47.4月中旬の活動記録
 11日からの1週間は、翌週に行われる市議会議員選挙の告示に向けて様々な準備を行う日々が続くことになる。東日本大震災から一月が過ぎても全体像が解らず福島第一原子力発電所の終結日程も見えない中では選挙という雰囲気でもなく、事実昨日投票された前半戦では投票率が大幅に減少していた。今朝も6:36頃に茨城県沖でM5.2の余震が起きるような中で後半戦の市議会議員選挙を行うことになるのである。
 午前中に後援会報の発送で郵便局に行き、その足で満開になった太田山の桜を見てきた。この1週間の変化は写真にマウスを重ねると解るように、春は駆け足で訪れていると思う。
 夕方に後援会の役員会議を行っていると大きな余震が来る。災害は現在進行形である。
 
 12日は朝から事務所で打合せを行い、その後市内で挨拶周りを行う。桜の開花が進んできたので翌年の『小櫃川桜祭り』の資料になればと、万石と高柳で写真撮影も行ってきた。

▲万石地区の桜
▼高柳地区の桜
 小櫃川の川風に吹かれているためか、太田山の桜より若干開花が遅いと感じた。来年も太田山の桜祭りと同じ日にすれば、どちらかは見頃を迎えているかも知れないと思った。
 
 13日も早朝から打合せを行った後、市役所へ打合せに行く。市役所前の桜も見頃になっていたので3日連続で桜の写真を掲載する。千葉日報では南房総市や館山市が補正予算を組んだという記事があったが、本市では5月臨時議会でも検討されないようだ。国の方針が確定しないためとはいえ速度感が足りなく思われる。
 午後から事務所に戻り、翌週に迫った選挙期間の準備や各種打合せなどに追われて過ぎていった。
 
 14日は無風の天気予報に誘われて、夜明けから巌根駅で昨年の活動報告を配布する。多分、木更津駅には多くの立候補予定者が集まっているのだろうが、ここはプライベートビーチならぬプライベートステーションだ、と思っていたら別の予定者も顔を出し、私を発見して移動した。その後、事務所で後援会継続確認作業や翌週の選挙期間用自転車作成などに追われる中、間もなく更新中断になるHPの更新作業も行った。
 夕方に用事で羽鳥野へ行くと、日本賃貸保証本社ビルが形になっていた。震災の影響がどうなるか解らないが、本市に進出する企業が早く営業を開始することで地域経済が早く活性化する事を願う。
 
 15日は午前中に、今回の選挙の前に届く予定である最後の後援会報の発送を行い、その後は地域をひたすら回り続ける。同行した後援会長の万歩計は2万を越えていた。選挙は健康によさそうだ。
 
 16日も前日に入会のお礼を伝えきれなかった範囲を歩き続ける。私は後援会の方だけを回っているのであるが「後援会に入った事もないのに○○さんが来たよ」という話を耳にする。それって戸別訪問?と思いながらも大同小異なので気にすることは辞める。
 夕方は岩根西中学校の歓送迎会に出席するが、後ろ髪を引かれつつも早退し、事務所で明日の出陣式に向けた最後の打合せを行う。ポスター掲示や交通整理など、イベント運営の検討が忙しく、明日の決意表明の原稿を検討する時間が取れないまま、HP更新禁止時間を迎えることになるのであった。
 
 17日は市議会議員選挙の告示の日である。朝から良い天気で風も弱く、絶好の出陣式日和である。前夜は報道ステーションの開始前に寝てしまったので午前4時前に目覚めてしまい、事務作業などを行っている内に書類提出の担当者が来る。
4年前は自ら書類提出に行ったが、今回は代理人による提出で、私自身は事務所に待機して来客を接待する事としたのである。
 8時前には後援会役員や青年部が集まり、本日の出陣式の流れの確認等の打合せを終えた頃、来客が多数訪れ始める。8時半過ぎに16番の籤を引いたという電話が入る。前回は19番だったから今回も掲示板の中央最上段を確保したことになり幸先が良いと思いながらポスター掲示係りに出発を頼む。
 
 9時半には浜田代議士が激励のために立ち寄り、その次に渡邊県議が出陣式出席のために事務所に訪れていただくうちに10時となり、出陣式を開始する。
 江野澤後援会長の挨拶、継いで渡邊県議と小籠岩根区長会副会長から来賓挨拶を頂き、役員を紹介した後で私から決意表明を行った。内容を簡潔に言えば地域の事を行うボランティアや区長と違いプロの政治家である市議会議員はどうあるべきかという考えを述べたうえで強い信念を通すための選挙協力をお願いするものであり、数名より良い内容だったと評価を頂けた。その後、大震災の関連で自粛すべきか悩んでいた『ダルマ目入式』と『シュプレヒコール』を実施し、出陣式は終わった。

江野澤後援会長の主催者挨拶

渡邊県議の来賓挨拶

近藤忍の決意表明

後援会長と近藤忍による目入式

出陣式終了後、自転車で遊説を開始する
 出陣式終了後、自ら自転車に乗りハンドマイクを片手に市内の遊説を開始した。今回の選挙では震災の自粛も兼ねて選挙用自動車を使用しない事にしたので、金曜日まで毎日自分で走り、演説するという体力勝負の選挙戦を行うことになってしまい、不安を抱えたまま走り始める。
 この日は、午前中に岩根地区、午後から清見台や駅周辺などの商業集積地の遊説を行い、日没前に選挙戦を終了した。なお、選挙開始前に荻野議長より震災の市民感情を配慮し、現職議員の選挙用拡声器使用は法律に決められた午前8時から午後8時ではなく、午前9時から午後6時までとするよう配慮すべき案内がFAXで届いていた事も有り、選挙戦は連日8時前に終了するかわり朝のお願い立ちをするという、早寝早起き型に成った。
 
 18日は7時から自衛隊OBの役員を中心に陸上自衛隊正門前に列び名前と顔を売り、9時から自転車による遊説にスタートする。この日は午前中に桜井を経て畑沢方面に向かい君津市との境界道路を走って帰ってくる。午後からは金田や高柳を走り、この日も日没で運動終了である。
 
 19日の早朝に目覚めると強い雨が降っている。拡声器のバッテリーの影響を考え、この日の朝立ちの中止決定をすると7時に雨が上がる。それでも9時まで事務所で待機してから中郷から清川方面に自転車を走らせた。午後からも自転車に乗るが強風のため危険を感じ、午後3時で活動を終了する。
 
 20日は7時から海上自衛隊前正門前で挨拶を済ませ、その後は馬来田へ遠征する。4年前の選挙の際にも自転車で矢那街道を越えたが、今回は拡声器やバッテリーの重量が増えた上に、自ら連呼するのでとてもきつい。
 八万台のピークを越えて田川に下り、篠崎議員選挙事務所前や三上議員選挙事務所前などを走り、馬来田駅前で自転車で来た記念写真を撮ってから笹子まで戻り、伊豆島に岡を越えて帰宅したら流石に疲れた。午後からは地元を隈無く回り、夕方より地域を歩き支持拡大をお願いする。

 選挙戦も中日を終え、選挙用葉書2000枚の提出作業も終了した。連日の労働で体重は若干減少したが、顔が日焼けで皮がむけ始め、喉に痛みが出て来たことが気になりながら後半戦に突入する。
 
 
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2011年4月下旬の記録