No.63 | 安曇編 ←No62越飛編・No64石鎚編→ | |||||||
旅行期間 | 1988年11月6日 | |||||||
旅行日数 | 上田市山幡荘日帰り | |||||||
総走行距離 | 159km | |||||||
走破市町村 | 2(山形,朝日) | |||||||
累計数 | 2,150 | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:WR | ||||||
総費用 | 4,705円 | 当時の年齢:24歳 | ||||||
上田に転勤してきて、山を始めたのはよいが自転車が疎かになっているよな、という自戒の念が有り、真冬の到来の前にせめて松本盆地に残っている2箇所の村だけでも走ってこようと初冬の信州を走った。 上田から平井寺トンネルと三才山トンネルを抜ければ松本である。松本空港の南側から山形村に入り、朝日村境界まで足を延ばしてから唐沢の蕎麦と山菜を満喫する。この山形村唐沢は戸隠ほど観光ズレもして無く、レベルもかなりの高さなのでその後も何度も行く場所である。 松本に帰りアルプス公園に寄って山岳展望を楽しんだ後、松本城に行く。シャッターを押して下さいと頼む女の子と少し話をすると台湾からの留学生で、休日を利用してレンタカーで信州に来たとの話しである。私のつたない日本の歴史知識で戦国時代の日本解説をしながら松本城を一緒に見て回る。 その後、彼女がわさび園に行く予定だと言い、私が行ったこと無いと言うと誘われるので、帰るつもりであったところを変更して穂高町の大王わさび園まで車の後を着いていく。そこで一緒に食事をしながら、わさびという香辛料が日本人以外には苦手なことや、中国人には蕎麦は何も産出できない山里の単なる粗食であり、それを有り難がる日本の考えに最初戸惑ったことなどを聞く。 わさび園の駐車場で彼女の車を見送ったら冬の短い日はもはや山に隠れようとしている。ナイトランを予想していないのでライトも持たず、輪行袋も無い。明科で懐中電灯を購入し、143号線の青木峠を越え始める。日も暮れると車も通らず、寂く寒い夜道を上田に向けて孤独に越えていくのであった。ちなみに出来上がった写真を彼女に送ったけど返事は来なかった。(次は石鎚編) |
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