No.55 | 因幡編 ←No54美作編・No56高野編→ | |||||||
旅行期間 | 1987年9月14日〜1987年9月15日 | 旅行日数:2日間 | ||||||
総走行距離 | 311km | |||||||
走破市町村 | 22 | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:WR | ||||||
総費用 | 8,230円 | 当時の年齢:23歳 | ||||||
初日 | 1987年9月14日 | |||||||
走行区間 | 神戸市公団六甲寮〜若桜町氷ノ山YH | |||||||
走行距離 | 128km | |||||||
走破市町村 | 7(香寺,夢前,安富,山崎,一宮,波賀,若桜) | |||||||
累計数 | 2,044 | |||||||
一足早い秋を求めて14日に有休を取り、敬老の日と合わせた一泊二日の旅を企画した。未明の六甲寮を出発し加西市北条まで走ったところで朝を迎え早朝の五百羅漢の参拝を行う。古い街並みも朝日に映えて美しい。福崎まで走ったところで朝食に焼きそばを食べる。 中国道沿いに西に進み山崎の街中から氷ノ山YHに予約の電話を入れる。既に今日の全行程の半分近くを走っているので宿さえ取ってしまえばそこまでをのんびり走るだけである。 戸倉峠に向けてのんびり登り、トンネルから長いダウンヒル。この分の標高差を登り返すかと思うと楽しんで下ってもいられない。そして29号線から別れたら上り坂。きついところは押しを入れながら午後4時前にYHに到着。まだまだ日は長いので瞬間氷ノ山に登ることも考えるが「お風呂を沸かせて有りますよ」というヘルパーさんの声に全てを止めてくつろぎモードに入る。 この夜の宿泊は私だけで、夕食はヘルパーの女の子2人と3人でジンギスカンを楽しむのであった。 |
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2日目 | 1987年9月15日 | |||||||
走行区間 | 若桜町氷ノ山YH〜神戸市公団六甲寮 | |||||||
輪行区間 | JR播磨徳久駅→神戸電鉄箕谷駅 | |||||||
走行距離 | 183km | |||||||
走破市町村 | 15(美方,村岡,温泉,国府,郡家,八束,船岡,河原,用瀬,佐治,智頭,西粟倉,大原,東粟倉,千種) | |||||||
累計数 | 2,059 | |||||||
YHからスキー場の前に出ると揺れるススキに秋の訪れを感じる。氷ノ山を越えたら矢田川の小代渓谷に沿った細い林道で美方に降りる。ダートに細いタイヤが苦労する。9号線に出たら鳥取まで走る。鳥取砂丘で海を見ると随分遠くまで来てしまったような気がしてくる。 砂丘の次に鳥取城祉を見学した後、国鉄再建法で工事が止められている智頭線に沿って南下をする。あれだけの構造物が出来ながら営業しないのも勿体ないと思っていたら第3セクターとして数年後に営業を開始する事になる。 大原まで南下したところで方向を東に変え、高原状の東粟倉村を抜け志引峠を越えて千種町に急降下する。これで残る兵庫県は家島町と山東町の2町だけとなった。谷間の県道を姫新線まで出たら播磨徳久駅前でお好み焼きを食べ、箕谷駅まで輪行して帰るのであった。(次は高野編) |
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