過去の選挙を振り返る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2019/01/10記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今年は4年に一度の統一地方選挙が有り、私にとっても審判を受ける年である。これまでの4年、さらに言えば当選以来の12年が市民にとって理解されているのか、さらに平成に続く次の時代の市議会議員として期待されているのか、それが問われる年なのである。新たに統一地方選挙に向けた動きを始める前に、まず過去の選挙を振り返ってみたいと思う。 まず、12年前の新人として臨んだ最初の選挙である。年始の今頃は東京電力富津火力所の中で代わりの者が来るまで仕事をしながら選挙に向けた準備を行っていた。父の引退による世襲という批判もあったものの、地域の方の支援も受け、28人中の20位で議員の一人に加えていただいた(→詳細)。 |
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1,205票を獲得した現職の武藤市議が次点の苦杯を舐めるなど、7名の候補者が落選した。この時の最高得票者であった高橋市議はその後の県議会議員補欠選挙で当選し、以来県議会議員として活躍されている。 次に、8年前に現職議員として挑んだ選挙である。前回より得票数を伸ばし、順位も2つ上げて28人中の18位で再選を果たすことが出来た(→詳細)。なお、選挙の時点ではF未来の会派であるが、再選後に自民クラブと羅針盤に別れて現在は活動している。 |
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前年の市議補欠選挙で多くの票を集めた現職の小林市議が本選で苦戦して次点になるなど、4名の候補者が落選した。上位当選者が多くの票を集めた結果、最小当選票数が1,041票まで下がっている。この時の最高得票者であった大野市議は次の統一地方選挙で県議会議員選挙に出馬して次点となり、現在は議員として活動していないが、今度の統一地方選挙に出るという噂が聞こえている。 最後に、4年前の選挙である。議員定数を28から24に減らす中で行われた選挙では若干票数を下げたものの前回と同じ18位で再選して今に至っている(→詳細)。 |
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議員定数を減らした影響で1,393票も獲得した現職の後藤市議が次点となるなど、6名の候補者が落選した。この時の最高得票者であった岡田市議は次の統一地方選挙では公明党の別の候補者に替わって引退するように聞いている。 3回の選挙を振り返ると @私は常に下位で滑り込んでいる A次点の苦杯は現職議員が舐めている B最高得票者は次の市議会議員選挙に出ない という法則が発見された。 立候補予定者説明会まで41日となったが、公明党の現職が引退することに伴う新人議員以外には目新しい話が聞こえてこない。それでも元職の再挑戦が聞こえてくるので次も現職が次点の涙を流す可能性が高い。私がその立場に成らないように頑張らなければと思いながら、過去の選挙の総括とする。 |