No.28 佐久編     日本を走る ←No27赤城編No29榛名編→
旅行期間 1982年5月29日〜1982年6月1日 旅行日数:3日間
総走行距離 422km
走破市町村 50
同行者 無し 使用自転車:OP
総費用 6,160円 当時の年齢:18歳(大学1年)
初日 1982年5月29日
走行区間 前橋市赤城荘〜小海町小海駅
走行距離 122km
走破市町村 15(小野上,吾妻東,中之条,吾妻,長野原,嬬恋,軽井沢,御代田,佐久,臼田,佐久,八千穂,小海,北相木,南相木)
累計数 653
 講義が午前中で終わり昼から旅に出た。目的は府中に住むK野と飲む事であるがせっかく群馬県に住み始めたので色々見ながら行こうと考える。
 前橋を出て17号線を北上、渋川から中之条を経て吾妻渓谷を西に進む。長野原の先にある羽根尾から146号線を南下すると登りがきつくなる。この道が1,405mの高さまで上がるという意識がなかったのでペース配分を甘く見てしまい、羽根尾からの8kmを1時間かけるような体たらくで進む。北軽井沢周辺で霞んで見える浅間山を励みに少しペースを取り戻す。
 長野県に入っても登りが続くのでがっくり来るが直ぐに峠に到着。越えれば快適なダウンヒルで中軽井沢に下り御代田から県道で岩村田に入り141号線で南下する。臼田にある信州の五稜郭といわれる龍岡城による頃に日が暮れる。この時期は日が長いので行動距離が伸びて助かる。
 日没後も走り宿泊は小海線の小海駅に着く(写真は翌朝撮影)。着替えや寝袋などの荷物をベンチの上に置いて身軽になると北相木村及び南相木村の境界まで全力疾走し佐久平の自治体走破を済ませ寝袋に収まった。1年ぶりの野宿である。
2日目 1982年5月30日
走行区間 小海町小海駅〜府中市吉田荘
走行距離 183km
走破市町村 23(南牧,川上,高根,大泉,長坂,小淵沢,富士見,白州,武川,韮崎,双葉,竜王,昭和,甲府,石和,御坂,一宮,山梨,勝沼,大和,大月,上野原,藤野)
累計数 676
 朝から松原湖畔の観光をするが残念ながら水蒸気が多くて八ヶ岳が見えない。海ノ口から国道を離れ鉄道沿いに川上を経由して野辺山に至り国鉄最高地点に到達する。標高1,375mなので昨日越えた峠の方が高いことになる。
 さらに名前の良さに惹かれて美し森まで登坂する。駐車場の標高は1,480mまで上がるので前回の赤城編を抜いて日光編の金精峠に次ぐ高度第2位記録になる。美し森からは八ヶ岳が見えている。ここから八ヶ岳公園有料道路で小淵沢に下り、後は20号線を東に向かって進む。日本三奇橋の一つである猿橋ぐらい見ていくかと立ち寄ると消失している。現在の物は1984年再建らしい。
 そして山梨県を抜けて藤野町に入ったときに神奈川県走破が完了する。千葉県に続く県別の2番目である。その満足感を胸に津久井湖から橋本経由で午後6時に府中に到着。K野に世話になる第1泊目である
3日目 1982年5月31日
走行区間 無走行(府中市吉田荘)
 旅の途中で初めての休息日である。人の大学設備を見たくて多摩動物公園まで京王線で行き、まむし注意の看板のある通学路を登って岡を越えると巨大な建物が現れ、地方国立と有名私立の差に愕然とする。
 大学の食堂で冷し中華(250円)を食べた後、一人東京まで出て神田古本街を巡り夕方府中に帰る。今日も酒を飲んで明け方まで色々な話をする。
4日目 1982年6月1日
走行区間 府中市吉田荘〜前橋市赤城荘
走行距離 117km
走破市町村 12(所沢,入間,狭山,日高,毛呂山,越生,都幾川,玉川,花園,美里,伊勢崎,玉村)
累計数 688
 寝たのが遅いから目覚めも遅い。午前11時に起床してトーストを食べ、K野は大学に向かい、私は一気に関東平野を北上する。府中前橋間を6時間で走り、この旅は終了である。(次は榛名編