No.16 | 伊豆編 ←No15鎌倉編・No17秩父編→ | ||||||||
旅行期間 | 1980年4月2日〜1980年4月4日 | 旅行日数:3日間 | |||||||
総走行距離 | 479km | ||||||||
走破市町村 | 14 | ||||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:LT | |||||||
総費用 | およそ3000円程度 | 当時の年齢:16歳(高校2年) | |||||||
初日 | 1980年4月2日 | ||||||||
走行区間 | 自宅〜下田市白浜納屋 | ||||||||
走行距離 | 206km | ||||||||
走破市町村 | 7(真鶴,湯河原,熱海,伊東,東伊豆,河津,下田) | ||||||||
累計数 | 187 | ||||||||
伊豆半島、特に東伊豆は完全に関東の文化圏に有るが、行政上は静岡県に属しており、静岡県は関東と言われない。よって今回は初の関東脱出の旅である。 高校2年生に進級した春休みに、朝一番の金谷〜久里浜のフェリーに間に合うべく家を出発し、小田原までは走り慣れた湘南を進む。海沿いに南下を進め湯河原を越えればそこは静岡県熱海市である。錦ヶ浦や一碧湖等を観光し、大室山に至ったところでカメラのフィルムが終わりになり、自動巻き上げ機能が付いていないカメラを使用していたため、もう少し巻いたら最後の1枚を撮れるかも知れない、と力を込めた結果が左の写真。ネガは切れるものなのです。 数枚の思い出を駄目にして、その夜は白浜海岸の納屋の軒下で就寝。 |
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2日目 | 1980年4月3日 | ||||||||
走行区間 | 下田市白浜納屋〜韮崎町公民館 | ||||||||
走行距離 | 146km | ||||||||
走破市町村 | 7(南伊豆,天城湯ヶ島,修善寺,大仁,韮山,函南,三島) | ||||||||
累計数 | 194 | ||||||||
下田から伊豆半島突端の石廊崎までピストンし、県道で河津七滝に向かう。よく考えると下田から入っては峠が一つ増えることになるが、当時は事前の計画力が足りなかったので無駄な動きが多々見られる。 大滝、出合滝、二階滝などを見ながら旧道の天城トンネルに至る。しかしその先は工事による通行止めで、再度分岐に戻り国道の新トンネルを越えることになる。上り坂で大分暑くなってきたのでジャンバーをサドルバックに括ってダウンヒルを楽しんだら気づいたときにはジャンバーは無くなっていた。これが旅での紛失の始まりである。浄蓮滝、韮山の反射炉、江川亭などを見学し、函南より峠越えに取りかかり、寝場所を探していると近所の人たちから公民館を進められ、畳の上で寝袋に収まりこの日は終了した。 |
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3日目 | 1980年4月4日 | ||||||||
走行区間 | 韮崎町公民館〜自宅 | ||||||||
走行距離 | 127km | ||||||||
走破市町村 | 0 | ||||||||
累計数 | 194 | ||||||||
公民館を出て十石峠まで一踏ん張りをし、元箱根に走り降りる。屈曲の多い旧道を一気に駆け下り、小田原からは往路を忠実にトレースして自宅に帰った。 この日は新たに走破した市町村無しであり、まだ神奈川県走破など考えて無いので往復は無駄な行為になっている。(次は秩父編) |