No.54 美作編      日本を走る ←No53但馬編No55因幡編→
旅行期間 1987年8月7日〜1987年8月9日 旅行日数:3日間
総走行距離 471km
走破市町村 24
同行者 F島、K坂 使用自転車:WR
総費用 13,310円 当時の年齢:23歳
初日 1987年8月7日
走行区間 神戸市公団六甲寮〜津山市白雲荘
走行距離 151km
走破市町村 9(新宮,三日月,南光,佐用,上月,作東,美作,勝央,津山)
累計数 2,022
 群馬大の先輩後輩だった頃には一度も同行の機会を与えなかったが、私も社会人になり夜は野宿ではなく宿に泊まり、楽にやろうという気持ちになってきたので2年後輩のF島の就職内定祝いもかねて初めて合同ランを行った。
 F島は群馬から青春18切符を利用した夜行列車で来ているので寝不足である。だから待合せ場所である姫路駅まで箕谷の寮から約50kmを走行するくらいはハンデだと思った。
 姫路城を眺めてから出発し、木曽編の初日に世話になったO盛の故郷である龍野の古い街並みを見て回る。彼は研究室に籠もっており帰省はまだしていないとの事だった。龍野からは姫新線に沿うように津山を目指す。
 細かなアップダウンと真夏の暑さが容赦なく体力を奪い津山に到着する頃にはハンデの50kmが効いてきたのかF島よりバテてくる。F島も疲れを訴えるので津山市内の宿を予約して、あとは津山城址や武家屋敷街などの観光をしてこの日は終了。宿で酒を酌み交わしながら自分が卒業した後の1年半の状況や、後輩達の現状や進路などの話で夜も更けていった。
2日目 1987年8月8日
走行区間 津山市白雲荘〜倉敷市小坂実家
走行距離 138km
走破市町村 8(鏡野,久米,落合,久世,勝山,大佐,新見,高梁)
累計数 2,030
 今日の行程は長くはないがK坂家に遅く着かないように、また昼間の炎天下に楽を出来るように朝食も取らず、6時に出発する。勝山に着けば交通の要所だから食堂ぐらい有るだろうと踏んでいたが、全て営業時間前で商店のカップ麺にお湯を貰って朝食にする。空は多少雲が厚くなってくる。雨にならなければ炎天下の暑い快晴よりは良い。
 井倉洞に到着すると雨になる。鍾乳洞の見学は雨天に関係ないが外に出ると憂鬱になる。この天候なので重要文化財の備中松山城の見学は諦める。さらに進むと広瀬で土砂降りになり、ラーメン屋に入って雨宿りをする。
 その内に雨も上がり、少し走れば九州編以来となるK坂家に到着する。K坂の車で福山に行きお好み焼きを食べ、瀬戸大橋の工事現場を鷲羽山から見て、夜は3人で宴会である。
3日目 1987年8月9日
走行区間 倉敷市小坂実家〜神戸市公団六甲寮
走行距離 182km
走破市町村 7(早島,山陽,熊山,和気,吉永,上郡,御津)
累計数 2,037
 今回も朝食をご馳走になりK坂家を出発する。昨日とはうって変わって良い天気である。つまり暑くなりそうである。
 快適なペースで西大寺に到着し、九州編の軌跡より北川のルートになる山陽本線に沿った県道で東に進む。吉永町に入ったところで「土用丑の日」の幟につられ鰻丼を食べてスタミナを付ける。
 揖保川町から瀬戸内海に出て山陽網干駅近くの喫茶店でアイスコーヒータイムを取る。F島には、学生の頃には水だけ飲んで黙々と走ったもんだ、等と精神を注入する。充分な休憩後は250号線を坦々と東に進むだけである。
 明石で『たまご焼き』と注文する明石焼きを食べてF島に感動を与えさせて明石駅前で解散する。F島は新快速と各駅を乗り継いで大垣発東京行きの夜行に乗ると言うことでこれからの道のりも長い。
 私は須磨から鈴蘭台に上がる道で六甲寮に帰り、寮の近くの酒屋で缶ビールを購入して暑かった旅を打ち上げた。(次は因幡編