No.48 | 神戸編 ←No47彦根編・No49小豆編→ | |||||||
旅行期間 | 1986年9月7日 | |||||||
走行区間 | 吹田市千里古江台寮〜神戸市公団六甲寮 | |||||||
総走行距離 | 61km | |||||||
走破市町村 | 5(川西,豊能,猪名川,宝塚,三田) | |||||||
累計数 | 1,934 | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:WR | ||||||
総費用 | 680円 | 当時の年齢:22歳 | ||||||
吹田の古江台寮は昭和30年代の名神建設当時に立てられた物で、3畳ひとまという『神田川』のような世界だったが、西宮北管理事務所(現神戸管理事務所)に勤務する者には独身寮が出来るまでのつなぎの宿として宛われていた。そして私の関西赴任後から2ヶ月遅れで三田工事事務所と共用する寮が出来上がったので、今回は引っ越しの旅となる。荷物は別便で輸送手配済みであるが9月8日から江坂で1週間の研修に入ってしまうので荷物を片づける暇もない。 吹田を出て池田から北上し、妙見口で豊能町に入ってから西に進み、猪名川から大原野を越えて三田に入り、神戸電鉄三田線沿いに進み、北区箕谷に建設された六甲寮に到着。自転車を寮に置いて電車で千里古江台に帰り段ボールの間で寝ることになった。ちなみに費用の680円は六甲寮に到着するまでの王将のチャンポンセットとアクエリアスの料金で、帰路の電車代は旅の費用に含まなかった。 ちなみに12日までの合宿研修している間に庶務課立会の元で荷物が神戸に移動となり、13日から15日までS井が神戸・姫路見学で遊びに来るというハード日程を経て本当の引っ越しは終わった。 なお、1986年は3月末に桐生から木更津に帰り、本社研修中は船橋の海神寮に入って、7月に古江台寮へ移動、9月に六甲寮へ移動と慌ただしく引っ越しを続けた年であった。(次の旅は小豆編) |