50.5月中旬の活動記録
 11日は午前中にメールの処理や冬タイヤを夏タイヤに交換した後、午後から選管に供託金返還の為の書類を受取に行ったり、議会事務局に今期のクラブ活動申請書等を提出したり、地元の区長さんと諸要望を行ったり、自動車税の納付等の市内での所要を立て続けに済ませる。夕方からHPの更新を始めたが、途中で海外から帰国した友人と懇親を深めに行って、作業終了は深夜になった。
 
 12日は打合せや諸調整で都内や木更津市内を走り回り、市役所で巌根駅関連情報を仕入れてから午後4時の岩根区長会総会に臨む。俗に言われる『しゃんしゃん総会』ではなく各区長さんから闊達な意見が出されていた。その後の懇親会にも参加し、挨拶の中で巌根駅の協議状況や市政の報告を行い、様々な意見交換をしてきた。
 
 13日は日中は自宅事務所で内業を行い、夕方から
かずさアカデミア音楽コンクールの運営委員会に出席する。本年は震災の結果として協賛金を集めることが難しくなることや夏の節電対策として開催延期を決めているが、その間に組織の見直しなどを進めるための会議であり、諸課題が山積している事に気が重くなる。
 
 14日は午前中に雑務を済ませ、昼から国際交流協会の総会に出席する。姉妹都市であるアメリカのオーシャンサイド市への高校生派遣事業の報告の中で、大震災後に現地に入り、各自が日本の報道官に成ろうとしていた姿勢に若者への頼もしさも覚えた。
 帰宅後には岩根で会議を済ませ、日没後は町内の懇親会に出席する。選挙のために日程が遅れていたり、色々と迷惑を掛けて来たが気持ちを充分に伝えて居ないかも知れない。親しき仲にも礼儀だと思う。
 
 15日は朝から市民まちづくり塾主催の
自然観察会にスタッフとして参加する。5月の爽やかな空の下で歩く清川の里山は、沿線の不法投棄さえ無ければ、とても気持ちが良いものである。午後2時のイベント終了後に今年の活動確認を兼ねて打合せを行い帰宅してからHPのアップに取りかかった。
 
 16日は朝のうちに仕事を片づけ、昼食を取りながら会派会議を実施し、新人議員に初議会の対応を説明する。その後、市役所に行き6月議会に向けた質問の概略打合せを実施。夜は気分転換に映画のレイトショーを見に行った。
 
 17日は臨時議会の日である。部屋無しの我々の会派はまたも議長応接室で待機することになる。議題は議会の人事に関する事と執行部提案の3議案の採決である。人事を記載すると長くなるので『
思うこと』で別に整理したので参照いただきたい。それにしても議会の人事決定に執行部の全てが同席せねばならない理由が未だに解らない。
 会期中の休憩時間を利用して行われた議会運営員会では、正副委員長の互選以外に下記の3案件の審議が行われた。
    
No 件名
1 平成23年度定例会日程案
2 議会申し合わせ事項の一部改正
3 市議会臨時号の発行
 議会申し合わせ事項で、9月議会の最後に説明していた次年度予算方針を議会の冒頭に変更することや、3月議会で委員会負託を省略していた当該年度補正予算を「省略することができる」と弱めた事が高く評価される改正であったが、日程案にはそれが反映されずに前年度並みに成っていた。委員会審査の日程も含め、今後検討をして行かねば成るまい。市議会臨時号については広報委員長時代に方向性を示しておいたものであり、広報委員会が決定していない為に議運の委員が承認する必要があるのだが何か変な気持ちである。
 全ての人事が決定した後、およそ午後2時に執行部から上程された議案は下記の3件である。
  
No 件名 関係部
1 専決処分の承認 財務部
2 監査委員の選任 総務部
3 業務委託契約の締結 都市整備部
 専決処分は地方税法の変更によるもの、監査委員は1週間前の初会合で『議員全員協議会』で選任した後藤秀議員を『木更津市議会』として選任するものであり、手続き的に必要としても同じメンバーでの決定を2度行う行為に無駄を覚える。業務委託契約については金田東の下水道工事を千葉県下水道公社に委託するもので、1年前に建設常任委員会で指摘したように本来で有れば土地区画整理組合が施行することが最もコストダウンに繋がるのであるが、組合の主体である県が受けないのでご理解いただきたいという回答が帰ってくると容易に想像できたので質問しないまま可決した。
 臨時議会終了後、全員協議会が開催され、下記の3件について説明があった。
  
No 件名 関係部
1 金田高速バスターミナル基本計画 企画部
2 木更津駅前広場再整備計画 企画部
3 三井アウトレットパーク木更津金田 企画部
 3の三井アウトレットパークについては3月議会の最終日の全員協議会で説明がある予定だったものが震災の関係で今まで延期になったものである。説明者は三井不動産で、プロジェクターによる映像である。
 関係部が全て企画部ということもあり特別職と企画部以外は傍聴席に移動するという変則的な会議である。金田バスターミナルの計画内容などに疑義も有るがここでは触れずに置く。三井アウトレットが都市再生機構から土地を受け取り工事に着手するのも間もなくだから、この日の映像を地元でも見せたいと思った。
 全員協議会が終わって一旦解散し、夕方から友好会派で議長就任祝賀会を開催する。中締めは斉藤高根議員が副議長に就任したことにより繰り上げて会派代表となった私が行うことになった。なにぶん当選回数の少ない議員だけの会派なので今後もご指導をお願いしますという挨拶で祝賀会を終了させた。その後は会派羅針盤で2次会に行き、多くの意見交換を夜遅くまで行うのだった。
 
 18日は若干アルコールの残った体で起床し、書類の整理を行いながらHPの更新を行う。記載事項が多いので昼過ぎまでパソコンに向かっていた。夕方になってから都市整備部に行き、部長と両次長に委員長に就任した挨拶を行いながら様々な事象を話している内に夕方6時になってしまった。帰宅して犬の散歩を済ませ書類を片づけてから車に荷物を積み込み出発した。
 
 19日は朝8時過ぎに宮城県気仙沼市に着き、ボランティア活動を行った後、気仙沼市内の状況を見て回り、居酒屋で話を聞いて歩いた。詳細は
思うことに記載するが平日の上、交通の便が良いわけではない気仙沼市に集まった多くのボランティアが居ることに感動した。
 
 20日も朝から多くのボランティアが集まっている。この程度では足りない事は解っているが、それでも日本の民度は力強いと感動する。地元の若者は週末の方が人が減るというので撤退することが辛いが、翌日会議のため夕方には帰路に着く。途上で見た被災地の風景に圧倒され精神が疲れて多賀城市でホテルに泊まった。
 
 
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2011年5月下旬の記録