44.3月中旬の活動記録
 11日は土木費・消防費・教育費・水道事業会計等の審議である。橋梁の改修計画が平成24年度であること、中野畑沢線の桜井工区の補助申請のため費用対効果算出を150万円掛けて行うこと、下水道認可地域の拡大には現在の認可地域の8割の整備が必要なため数年では真舟などに拡大困難なこと、消防団の統廃合の必要性、武道教育の実状などが議論される。平野秀樹議員より文教公民館の請西移転も検討すべきという興味有る提案に続き教育費の議論を進めていると大きな地震が市役所を襲った。審議を一時中断して情報収集に当たると東北で巨大地震が発生していることが解った。
 周辺状況を知りたく、市役所の屋上から周辺を見渡すと市内で火災は生じていないが新日鐵より大きな煙が上がっていた(埃が舞ったようだ)。遠くで煙が立ち上がっているのも見える。そのうち茨城沖のM7.4地震も発生して庁舎から退所となり、審議は中断された。
 外の広場でワンセグを見ていると太平洋岸の諸都市が大津波に飲まれていく映像が流れているし余震も頻発している。地震の規模もM7.9からM8.4、さらにはM8.8と変更され国家規模の災害であることが明らかになってきた。内房地方にも洪水警報が出ており緊張の中で自宅に帰り、電話が通じない中で報道の情報を食い入るように見続けた。
 
 12日には渡邊県議の総決起大会が予定されていたが、地震を受けて自粛するという連絡が届いた。私も今夜に会議を予定しているがどうするべきか悩むが、会場がキャンセルを奨めたことと、気象庁が大規模な余震の可能性が高いと伝えたことより中止を決める。
 昼からは渡邊県議の総決起大会に私がお誘いした方が中止を知らずに来る可能性があるので大ホールの前で待機する列に加わり、知人が来たときには連絡の不十分を詫びながら、自分の会議中止を全力で連絡し続ける。携帯電話が通じにくい状況の中で連絡に苦労しながらも夕方になる前に何とか全員に伝達できた。
 その後は夕方からまたも報道の情報を見続けるのだった。
 
 13日は朝8時より地元の溝払いに参加して水路の整備を行い、昼食時間には区の次期土木委員と打合せをする。午後2時からは福祉会館で行われた立候補者事前説明会に参加する。定数28の席に32陣営が資料を取りに来たと聞く。4名超過の選挙となりそうである。
 
 14日は万石地区桜まつりの打合せを済ませてから10時開催の『木更津駅駅前広場再整備計画策定検討協議会』を傍聴に行く。地震の影響で欠席者が多い中で開催された会議は、他にも國吉・鶴岡・平野卓・小林と4名の議員が傍聴するという注目の高さを示しているのに、市役所内部の意思統一不足を露呈させるものであった。
 午後からは、本来なら十九の会で君津中央病院の研修会を予定していたが、11日に発生した地震で予算審査特別委員会がこの時間に延期になったため中止になり、代わりに委員会の傍聴を続けた。区画整理で発掘された文化財で未整理のものが3千ケース以上有り毎年1千万円の予算で250ケースを処理しているので全て片づけるのには10年以上(1億円以上)かかる事とか、地下水利用の9施設による上水道の損失額が7千3百万円程度である事とか、興味有る議論が行われた後、採決の時間を迎えることになった。鶴岡委員が賛成討論の中で請西保育園の用地取得や運営方法の不明朗を暗に指摘していたが「執行に当たっては市民や議会の理解を得ることを強く要望」すれば良いのにと思いながら4日間の傍聴を終えた。
 帰りがけに企画化に立ち寄り国勢調査を反映した3月1日現在人口を聞くと、本市史上最大129,485人である事が解ったが、時節柄派手に報告することも控えられると思いながら帰宅する。夜には後援会のデータ整理やHPの更新などをするが、福島の原子力発電所や明日の停電予定などが気になり仕事が進まないで深夜になり、節電のために1時には作業を終えた。
 
 15日は選挙で臨時駐車場として使用する土地の一時借用の申し込みや選挙事務所の備品の借入の打合せ、立候補に必要となる30万円の供託手続き等の事務所処理を市内で済ませてから市役所に行き、会派室で会派会計の精算や議会広報紙の紙面構成打合せを行う。
 その後、斉藤・鶴岡両議員が揃ったところで書類の手続き調整を済ませ、それから議長室に出向き、議会事務局でも前例が思い出せないと言う本会議場における修正案1件と発議案1件の提出を行う。これは今回の東北大震災発生に伴い、採決まで間がない中での緊急的な行動である。詳細は『
思うこと』に記載する。
 計画停電で信号機が沈黙した街中を通って帰宅し、ロウソクの明かりの中で臨時後援会役員会議を実施する。選挙情勢の報告や推薦状況なども議題の一つであるが、私からお願いしたことは、今回の選挙で選挙用自動車を使用せず、それによる公費負担(ハイヤー・タクシー方式の限度額は451,500円、レンタル方式の限度額は車両・燃料・運転手の合算額で246,050円)を受け取らないという事であった。色々心配もされたがこの情勢の中なので快く理解していただいた。会議途中で停電が終わり蛍光灯の明かりの中で技術の偉大さを改めて痛感する。
 
 16日は朝からHPの更新や選挙事務所類の作成を進める。斉藤・鶴岡両議員のHPを見ると既に昨日の発議がアップされていた。私を含めた3人がピエロに成らないことを願いながら私もHPをアップする。
 その後、前夜の会議で車両を使用しないことを決めたので、前回車両を借用した会社に趣旨を伝えに行くと会議招集の電話がかかり会派室に行き幹事長に当方の提出趣旨を伝えた結果、翌日の午後から会派会議を行うことになった。
 夕方からは農協岩根支店で行われた総代座談会に出席する。不良債権の抜本処理を断行して当期損失額が約6億円という内容であり、業務体質改善に向けた苦悩は続いている。なお、震災に伴う米騒動に対しては農協に販売可能な量が充分に有るようなので、これを機に市民が農協の米の美味しさに気づいてもらえる活動を考えるべきだろう。
 
 17日は朝から岩根小学校の卒業証書授与式に出席する。会場で岩根4丁目の山口区長さんと話すと第8回桜祭りを中止にする方向のようだ。明日に予定されていた議員全員協議会での三井アウトレットパークの説明や21日の太田山活性化プロジェクト、25日の某送別会、来月1日のバカの日制定式など次々に中止される中で行われる卒業式だ。今年の卒業式が例年と違うのは卒業生の数が少ない(来年の岩根西中学校の1年女子生徒は僅か19名である)ことと、計画通りに実施された停電により照明が消えた中で卒業式が行われたことである。
 小学校の卒業生がこのHPを読むと思えないが、停電を耐えて被災地の復興に協力する優しさと、現場では困難な中でも使命を遂行する勇気が世界から称賛されているこの時期に卒業したということを記憶し、一生懸命勉強して日本人の美徳を失わない大人になれ、と小さな背中に思いを送った。
 式典が終わり、昼から市役所で会派会議を始める。3名で提案した内容について賛否両論が出されるが手続き上の問題が多く指摘される。結論として3時から行われる緊急会派代表者会議の結果をもって、明日9時から再度会派会議を行うことになった。
 
 18日は9時から会派会議が行われ、この日に3名で発議する案件は会派拘束をしない自主投票にする事を決めて議会に望む。負託案件の各委員長報告が終わったところで休憩となり、まず職員に対する地域手当支給を1年延ばす修正案の発議のための議会運営委員会に出席する。そして議会が再開され斉藤議員による修正案の説明、それに対する質問と回答が行われ討論になる。地域手当の件だけでなくTPP参加反対の陳情に対する反対意見などもあり、議会は数多くの議論が飛び交う。高橋議員による地域手当支給延長賛成の意見も出されたが採決の結果は修正案の否決・執行部案の可決となり4月からの支給が決められた。
 次に市長より1件、議員より4件の議案が出され、2回目の議会運営委員会に出席することになった。案件は下記の通りである。
番号 内容(件名とは異なる) 関係部
議案36 業務委託変更契約の締結 都市整備
発議01 議会委員会条例の一部改正
発議02 TPP交渉参加反対を求める意見書
発議03 容器包装リサイクル法を見直し、仕組みを検討する意見書
発議04 木更津市議会議員の議員報酬の額の特例条例
 議案36は下水道公社との契約を減額する案件、発議01は教育民生常任委員会の所掌範囲から廃止される国体室を削除する案件、発議02と発議03は請願と陳情の可決による案件で、以上は特に問題ないものである。発議04は職員の地域手当を停止する間、議員の報酬もそれ以上の比率で下げようとするものであり、既に修正案が否決された後では説得力が弱くなる。むろん、選挙目当てと思われることは本意ではない。会派の中でも改選後に改めて議論すべき問題だと言われたとおり、本会議開催後には賛成を得ることが出来ずに否決され、3月定例会議は終わった。4年に一度の『蛍の光』が流れ議会は解散になる。
 しかし、議会広報委員会はこれからが活動の場であり、この日も午後から基本的な紙面構成について1時間以上の打合せを行う。今後は今月末と来月上旬に再度会議を行う必要が出てくる。4月も歳費を貰う以上は働くことが当然とはいえ、選挙間近で厳しい話である。
 委員会を終えて帰宅し、夕方まで事務処理を行った後、1週間ぶりに木更津の街に出て、9年前に法定合併協議会設置を袖ケ浦市議会の否決により阻止された友人と酒を飲む。連日の停電や自粛ムードの中で飲食店の経営も厳しくなっているようだ。友人は議会で否決される案件を提出する文化を作ることも重要だと言ってくれる。心からそう思う。
 
 19日は前日の酒が残る中で近隣を回り、後援会のデータを入力し、立候補関係書類の作成を行うなど、黙々と作業を進めた。
 
 20日も地域の役員の元に行ったり、集会に顔を出したりして過ごす。ラジオを聴いていると休日なので旭市にボランティアが大勢集まって活動している事を伝える。選挙事務などしている場合かと思う時も有るが、自分が改選せねば地域のために成らないと自らに言い聞かせる。
 
 
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2011年3月中旬の記録