No.17 秩父編     日本を走る ←No16伊豆編No18三芳編→
旅行期間 1980年5月3日〜1980年5月5日 旅行日数:3日間
総走行距離 370km
走破市町村 24
同行者 S井・I藤・I星 使用自転車:LT
総費用 およそ4000円程度 当時の年齢:16歳(高校2年)
初日 1980年5月3日
走行区間 自宅〜秩父市秩父神社
走行距離 200km
走破市町村 12(鎌ヶ谷,大宮,川越,川島,東松山,吉見,嵐山,小川,寄居,長瀞,皆野,秩父)
累計数 206
 今回は埼玉から転校してきたI星君が企画する秩父方面の旅である。
例により深夜1時頃に集合し、深夜の16号線を北上。大宮方面を目指すので有ればそのまま16号を進むのだが、私の「鎌ヶ谷市を通過したい」という要望で船橋まで14号を進み、そこから県道で柏方面に抜けるコースを選んだ。
 江戸川の手前で快晴の夜が明けた。既に100km近く走っている。大宮で氷川神社に立ち寄った後、お勧めという所沢の喜多院へ向かう。素晴らしい青空の下でユニークな石仏を見た後は吉見百穴(写真)に移動してお昼を迎えた。10時間以上活動しているので疲労の色が濃くなりはじめるがまだまだ日は長い。東松山から小川、寄居を経て長瀞に到着。石の上で仮眠を取ったりして気力を奮い立たせ、宝登山神社に詣でて今晩の宿探しを始める。
 結果として秩父市の真ん中にある秩父神社の回廊で寝袋に収まり爆眠した。
2日目 1980年5月4日
走行区間 秩父市秩父神社〜青梅市体育館前
走行距離 100km
走破市町村 6(荒川,大滝,横瀬,名栗,飯能,青梅)
累計数 212
 朝は爽やかに目が覚めた(写真)。掃除をしている宮司さんに感謝を伝え、三峰神社へ向かう。秩父の新緑に車から流れる松山千春の「風の詩」が頭に反響する。
 ♪風が口ずさむ 愛の詩 君にも届け〜
 快晴の連休だから観光の車両が多い。これは混雑しそうだなと危惧していたとおり三峰ロープウエイは2時間の待ちに成っていた。しかし登山道を上がる体力の余裕もなくゆっくりと時間を過ごす。下山後は橋立鍾乳洞などを見て秩父に移動。既に夕方であるが翌日の行程を考えると正丸峠か山伏峠を越えておきたいので走行は続く。名栗で既に夜になるが飯能で良い寝所が見つからず青梅まで足を延ばす。
 公園などを物色するが良いところが見つからず、体育館前のベンチに収まったのは夜10時を回った頃であった。I星が変質者の話などをするのでみんな妙に緊張して武器代わりに自転車工具などを持ったまま寝袋に入るのだった。
3日目 1980年5月5日
走行区間 青梅市体育館前〜自宅
走行距離 70km
走破市町村 6(瑞穂,武蔵村山,昭島,立川,国立,府中)
累計数 218
 早朝に体育館の管理人が来て目を覚ます。最初は寝袋4個に怪訝な顔をしていたが、今回の行程などを話すと理解してくれ、見送られながら青梅街道での帰路に付く。途中立ち寄った府中では大国魂神社の祭礼に遭遇し、その太鼓の迫力に感動する。なお、府中市はこの2年後に高校の友人が下宿をすることで拠点都市と成っていく(府中編参照)。多摩川に沿って川崎街道を下れば日も高いうちに浮島のフェリー乗り場に到着する。今は無き川崎木更津間のフェリーで70分揺られれば地元に帰着し、無事この旅も終了である。(次は三芳編