能登の水害に思う
2024/09/23記
 台風21号が中国大陸で折り返して東に進み、秋雨前線に湿った風を送ってきたことと大陸から冷たい高気圧が進んで温度差が大きくなったため前線が刺激され東北や北陸で降雨が続いていた。
 能登半島では21日から線状降水帯が発達し、地震で生き残った人々や家屋に激しい水害が襲来し、大きな災害が発生している。
 
 多くの集落が再び孤立して物資が届かない状況になっているようだ。正月には昨年末の屋久島沖での事故を受け飛行停止になっていたオスプレイはこんな時だからこそ活躍すべきだと思うのだが、今のところ被災地に飛んで行ったという話は聞かない。仮に活躍しても何故か報道は伝えることを控えるようなので、様子は航空祭が開催される10月5日まで解らないように思っている。
 
 能登を襲った雨の状況を気象庁のアメダスから拾うと下表のとおりであり、21日の2日前となる19日にも結構な降雨が有ったことと、珠洲市と輪島市が突出していることが解る。
珠洲 輪島 門前 志賀 七尾 羽咋
19 51.5 74.5 18.0 24.5 45.5 14.5
20 8.0 20.5 6.5 1.5 2.5 5.5
21 272.0 361.5 145.0 42.5 54.0 16.0
22 114.0 119.0 101.0 73.5 71.5 40.5
445.5 575.5 270.5 142.0 173.5  76.5
 輪島市では木更津市で先月中に降った雨の4倍に達する降水量が4日間で降ったことになり、今日も雨が降っているようだ。震災復旧状況を私が5月に見た限りでは道路の応急復旧は進んでいたが、河川は最低限の対応しかなされていなかった。道路はパッチワーク的な復旧でも交通に対応出来るが、河川は本格復旧をしなければ弱点から決壊するという構造的な課題があり、長い工期と巨費が必要なので遅れてしまうことは仕方がないとは言え、この災害を前にすると土木の敗戦と感じてしまう。
 
 災害復旧にボランティアが全く足りていない状況で、更に被害が上乗せされるような状況をどの様にすべきかという点も踏まえ各市の議会が終了した来月1日に災害ボランティア議員連盟千葉支部の役員会議をZoomで開催予定である。千葉県下の議員で何らかの支援に行きたいと考えるが、月が替わると視察などの日程も立て込んでおり諸調整が必要になりそうである。
 
 今日の夕方のテレビでインタビューに答えていた被災者が、周辺の被災家屋を見ながら「もう家を建て替える人はおらんでしょう」と言っていた言葉が重く聞こえてきた。生まれ育った能登がどれほど好きであっても、度重なる被災には心が折れるだろうし、能登に住むとしてももっと安全な場所を求めて集落を離れてしまう事が増えて、消滅する集落も多くなりそうである。
 そのことは同じ半島性を抱えた房総でも同じ状況である。木更津市も山間部の脆弱な場所を強靭化するとともに、大規模災害が生じたときに房総をどの様に支えるかと考えておくことが必要だと考えている。少なくとも5年前の千葉県の対応を考えると自助と互助で何とかして、公助(千葉県)には期待しないと考えることが賢明である。でも自衛隊の展開は助かったので公助も期待すべきか。
 
 「神も仏もないものか」と良く言われるが日本では正に能登がその状況である。世界的にはガザやウクライナ、ミャンマーなど理不尽な暴力で多くの命が失われていることを考えれば「平和」な災害かもしれない。それでも私は能登の人たちを痛めつける天の計らいに憤り、私がどの様に闘えるかと考えている状況である。