| 日本の独立を思う | |
| 2025/04/29記 | |
| 本日は「昭和の日」という祝日であり、私が生まれた頃は「天皇誕生日」であった。1901年に大正天皇の子として生まれた昭和天皇は1926年12月25日の大正天皇の崩御に伴い25歳で即位し、昭和が始まった。そのため2025年である今年は昭和が続いていれば百年となるので、様々なイベントが耳に入ってくる。 多くの国民が亡くなり敗戦して主権を失った第二次世界大戦が行われただけでなく焼け野原から高度成長を経て再び世界の主要国に復帰してヨーロッパの全ての国を超える経済大国に上り詰め、アジア初のオリンピックや万国博覧会を開催するなど、昭和という一つの年号に起きた事象は日本史的にも凄い時代であったことは誰もが認めることであろう。 一方で昨日は平日ではあるが2013年に第2次安倍内閣が定めた「主権回復の日」である。これは1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効して主権を回復した事に由来している。そこから起算すると主権回復73年である。1945年に敗戦してからは80年であり、主権を連合軍に奪われていた期間が、令和に成ってからの時間と同じ7年間である。長い時間だと思うが、それでも終戦時に「日本」であった多くの部分は、この日に主権回復を果たさなかったのである。 台湾や朝鮮半島のように日清戦争や日露戦争によって国家間の交渉で主権が移り、その領土に住む住民に賛否が問われることなく国土の一部に組み込まれ、選挙権を始めとする内地の日本人との格差が大きかった、いわゆる「植民地」では、日本を示す本土復帰を願うより独立して自らが自らの本土に成る事を目指す意見が多く、日本に回復するのではなく自らが主権を行使したいという当然の気持ちであったと想像がつく。そのため、サンフランシスコ講和条約の締結以前に独立を果たした台湾や朝鮮半島は「主権回復」の対象ではない事は明確である。 なお、個人的には蝦夷地と呼んでいた北海道や琉球王国であった沖縄と同様に植民地ではなく大日本帝国政府による同化政策の途上にあった「国土の一部」であったと認識しているので植民地という表現は妥当ではないと思う。現在でもスコットランドはイングランドの植民地だと思っている人はいないだろう。 では独立した国家の領土を別にして、具体的に敗戦国の日本から連合国が主権を奪い、その後に主権を回復させて本土に復帰した場所を調べてみると次の通りである。 @伊豆諸島 1946年3月22日復帰。 A吐喝喇列島 1952年2月10日復帰。 ※上記はサンフランシスコ講和条約の発効以前に復帰。 B奄美群島 1953年12月25日復帰。 C小笠原諸島 1968年6月26日復帰。 D沖縄県 1972年5月15日復帰。 1964年に生まれた私は8歳の時に沖縄県の本土復帰を迎えたことに成る。車の通行帯が米国式の右側通行から日本式の左側通行に替わることの問題などのニュースを覚えているが、細かいことは何も理解できていなかった。本土の主権回復から20年も経過して27年も「アメリカの世」を経験した沖縄県が日本に復帰してから更に20年が経過した1992年に初めて沖縄に渡り、復帰を単純に喜んでおらず、復帰に際して米軍基地が残される現状での失望や怒りを記した本土に最も近い辺戸岬の碑に無知を嘆いた。 本土に復帰した事例は約53年前の沖縄で終わっており、その後に日本が統治していた地域が日本国に戻されることは、米軍施設が一部返還されたこと除き、何も無かったように記憶してる。ポツダム宣言を受託し無条件降伏を表明した後に占拠された北方領土や、武力によらず千島樺太交換条約によって平和裏に手に入れた千島列島などは依然としてロシアが支配し、日本人を全て引き上げさせてロシア人の領土にしている。奄美や沖縄で繰り広げられたように本土復帰を要望する住民は当該地に住んでなく、当時の住民は北海道根室市などで声を上げているが高齢化が進み、戦後80年という月日の中で日本であった感覚は失わているように感じる。 アメリカのトランプ大統領がロシアのプーチン大統領と協議し、ウクライナの平和を守るためにはロシアの占領地での権益を尊重し平和のために発電所や鉱山といったウクライナの財産をアメリカに引き渡せと言っている。前に書いたが唾棄すべき倫理観の失われたアメリカ大統領が和平を達成したと糠喜びをしている脇で、ロシアは冷徹に占領地のウクライナ人を極東等の僻地に様々な条件を付けて移転させて言論を封じ、占領地は多くのロシア人の入植によってウクライナ人を駆逐した結果、ウクライナへの「本土復帰」を求めているものなど居ないという状況にするだろう。本土復帰を求める沖縄県民を強制移住させなかったアメリカと、全ての住民を駆逐したソ連(ロシア)の違いを知る日本政府なら今回の和平交渉の危うさを指摘すべきだと私は思うのだ。日本だけでなくフィンランドやポーランド、リトアニアなどで「ソ連被害国の会」を造り、ウクライナで強国によく一方的な現状変更が生じている問題を前提とした領土回復を求めるべきではと思う。 一方でアメリカが占拠していた上記の@〜Dの返還でソ連(ロシア)と違い友好国は全てを帰してくれたと思っている人もいるとは思うが現実は甘くない。日米地位協定で米軍の優先使用が定められている木更津飛行場を始めとした多くの軍事施設が依然として米軍の管理下にあって、米国軍人の出入国は日本の管轄外であり、米軍の兵隊が「軍務」中に生じた問題は日本が裁くことが出来ず、横田空域に代表される空域や米軍基地前の海域などでは未だに占領下の状況が続いていると言っても過言ではない。トランプ大統領が日本は安全保障に充分なコストを払っていないという声を、米軍が占拠していることによる弊害(例えば羽田から小松へのルートは横田空域を迂回するため相当な遠回りを余儀なくされ時間や燃料の損害が大きいこと)を説明し「本土復帰」を求めることも、自尊心が失われ彷徨うトランプ政権との「カード」にするべきだと思っている。 中国のように面子を重視せず、交渉の実績を重視する日本国の外交は敗戦を経て身に着いたことと思うが、無駄な戦いも生じさせなかった結果、80年間も軍の力で異国の民を殺害することが無かった日本の自衛隊は頼もしく、その事が多くの国から信頼されている理由の一つだと私は思っている。今回のアメリカとの一方的な交渉を目前にして「日本の独立」とは何だったのかと考えつつ今回の記載を終える。 |