37.1月上旬の活動記録
 1日はゆっくり朝寝を楽しんだ後、分厚い新聞を読み、届けられた年賀状に目を通すと供に木更津市内からの葉書に返礼を書く。昼から地元の神社に初詣を行い、江川光明寺に年賀を届け、その足で郵便局に年賀状を投函し、さらに袖ケ浦の坂戸神社の初詣も行ってきた。穏やかな元旦であった。
 
 2日は建設現場でH鋼の溶接検査をしている初夢を見て目が覚めた。何を暗示しているのか良く解らないままお雑煮を食べ、その後事務所で仕事始めを行い、資料の片付けやHPの更新を行っていると郵便が届く。幾つかの年賀状とともに後援会報が「あて所に尋ねあたりません」という印を押されて帰ってきている。昨年の報告は届いているのだからこの1年間の間に転居に成った方々であろう。およそ2%の方が1年間に移動している事が解る。統一地方選挙を前に後援会活動の活性化を考えねばならないと思う。
 昼から郵便局に行き、さらにその後は年始参りに出かけ今年の活動が始まったと実感する。
 
 3日は録画していた正月番組を見ながら内業を行ったり、書類整理を済ませ穏やかな3ヶ日を送る。
 
 4日は仕事始めの日であり、午前中にHPの更新などを済ませ、午後から市役所に行き年始の挨拶を数カ所で行う。夕方から千葉で行われる新年会に行くために巌根駅から各駅停車に乗る。ホームが92m延長される北端まで行ってみるが、巌根駅では誰も利用しない場所であり、当然誰も居ない。安全のためとは言え、ここに巨額の費用を投入することに釈然としない思いをする。
 
 5日は陸上自衛隊の駐屯地年頭行事に出席し、ヘリコプターに体験搭乗をする。早朝は富士山も見えていたのだがフライトの頃には遠くは霞んでしまっていた。それでもアクアラインは順光なので良い写真が撮れるだろうと思っていたが、海ほたるに近づきすぎ良い写真にならない。
 
 議会広報の表紙の写真は斉藤議員に委ねることになった。その後は祝賀行事に出席して帰宅し、市内で所用を済ませたり事務仕事を行った。
 
 6日は商工会議所主催の新年賀詞交歓会に出席する。経済界の重鎮だけでなく、市の幹部職員や同僚議員の多くもこの場で新年の初顔合わせになる。どの場でも春の選挙が話題となる。中には名刺を選挙態勢にしている議員も居て、こちらもうかうかしてられないと気が引き締まる。
 賀詞交換会の後、友人と昼食を取りながら打合せを行い、議会事務局で広報紙の出来具合を確認。帰宅してHPの更新を終えてから会派の新年会に出席した。
 
 7日は午前中に仕事を片づけ、午後から市役所に行く。すると昔、羽鳥野造成を一緒に行っていた知人がたまたま訪れており、懐かしい話に花が咲いた。その後話しに出た羽鳥野を見に行くと家も増え、4丁目の造成にも取りかかっていた。帰り道に港で夕焼けを迎えたので車を停め撮影場所を探す。船が少なければと思う所だ。
 
 8日は良く晴れるという天気予報を信じて中央道で登山に向かう。当初目的の山は道路が封鎖中だったので
蛾ヶ岳に変更したが、非常に展望が優れた山で感動して帰宅する。
 夕方から町内会の新年会に出席し、色々な話を交わしてきた。
 
 9日は朝から消防出初め式に出席する。車載の温度計は開始前に9度を示しており、例年より暖かで過ごしやすかった。その上消防団員は防寒服を着用できるので楽だと思っていたら、何故か副分団長以上は防寒着を着用していなかった。急遽当日に変更になったようだ。
 
 出初め式では消防団員等に対する表彰や模範演技が行われたが、例年の車両行進や梯子乗りが省略されていた。これは成人の日と同日開催するための時間調整なのだろう。
 市民会館中ホールで行われる消防年頭祝賀式典に出席し、ついでに成人式の状況を見るために職員に頼み大ホールの隅で式典部分の状況を見せて貰う。会場の一部には騒いでいる者も居たが、酷いという状況ではなかった。退席しながら職員に『本市の成年はしっかりしてますね』と言うと『過去20年で最も良い成人式でした』と言う。複雑な気分である。
 
 帰宅してHPの整理などを行い、夜には地元消防団の新年会に出席する。この夜は成人式後の同窓会もあり、街中の各所で盛り上がっていたことであろう。
 
 10日は朝から資料作成や部屋の片付け、HPの更新などをしていたら夕方を迎えてしまった。天気は良いが連休の最終日なので外出して渋滞に巻き込まれ無くて良かった、と自分を納得させ犬の散歩を行った。
 
 
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2011年1月中旬の記録