当時は通学車両でドロップハンドルの使用を禁止されていた。
Episode2 旅行期間 1977年4月3日
走行距離 76km
走破市町村 1(市原) 累計数 5
 中学の同級生であるTとS井と養老渓谷への日帰りを行う。私はこの時からドロップ車のスポルディングを使用しはじめる。なお、これら2本をEpisodeとして扱い、独立した「編」にしないのは、高校時代にこれらの市から毎日通学で木更津に通う友達が多く居て、頻繁に遊びに行く生活圏だったからである。
旅行期間 1977年8月16日 と思う
走行区間 自宅日帰り
走行距離 136km
走破市町村 9(長柄,長南,茂原,長生,一宮,岬,大原,夷隅,大多喜)
累計数 14
同行者 H野 使用自転車:SP
総費用 多分500円程度 当時の年齢:13歳(中学2年生)
写真無  この頃は旅のメモを付ける癖が無く、108本の中で唯一日程が確実ではない旅である。
 ともあれ太平洋をこの目でこの足で見に行く、という趣旨で走り始める。
 コースは木更津の自宅から東に進み笠森寺を見て、茂原を経由して太東崎に至り太平洋を見渡し、板東霊場の一つである清水寺を参拝して大多喜、牛久経由で帰宅した。(次の旅は南房編