42.2月下旬の活動記録
 21日は早朝に簡単な仕事を片づけ、10時前に市役所に行く。議会質問の通告日なので、多くの議員が登庁しているが、今議会で私は「一般質問」を行わない。だが、今年度補正予算は委員会負託がないので、審議の前に議場で質問せねばならないのでその通告に来たのである。
 前夜の内に聞いておくべき事項をまとめると当初は18項目にも成ってしまった。あまり議員や執行部の共通認識にしなくても良さそうな項目を削除するため、鶴岡議員と供に担当課を呼び話を聞き続ける。鶴岡議員と重複する項目や問題が少ない項目を削除し、8項目に絞り終えたところで質問の通告を行う。なお、一般質問の通告も終わり、議会日程は次のようになった。
日時 曜日 時間 項目 質問者 備考
02月22日 10:00 本会議 H22議案の審議
03月01日 10:00 代表質問 滝口 敏夫 F未来
13:00 前田 清治 正栄会
14:50 住之江雄次 公明党
03月02日 10:00 野田 芳久 新栄会
13:00 個人質問 山形 誠子 共産党
14:00 大村 富良 正栄会
15:20 白坂 英義 新栄会
03月03日 10:00 平野 卓義 F未来
11:00 國吉 俊夫 正栄会
13:00 佐藤多美男 共産党
14:00 鶴岡 大治 F未来
15:20 斉藤 高根 F未来
03月04日 10:00 三上 和俊 F未来
11:00 高橋てる子 元気力
13:00 大野 俊幸 正栄会
14:00 本会議 議案と請願の質疑
03月07日 10:00 委員会 総務常任委員会
13:00 経済環境常任委員会
03月08日 10:00 建設常任委員会
13:00 教育民生常任委員会
03月09日 10:00 予算審査特別委員会
03月10日 10:00
03月11日 10:00
03月18日 10:00 本会議 議案と請願、陳情の審議
 (終了後) 議員全員協議会
 (終了後) 議会広報委員会編集会議
 明日の質問を整理するため午後3時過ぎに帰宅し文章化に取りかかる。この日は選挙より政策の日を過ごして、全く地域周りが出来なかった。
 
 22日は朝からHPの更新を行い、市役所に向かう。10時からの議会で、補正予算の審議が始まり、一般会計の補正予算で鶴岡議員の@土地売却収入の内容・A土地開発公社が6億円で購入する土地の概要・B路線バス補助金の増加理由、という3項目の質問の後、私から@基金繰入金で霊園基金とまちづくり基金繰入を廃止した理由・A企業誘致事業費が減少した理由・B道路整備事業費等の減額を維持補修に回さなかった理由・C金田西負担金が大幅減額した理由・D祇園小と高柳小の耐震対策事業概要・E公民館・図書館・博物館の改修事業の概要という6点の質問を通告に従って行う。基本的に委員会負託すればその中で審議されるような内容であるが、今回は一発審議であるから聞かざるを得ない。私の質疑の後に山形議員の通告に基づく質問があったが3項目の内の2項目が私のD・Eに重複していた。前日の通告時に聞いておけば時間短縮も図れるのにと思いながら質問を聞いた。その後、通告の無い質問として佐藤議員の質問があったが、職員の反問権や質問時における議員間の議論を認める議事運営を考えねば成らないと、議会改革の思いを強く喚起させる質問であった。
 国民健康保険特別会計でジェネリック医療品利用促進費の減額理由と促進状況を聞き、老人保険特別会計で歳入と歳出の双方に一般会計の繰入・繰出を行う理由を質問したので今議会で一般質問を行わなくとも議事録に名前を残してしまったと、質問後に考えてしまった。ともあれ多くの議論があったが全ての補正予算案件は全て全会一致で可決され、この日の議会は終了した。
 その後、2階の正面玄関前で、解散前の議員と議会事務局等による記念写真撮影を行う。どうやら恒例らしい(写真は整列前の状況)。
 
 この中の何名かは引退するだろうし、選挙の洗礼を受けて次期にはどの様な顔ぶれになるか等と想像しながらカメラに目線を送った。
 会議終了後、街中の支援者の挨拶周りを済ませて帰宅し、夜7時から岩根西公民館に行き巌根駅西口広場の改修計画の説明会に出席する。問題意識も多いようで区長さんを中心に30名を越える参加が有った。私も説明を聞くだけのつもりだったが市役所に促され、田中区長会長や小籠区長に引き続き、『巌根駅に快速電車を停めよう!推進協議会』事務局長として冒頭に若干の挨拶を兼ねた説明を行った。
 職員からの丁寧な説明の後、地域からの多くの意見が出され、活発な議論が展開され、駅がどうあるべきかという認識が地域で作られていく過程が嬉しい。残念ながら警察協議確定前なので図面を配布出来なかったが、それに関する異論も生じなかったのは流石である。なお、会場には関係の深い高橋県議、大村・斉藤市議も来られていた。下の写真は斉藤市議に撮っていただいたものである。
 
 説明会終了後の多くの区長が駅だけでない岩根地区の変化を感じていただいているようで喜ばしい気持ちになった。
 
 23日は市内数カ所の挨拶周りを行った後、市役所で打合せを行い、その後は自宅に帰って確定申告書類の仕上げ作業を実施する。この日の早朝に西岩根で火災があり、先週の江川の火災から頻発状況にあるので江川消防団は自主的に夜警を始めていた。年度末の忙しい時期なのに団員の皆様には本当に感謝する所である。
 
 24日は午前中に確定申告書の提出を済ませ、市役所で打合せを行った後は市民会館で行われる国体木更津実行委員会の総会に出席する。
 確定申告会場などに中・小ホールを抑えられたため大ホールでの開催となり、広すぎて閑散としていたが、市が1億2千万円も支払った負担金に対し事業費残金の約4千万円が返却されることなどを承認し、実行委員会が解散となる事を決める重要な会議であった。
 その後、市役所で打合せを行った後、自宅に帰り、選挙が近いことに関係なく情報開示をせねばとHPの更新を始めたが、様々な所用に中断され続け、作業が終わったのは日付が変わる頃であった。
 
 25日は市内で打合せを行った後、10時からの教育民生常任委員会を傍聴する。議題は(仮)請西保育園の整備であり、一般質問に先立ち急遽徴集された協議会である。注目の高い案件のためか大野・高橋・斉藤・鶴岡・篠崎・小林と私という7名が傍聴に参加している。請西の保育空白区の件は
9月定例会で私が質問したが、たった半年前にはその様な検討が無く、さらに12月議会で次期3ヶ年計画の協議を行う中でも出なかった話で、必要性は認識しながらも唐突感は否めない。福祉部長答弁で経営戦略会議でも後追い承認になったことが明らかになり、議会軽視の上に市役所内の意志決定手続きがこれでよいのか、議論を起こすところである。その上、祇園保育園の廃止や民営化の流れが有る中で市立保育園とする事など、今後の議会で揉めそうである。
 市役所で昼食を取り、その後各所で打合せを行った後に帰る途中で先週19日に開所を終えた
渡辺県議の事務所に始めて顔を出す。ラーメンを注文したくなるが、交通の要所で駐車場も多く、良い事務所である。
 夕方からは市民まちづくり塾の会議に参加し、今後の活動について打合せを行った。
 
 26日は後援会の拡大活動で朝から走り回った後、事務所で資料作成を行い、夕方から近藤忍後援会の役員会議を行った。後援会長は発足以来替わらないが、副会長等は4年ぶりに変更することになった。その場で、先週に高崎から運んできたダルマを披露したので、HPにもアップすることにする。
 
 27日も後援会の拡大活動を行っていたが、午後4から行われる自民党木更津支部の総会と5時からの12選挙区総決起大会に出席するためアカデミアホールに行く。12選挙区で選挙が確定しているのは袖ヶ浦市だけであるが、現在の民主党政権における問題点が数多く報告される大会であった。
 渡辺県議の報告の際に統一地方選挙に望む市議として木更津市議団の一員として壇上で紹介され、さらに総決起大会の最後に地元木更津市の最年少議員としてシュプレヒコールをしたので目立ったかもしれない。
 
 28日は朝から冷たい雨が降ってる。仕事も溜まったしHPの更新も怠り気味なので、この日はもっぱら内業に力を割く。職員に対する地域手当の件でメールが届くなど、名古屋の選挙が影響しているかは解らないが、議会に対する市民の目は結構厳しそうである。
 夜には友人が11日遅れの誕生祝いという名目の飲み会を開いてくれたので街中に出ていく。大きなケーキを分けて食べながらワインを飲んで話をしていると、自分の芸術文化に対する教養の低さを自覚したり、海外を見てきた人達から話を聞いたり、刺激になる。たまには政治や選挙から離れることも重要だと思って帰宅した。
 
 
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2011年3月上旬の記録