倉岳山 990m 山梨県大月市
2010年12月11日登山:W辺と2人

 
 年末にホリデーパスを使って山に登り、下山後に一杯やろうという企画がW辺との間に持ち上がった。中央線沿線では扇山とか陣馬山とか多くの選択肢が有るが、厳しい企画になる梁川駅から倉岳・高畑を経て九鬼山まで縦走し、田野倉駅に降りる計画とした。
 
 前夜に年末の挨拶に寄った親戚宅で翌日に影響が出るほど飲んでしまい、午前4時半に起床し酒臭いまま巌根駅に向かう。午前5:32の列車に乗る前に自販機でホリデーパスを購入するつもりが電気が入っていない。しかたなく乗車証明を受け取り内房線に乗る。千葉・東京と乗り継ぐと事故で列車が遅れる社内放送が流れる。W辺との合流は高尾で8:20の予定だが列車は15分以上遅れて8:32に到着した。それでも接続を待って出発になるので無事合流。無人駅の梁川駅から歩き始めたのは9:10を回る頃だった。
 道路から沢沿いにはいると昨日の酒が効き始め、喉が渇くし息が切れる。幸い豊富に水があるので谷の水を飲みながら進み、10:31に立野峠、11:02に倉岳山の頂に到着した。青空が冴えているが富士山は背後に雲を背負い今ひとつスッキリしない。時間も早いので次の高畑山まで進むことにする。予想外に大きく多い上り下りを経て11:56に高畑山の山頂[981m]に到着する。他にも8人ほどが食事をしている場で昼飯にする。今回は電車なので山頂の麦酒を迎え酒にする。朝から続く胃のむかつきが消えていく。
 先が長いので12:25に山頂を出発し、落ち葉が多く人が減った道を大桑山を経て突坂峠に降りる。ここから林道歩きを進めながら残時間を計算すると、速度が想定より遅いこともあり九鬼山の下山路が暗くなると推定された。計画前半で打ち切り車道歩きで朝日小沢に降りたがバスは10分前に出たばかりで3時間来ない事が解り猿橋まで歩くことにした。長い舗装歩きで疲れて猿橋駅には15:25に到着した。大月まで電車で移動し程良い疲れの中、駅前の「かつら」でおつけ団子と日本酒を楽しんでから快速電車で帰路に着いた。
思親山 1,031m 山梨県南部町
2010年12月24日登山:単独

 
 年末恒例の富士を見る山に行こうと思っている日々の中、23日の昼から木更津中の島で『恋人の聖地』モニュメント完成イベントに出席し、そう言えば山梨百名山である白鳥山(567m)も指定されていた事を思い出し、見に行くついでに近くに聳える思親山を登ることにした。
 
 今回の山は富士山の南西なので午前中だと逆光になると考え出発はのんびり7時過ぎにした。南風で湿った空気が入ったためか晴れていてもアクアラインから山が全く見えないだけでなく、東名を沼津で降りても富士山が見えていない。午後には何とかなるかと思いつつ、途中で日本の道の駅で最も売り上げの大きい『富士川楽座』で見学やB-1出場の『みしまコロッケ』を食べたりして時間を潰し、白鳥山駐車場には11:17に到着する。
 車を停めて7分で山頂に着くが富士はまるで見えていない。それどころか小雪も舞い、七面山方面は吹雪いていそうな風景である。今回は富士を見ることなく終わってしまうのか、と思いながらもせっかく高速代を払って来たのだから予定通り思親山も登ろうと佐野峠を目指す。
 内船駅前で教えて貰った細く急で運転が大変な林道を走り標高845mの峠に着いたのは12:24であった。白鳥山の時より富士山が見え始めているので淡い期待をして東海自然歩道に指定され「熊注意」の看板がある登山道で山頂を目指せば12:56に頂の広場に到着する。風もなく日差しも暖かで気持ちよい空間であるが、富士には雲が掛かっている。駿河湾方面などを眺めていると雲がゆっくり南に流れ、段々晴れてきそうな気配がする。車まで30分という気軽さとクリスマスイブの夜が暇なこともあり、山頂で展望の回復をひたすら待つ事にした。
 一人山頂でメールなどを打ちながら1時間を過ごしていると地元の人が登ってきた。その頃から雲が切れ始め、14:17に雲が消え富士山を一望の下に出来る。約1時間半の粘り勝ちである。この展望を得ずに帰ると思親山の印象が殆ど無く終わってしまう所であった。
 山頂で写真を数枚撮って下山を始め、佐野峠の車には14:41に到着する。往復の歩行時間は1時間以下で、山頂待機が長い山に成ってしまった。それでもうっすら汗もかいたので麓にある『なんぶの湯』に立ち寄りサウナや打たせ湯を満喫する。
 
 湯上がりに外に出ると夕焼けが綺麗である。これは白鳥山に再度登るべきだと思い、登山口の駐車場まで急ぎ、8分歩いて2回目の山頂を踏む。夕焼けを受けて富士山が赤く染まっている。2年前の12月26日に杓子山で見た朝焼けの富士の逆を見られたようで嬉しい。
 夕食は事前調査をしていた富士市の『つけナポリタン』を吉原商店街まで食べに行く。カーナビが故障中で迷いながら着いた先には駐車場がなかったり、色々と苦労したが結構美味い味に満足する。朝は山が見えず、どうなることかと思ったが、結果的には山も湯も食も充実した旅に成ったと思いながら20:35に帰宅して、イブの夜にこのHPの更新をした。 
蛾ヶ岳 1,279m 山梨県市川三郷町
2011年01月08日登山:単独

 
 冬型が強まり週末の太平洋側は良く晴れるだろうと天気予報が伝えていた。8日の夕方には町内会の新年会が入っていたが山梨の低山で有れば日帰りが可能であろうと、夜のニュースを見ながら檜峯神社から釈迦ヶ岳と大栃山を登る計画を建てて床についた。
 午前4時半に起床し、中央道一宮御坂ICに降りたのは夜明け間際の6:45で有った。檜峯神社に向かうため国道を曲がり少し登ったところで行く手を阻むフェンスが道路上に設置してあった(後日笛吹市役所に聞くと12/1〜4/23が冬季通行止めらしい)。標高は700m前後だろうか。ここに車を停めて往復することも考えたが行動時間が7時間を回り、夕方の新年会に間に合わない可能性が有るため、地図もなかったが小林泰彦氏が『日本百低山(文春文庫)』で展望が優れていると評価している蛾ヶ岳(ひるがたけ)の登山を行うことに急遽変更し、県道で四尾連湖(しびれこ)を目指すことにした。どちらも難読地名である。
 
 市川大門より山道を進み、よく急斜面に集落が存在しているな、と何度か思った後に登山口の広い有料駐車場(400円)が現れる。料金所で地図を渡すと看板には書いてあるが料金所は無人で、地図はどこにも置いて無い。低山だから地図無しで大丈夫だろうと覚悟する。
 登山準備を終え8:16より歩き始めるが、この時間では富士山が完全に逆光なので少し時間を稼ぐつもりで四尾連峠を経由して登る事にした。峠までは軽トラックの轍が残るような快適な道を進む。峠には看板が設置されているが解りにくく、展望台の位置が理解できない。諦めて縦走を開始して大畠山肩を経由し起伏の少ない道を進む。途中の鞍部には細い尾根が形成されており人為的に平坦さを確保しているので有れば先人の偉業に頭が下がる。既に樹林の隙間から南アルプスや四尾連湖が見え気分も高まってくる。さらに道を進むと明らかに蛾ヶ岳をトラバースしている。標識も「四尾連湖←・→精進湖」と出てきて分岐を見落としたかと不安になる頃、西肩峠に到着し、そこから折り返すように頂を目指すことに成った。地図が無い不便を実感した。
 峠から12分の登りで9:30に頂に着くと、そこは西北側が大きく切り開かれた大展望台であり、振り返ると富士山も大きく聳えていた。南アルプスは南から赤石岳、悪沢岳、農鳥岳、間岳、北岳が真っ白に冠雪しており、右には韮崎方面の谷を鋏んで八ヶ岳が裾野の広がりを見せ、さらに右側には秩父山塊を背負った甲府市街も見下ろせる風景に写真を撮りまくる。今まで好展望の低山として人に聞かれると横尾山日向山を挙げていたが、それらに優るとも劣らぬ快適さであり、今後は薦めねばと思うところである。結局40分も一人の山頂を満喫してから下山を始めると2人とすれ違った。この晴れ方に、もう一つ別の山でも登りたいとも思うが今日は時間がないのが残念である。下山は直行ルートにしたので山頂から45分で登山口に戻ってきた。その後、駐車料金を払うため水明荘に行き、その足で湖畔周遊を行いながら湖越しに見る蛾ヶ岳の姿はあまりに平凡で、見上げた姿と山頂の感動の差を改めて思いつつ車で帰路に着いた。
 鰍沢温泉かじかの湯で汗を流し、昼食として『みみほうとう』を温泉の食堂で取り、本栖湖経由で富士ICより東名に乗った。大和で事故渋滞に合い、横浜経由でアクアラインを渡り、自宅に帰ったのは新年会集合時間の30分前であった。何とか間に合ってホッとした。
愛宕山 408m 千葉県南房総市
2011年01月27日登山:A津さんと2人

 
 県別最高峰の中で最も低く、それでいて自由に登れない山が我が千葉県の愛宕山である。この山にS井と登ろうと話し、2週間前に航空自衛隊峯岡基地(0470-46-3001)に電話して予約を入れたところ、5日前にS井は仕事で出張となり山に行けなくなった。せっかく取った予約がもったいなのでA津さんに電話をすると夕方5時半から仕事なので、それまでに木更津に帰れるなら大丈夫だと言う事に成り、相方を変えて山に向かった。
 
 基地に入る許可時間は12時から13時である。自宅を出てA津さんを拾ったのは朝9時と早かったので、時間調整に保田の大崩水仙郷で花見を楽しみ、道の駅「みんなみの里」で早めの昼食を取るなどのんびりと過ごし、自衛隊のゲートには11:48に到着した。
 時間前であったが手続きを取っていると係りの隊員が来て直ぐに三角点を目指して歩き始めた。と言っても標高差は60m程度なので山頂に着いた後で自衛隊内に流れる正午のラッパを聞いた。自衛官から右の登頂記念をもらい、軍事施設を写さないように記念写真を撮って車に戻ったのは12:12であった。
 
 往復20分弱の愛宕山だけで帰るのは勿体ないので、太平洋が良く見える高鶴山[326m]を登るため橋本の集落に移動する。12:31より水仙の香りの中を登り始め、富山や伊予ヶ岳を見渡せる山頂には12:53に到着した。愛宕山では撮影が禁止された軍事施設がここからは良く見渡せる。山頂で展望を楽しみながら30分ほど休憩を取って下山する。
 移動途中にある曽呂尋常小学校分教場を見学していると、鴨川の小学校に通っていたA津さんは、この分校から転勤してきた先生に教わったと言う。団塊の世代の歴史を感じなら車で小保田の集落に向かう。
 午後2時を回った嵯峨山[315m]登山口の駐車場には他に車も無かった。14:31に準備を終えて出発し小さな沢を渡った後、右手に水仙の畑を見ながら坂を上っていく。中には放置され雑草と生存競争をしている水仙畑も有ったが稜線の通称水仙ピ−クまで花と香りに満たされている所は、流石に冬の房総の山だと楽しくなる。
 嵯峨山の山頂には15:01に到着。三角点では展望がないが北側の社周辺は切り開かれ富津岬や浦賀水道が良く見えて気持ちがよい。大崩で購入してきたハッサク等を食べて展望を楽しんだら富津の秘境である釜台を経由する周遊ルートで下山する。七曲がりを登っている途中に仕事の電話が入り息を切らしながら会話して進み、駐車場には16:00丁度に帰り着いた。汗も流さずに帰り、A津さんの仕事にもしっかり間に合った。
▲愛宕山 ▼高鶴山・嵯峨山
稲含山登山口 石尊山 571m 群馬県安中市
2011年02月17日登山:F島と2人

 
 群馬県高崎までダルマを取りに行くついでに47歳の誕生日を記念して稲含山でも登ろうとF島と計画し、前夜は前橋に泊まって酒を酌み交わした。翌朝、高速で下仁田まで走り、雪の林道を茂垣峠まで登りはしたが、そこから山頂までのラッセルがそれなりに大変そうなので荒船や浅間の展望が良いと解っていても簡単に中止を決定した。でもダルマ受取まで時間があるので群馬百名山巡りをしようという話になって近くの低山を探した。
 
 最初は新幹線が1日に上下12本づつ停車する安中榛名駅の裏にある石尊山で、駅の観光案内で貰った地図によると登山口から山頂まで15分である。山より新幹線駅前に広がる東京まで59分の高級住宅街の方が気になり公園や街並みを堪能してから登山に向かった。路肩に車を停め少し雪の残る階段を上ると直ぐに山頂に到着する。祠の多い山頂から安中榛名駅を見下ろし、少し休んだら下山して一つ目は終わりとなる。
 直ぐに車で次の崇台山[299m]を目指すが登山口が解りにくい。山の周りを時計回りに走り回っていると東側で標識を発見し、絶対にすれ違えない幅の道を進入していくと山頂の少し手前にベンチが置かれた少し広い所が出てきたのでそこに車を停め2峰目を簡単に登ってくる。桜の季節には綺麗そうな山で、標高の割に高度感もある。難易度は来るまでの道に有るが浅間も見えて好感が持てる山頂であった。
 正午を回っていたが昼食を後に回し、3峰目として高崎の観音様で有名な観音山を目指す。
 群馬県民歴が長く、土地勘のあるF島の誘導で山道を走って観音山[227m]に到着。駐車場から殆ど高低差のない山頂を踏んでから観音様を参拝した。学生時代の4年間を群馬で過ごしたがその間に来たことが無く、始めて近くで見たが、戦前の構造とは思えないほど綺麗な観音様であった。
 
 累積標高差も2百メートル以下の登山を完了し、板鼻でタルタルカツ丼を食べてからダルマを取りに行き、その後は小林山達磨寺を参拝の後、泉質の評判が高い前橋駅前温泉で汗を流して解散した。正確には流すような汗も出ないような簡単な山ばかりで、記録を残すほどの事だろうかと悩みつつ誕生日登山を終えた。
石尊山
崇台山 観音山
No64 .2010/12-2011/2    ←No63No65→
日本を走る