39.1月下旬の活動記録
 21日は朝から自宅で知人と打合せを行い、昼から市役所に行く。都市整備部や経済部で打合せを行った後、午後2時15分に市のバスに乗り、富津市役所で開催される「かずさ四市議会議長会議員研修会」という「議」の文字が3回も出る研修会に参加する。
 研修議題は「二元代表制下における首長と議会」であり、竹原阿久根市長や河村名古屋市長、橋下大阪府知事等の首長が議会と対立する状況があり、タイムリーな演題であったが、諸外国と比較した組織形態論や自治法と憲法の関係に終始し、講演に沿った整理整理が為されず残念だった。
 いずれにしろ、市民が議会を見る目が厳しくなっていることは事実であり、議会の側から執行機関のチェック体制として機能していることを発信せねばならない時代になっている事を認識するべきである。なお、議会で派遣決定され、他市の議員と供に行う研修は年に約2回実施されている。平成19年当選以来の経緯は下表の通りである。
No 当番市 研修内容 備考
1 2007 11 7 木更津市 衆参ねじれ時代の政治展望 県南※1
2 2008 1 22 君津市 後期高齢者医療制度の研修会 四市※2
3 2008 11 20 館山市 これからの地方議会の役割 県南
4 2009 11 17 山武市 市町村行政をめぐる最近の話題 県南
5 2010 1 21 袖ヶ浦市 羽田再拡張事業の概要 四市
6 2010 11 16 南房総市 流動化する日本政治の行方 県南
7 2011 1 21 富津市 二元代表制における議会と首長 四市
 ※1・・・「県南」とは「千葉県南12市議会議長会議員研修会」を意味する
  12市(館山・木更津・茂原・東金・勝浦・鴨川・君津・富津・袖ケ浦・いすみ・南房総・山武)
 ※2・・・「四市」とは「かずさ四市議会議長会議員研修会」を意味する
  四市(木更津・君津・富津・袖ケ浦)
 ※3・・・2009年1月頃に木更津市が当番で開催された「四市」は、合併特別委員会の対応で
  当時メンバーでなかった私は議会派遣をされず、参加してない
   
 研修内容を見ると、政治に携わるものとして適宜適切な研修テーマであり、政務調査費などを使用して自主的な研修を深めるべきとも思う。ともあれこの日は研修から帰宅後、地域で打合せを行った。
 
 22日は午前中に仕事を片付け、昼に放送で聞いた「アリランラーメン」を食べに長柄町まで走った。土曜日なので先客も多く、木更津に帰ってくるまで3時間半を掛けた昼飯になってしまった。まぁ圏央道の進捗状況も見えたし、待ち時間で読書が進んだので良しとしたい。
 
 23日は午前中に仕事を片づけ、昼から中央公民館に行き男女共同参画フォーラム事業の講演会「あなた、わたしがいなくなっても大丈夫?」を聴きに行く。本年度は4個のテーマの元に別々の会場で実施し、初日になる15日に福祉会館で2講演、最終日が28日に清見台公民館で1講演が実施され、今回は真ん中である第3回目の講演である。
 60人を越える聴衆の中で講演は開始され、孤独化が進む中での高齢化社会の問題が次々と提示され政策面でも勉強になった。大多数が女性の参加者も講演後に次々と質問し、自らのことのように老後を心配していた。相談先は市役所にも有るのだが、ハードルが高いのかもしれない。
 初回である15日も大勢の聴衆が集まり有意義で有ったようでイベントとしては素晴らしい成功を収めていると思うが、要はこれが地域の男女共同社会造りにどの様な結果になるかである。そんな事を考えながら帰宅し、夜はHPの更新に取りかかったが、様々な作業が終わる前に日付が変わり、床についてしまった。
 
 24日は朝からHPの更新作業を続けながら各所と電話で打ち合わを続ける。午後からアカデミアピアノコンクールで供に実行委員を行っている知人の要望を受け市役所各所に同行する。君津市が実行している文化事業に比べ、木更津市の「まちづくり協動」の自由度が少ないことを改めて実感し、将来的には都市部局から全市的な事業に変更する必要性を感じた。その後、様々な打合せを行い日没後に帰宅した。
 
 25日は昼過ぎまで各所で所用を済ませた後、午後4時から青年会議所の新年例会に出席し、その後はOB会の総会に出席する。直前に亡くなられた先輩のことも有り複雑な気分だった。
 
 26日は午前中に事務所で仕事を片づけ、昼から市役所に行き木更津市に政策提言がある人の話を会派室で伺う。沖縄県では具体的な検討を進めており、渡辺県議も取り組んでいるテーマなので改選後には勉強会を設けても良いかなと思う。その後、自宅で知人と打合せを行い、夜には先輩の通夜に参加する。享年58歳。突然の死が辛い。
 
 27日は休暇として、連日の運動不足解消に千葉県最高峰の
愛宕山を含む3つの山を歩いて来る。連日寒い日が続いているが房州には春の息吹が訪れていることを実感してきた。帰宅後、HPを更新する予定だったが程良い疲れで早めに床についてしまった。
 
 28日は午前中に仕事を片づけながらHPの更新を行い、午後から市役所に行き各所で打合せを実施する。色々情報を聞いた中で、太田山の伐採を聞き、帰りがけに現場を見に行った。東京湾側の展望が開けて明るくなって気持ちよいが斜面の安定上は若干心配でもあった。
 
 29日は政治団体会計報告を作成して県庁に郵送し、11時から渡辺県議の賀春交歓会に出席する。八宝苑のロイヤルホールを埋め尽くす人の多さに感動していると、市議会議員として壇上に呼ばれ、挨拶をした。
 
 統一地方選挙で立候補を検討している2名も紹介され、選挙が近いことを実感してきたが、それにしても新人の噂が少ない。現状では前回のように定数を大きくオーバーすることは無さそうである。
 賀春交歓会から帰宅したら直ぐさま江川区の集会所に行き、各種ボランティア(民生委員・青少年相談員・子供会・消防団等)の慰労を兼ねた新年会に出席する。
 さらに夜7時から市民まちづくり塾で翌週に予定している太田山樹名板設置に向けた段取り調整会議に出席し、帰宅後にアジアカップ決勝を見始めたが、残念ながら勝負が付くまで起きていられなかった。
 
 30日は午前中に立正佼成会の節分祭に参加し、午後3時から海ほたるで行われるアクアライン800円継続を願う運動に拾われて行く。
 
 水越市長、渡辺・高橋両県議や農協を始めとする地元各種団体も大勢参加している中で、森田知事とチーバ君も駆けつけ、海ほたるの利用者やテレビを通じた国民に熱くお願いをした。その後、チラシを配布して賛同を呼びかけて解散した。
 夕方から市街化調整区域における土地利用方針の説明会が久津間集会所で行われるので地元議員として参加する。市からは休日にも関わらず3人の職員が参加して丁寧な説明を行っていただいたが、一層の理解を深めるためには、具体的に土地活用をする場合の手続きや規制を話さないと解りにくいだろうと、改めて実感した。
 約2時間の説明会を終えて帰宅すると明日が休暇の友人が待機しているので、急いで着替えを行い、我が愛車で裏磐梯まで走り深夜の宿について床についた。
 
 31日は氷点下8度を示す裏磐梯猫魔スキー場で朝から滑る。修学旅行生と思われる中学生の一団を除くと、平日とは言え驚くほど空いているゲレンデに、近年の若者のスキー離れを実感する。帰路は雪の会津若松鶴ヶ城を見てから甲子峠を越え、午後11時過ぎに帰宅した。これで1月も終わりである。
 
 
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2011年2月上旬の記録