53.6月中旬の活動記録
11日は朝から大雨洪水警報が出ている中、町内会の旅行で伊豆の伊東に向かう。昼食に立ち寄った沼津の魚市場は震災が関係ないほど多くの人で溢れ、新規建設現場も有るなど活気に溢れていた。
その後に立ち寄った伊東の道の駅は海の駅を兼ねており設備も立派である。事務所で船の停泊料を聞いてみると午後3時から翌朝10時までの1泊料金は250[円/日/feet]で、日中は30[円/時/feet]だそうだ。長さ7.2mの船は24feetなので、一晩で6000円である。木更津にもこの様な設備は出きるのだろうか。
12日は小田原の「鈴廣」を経由して帰路に着く。施設も昔より拡大されており「蒲鉾」でも集客力が有ることに驚く。帰路に湘南の国道134号線で渋滞に捕まり、ここの人達は津波の恐怖など考えていないのだな、と先週の岩手等と比べ、妙な気分になりながら帰宅し、メールを元に議会質問の原稿に手を入れる。
13日は朝から市役所に行き、答弁打合せを行うが、なかなか回答が来ない。他の議員も同じ状況なので、今回の18名のほぼ半数が防災に関する質問とした事が原因である。仕方がないので帰宅してHPの更新を行った。
14日から個人質問が開始される。トップバッターは新人の永原議員であるが、朝から支援者を会派室に招く心の余裕があるだけ大したものである。では、例により私的に印象に残った答弁を記載する。
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会派羅針盤 永原利浩議員
真舟中学校用地に真舟小学校を建設し、第二中学校は存続させるという考えの基に行われた質問であった。学校適正規模等審議会の答申を読みながらも、それと異なると思う点を議会人として質問することは間違ってないと思うが、私を含め会派の多くは審議会の答申に賛同している状況である。惜しむらくは児童が交通量の多い県道を渡る事を問題視した事以外の争点が解りにくかった事である。修正私案という形で資料配付する事で議場の理解を得るという手法も取れただろうが、新人としては発言態度も落ち着いており大したものである。
2番目に登壇したのは私であり、テーマをもう少し絞り込むべきだったと反省しつつ、時間枠の全てを使い切り範囲の広い質問を終えた。内容については質問の全文を
別にアップ
したので参照していただきたい。なお、下の写真は永原議員の支援者に撮影してもらったものである。
昼食を取り終えて、午後の3名を迎える。議長席も斉藤副議長になり、壇上から緊張感が伝わってくる。
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日本共産党 鈴木秀子議員
多くのテーマを掲げていたから時間不足になるかと思って聞いていたが、無駄な一問一答を行うことなく時間内に終わらせたことは意外であった。家具転倒防止金具の普及で桜井自治会が補助金を出しているが市の補助が無いことなど良く調べている。自助・互助・公助のうち、町内会という互助で防災を進めるのであれば、町内会への支援体制をどうするか、という掘り下げ方が有れば面白かった。
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会派羅針盤 鶴岡大治議員
今回の議会で生活バスを3名が取り上げているが、本市でイオンや尾張屋が運行している無料バスの状況や先進事例を紹介して提案型の質問としている手法は、流石は鶴岡議員と感心した。近いうちに三重県の視察も考えなければと思うほどである。ただ、私と同様に執行部の答弁が長く、一問一答で用意していた保育に関する核心の部分が軽く済んでしまった事が残念であった。
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公明党 住ノ江雄次議員
放射線の測定問題を議場で取り上げ、執行部より小松菜、ブルーベリー等の野菜、高柳に集約している牛乳、アサリ等の放射性ヨウ素とセシウムに由来する放射能の量が奉公された。アサリから検出され、それが安全基準を大きく下回っていても潮干狩りの団体客が来なくなった現場を知っている者として、数値を出すことに若干の抵抗があったが、改めて安全基準を大きく下回っていると言うことを確認することは風評被害防止のためには必要な行為かなと思いながら議論を聞いていた。
議論が終わった後は、会派室で購入してきたパソコンやプリンターの設定を宮木議員が行う中で、様々な備品類の用意に向けてリストアップなどの作業を行う。使い勝手の良い、便利な会派室が出きるまで、もう少し時間が必要そうである。
15日は質問も終わっているので、気分も楽に5名の質問を聞く。
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公明党 岡田貴志議員
今回の震災で、釜石の奇跡といわれる防災教育の重要性を提案する言葉の中で、子供を通じて家庭に防災意識を伝えることや、子供もいずれ大人に成り親になるという事には頷かされる。なお釜石市の防災アドバイザーは母校の教授であるが卒業後に来られた方なので面識がない。今度
片田教授の話
を聞いてみたいと思った。また、発電機の準備やマンホールトイレやバリアフリー対応など現地の声を伝える質問は説得力があった。
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共産党 佐藤多美男議員
真舟小学校の開校予定時期が平成27年度か28年度を予定すると執行部から回答があった。段々具体的になって来ている。そんな中で真舟小学校用地の一部に民地があること、それも平成20年に登記が済んだ土地が有ることを佐藤議員が指摘した。調査能力は流石である。その土地を購入しなくとも学校は出きると言うことだが、設計の足枷に成らないことを期待したい。
昼食を鋏み、午後の部に入る。
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公明党 渡辺厚子議員
私は都市間防災協定を聞いていたが、渡辺議員は民間企業等との災害時応援協定を質問した。災害時には自動販売機の飲み物を無償供給受けるという種類の者も含め様々な内容で23件の協定が結ばれており、さらに郵便局や建設業組合とは別の協定が結ばれているという事である。今回の震災で防災意識が高まっている時に多くの協定を整備するべきと言う意見はごもっともである。
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会派羅針盤 平野卓義議員
具体的になってきたアクアラインマラソンを利用して地域の活性化や木更津の知名度向上を図ろうとする意見に対し、7月1日より体育科に担当者を置くという回答であったが、速度感の点でどうかという気はする。また、質問の中で津波スクリーンを提案したところ、研究するという回答があった。街中の住居をガット船で破壊されない対策が今回の震災から考えるべき事であろうと私も思う。
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一新の会 篠崎哲也議員
現在の防災備蓄の質問に対し、目標の約33万食を大きく下回り5%程度しかストックされていない事には愕然とした。備蓄倉庫は中学区単位を考えているが二中と三中学区には無いという回答の中で、現在三中は建築工事中である。防災担当と教育部局の情報交換が行われているのかと疑問に思うとともに、真舟小学校は防災指揮所とともに大規模な防災備蓄倉庫も併設する設計にせねばならないな、と個人的に思った。
他の質問で、現在学区を越えた通学の申請が850件も有るという報告なので、小規模特認校制度は市民に利用され、独自の教育効果が出ながら地域の活性化も行えそうだと思った。
夕方には市役所の中で色々情報収集を行って帰宅。議会質問をHPに上げようと頑張って仕事していたら、午前3時を回る時間に成ってしまい、寝不足のまま質問3日目を迎えることになる。
16日からは我が会派の質問者も無くなり、重複が続く質問を落ち着いて聞き続ける。
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一新の会 國吉俊夫議員
前日の篠崎議員が富岡小学校の存続を訴え、國吉議員は東清小学校の廃止に反対する等、間もなく発表される学校適正配置の方針は荒れ模様になりそうだ。街歩き観光看板について、市内に13箇所有る中で11箇所が英語表記併設で、2箇所は日本語のみという回答であった。國吉議員は日・英・中・韓の4ヶ国表示を提案していたが、簡体字の進んだ中国語は台湾と表記が大きく異なっている事や、南米を対象にしたスペイン語はどうするかなど、私は判断に迷う。
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新栄会 座親政彦議員
直前の國吉議員と防犯カメラのというテーマが重複していたが設置場所や犯罪件数の推移など視点の変わる質問を堂々と行っていた。防犯カメラについては機械が10万円、レコーダーが30万円という回答であったが、一つのレコーダーで複数のカメラを記録できるシステムも開発されているはずなので段々安価に成ってきているはずだ。であれば今回の死体遺棄が有り恒に不法投棄が行われる矢那や、これから三井アウトレットのアクセス口なる巌根駅などにも設置を検討してもらいたいと思いながら質問を聞いていた。
昼休みの時間には和室から高橋てる子議員が我が会派室に来て、午後最初の田中紀子議員に気を使わせないようにしている。
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市民ネットワーク 田中紀子議員
多くの傍聴者が来ている中で落ち着いて質問していた。8名の新議員のうち5名が質問に立っているが、皆大した者だと感心する。田中議員の話は、緊急通報システムは一人暮らしで無くても使えることを解るだけでなく、不安な市民に寄り添うようにHPを変えよう、とかDVのパンフレットは女性が取りやすい場所に設置しようとか、視点が優しい事が目新しく、自分のハードな質問との差を自覚させられた。
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新栄会 白坂英義議員
ここまで私の質問にだけ回答した水越市長が答弁に立ったので、何事かと思ったら、波岡消防署に救急車を配備する準備に掛かるという方針を示された。それに併せて適正配備を考えるという事であるが、個人的には現在長須賀が極めて手狭なので、そこに配備している部隊を丸ごと清川署に統合し、長須賀署は3分団1部の詰め所にしても良いのではと思うが、そうなると街中が手薄になるので難しいか。それでも本署より年間出動の多い長須賀の負担を軽減する事は考えた方が良いであろう。
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一新の会 大村富良議員
大勢の傍聴者が来ているからと言っても、質問があまりに金田のことの終始しすぎているように思われた。それでもそんな中で第二中学校の耐震工事を近いうちに行うことの回答が有った。学校適正規模等審議会の答申に一致しないことをどう整理するか、近々議論せねばならないだろうと思っていた。
質議が終わり、市役所内で勤務時間が終わるまで打合せを行った後、帰宅して、この活動記録の更新を行った。
17日は個人質問の最終日である。
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元気力発電所 高橋てる子議員
協動班の動きが見えないことや部長の任期が1年しかないことなど、相変わらずの高橋節の第一質問は聞いていて楽しくさせる。市民税の1%還付について指針を新たに作る気は無いが単なるバラマキにならないか等を検討中のようである。その議論も気になったのであるが、一問一答に進めなかった事はもっと気になる・・・。
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自民クラブ 三上和俊議員
市街化調整区域の土地利用については、6月7日から意見公募の結果を公表していることをこの質問で知った。19頁に渡る21の意見書への対応は大変だったろうと思う。9月議会で方針が示され、10月以降に運用が開始されるという事なので、その具体化の事例を早く見たいものであるが手を誰か挙げるだろうか。
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一新の会 大村富良議員
中央公民館と図書館の老朽化を指摘したところ、将来的にはそれらの機能を併せた総合的教育施設を中長期計画の中では考えていきたいという回答があった。しかしその前に現状の図書管理用を進めるため、駐車場の拡幅や旧増田家の改修など多くの予算を投じ続ける必要もあるようだ。
一般質問が終了し、今回議会に提案された11議案のうち、人事案件を除いた10議案の大綱質疑が行われ、その後請願1件と陳情3件を含めて委員会への負託が行われた。次いで直ぐに休会が宣言され、議会運営委員会が行われ、特別委員会の設置を議員発議で行う事を決定した。因みに発議者は4会派の代表者であり、議会運営委員会はその4名に委員長である荻野議員と我が会派の鶴岡議員が加わるだけで、構成に大きな差はないのである。
休会が取り消され、下記の5議案が討論され可決された。各委員会の設置が決定された後、議会申し合わせ事項に基づき各委員会出向議員が会派から選出された一覧表が配布され、再度休会となりそれぞれの委員会で正副委員長の決定が行われた。
番号
内容
委員長
副委員長
発議05
基地対策特別委員会の設置について
住ノ江雄次
篠崎 哲也
発議06
合併調査特別委員会の設置について
岡田 貴志
座親 政彦
発議07
木更津活性化特別委員会の設置について
大村 富良
重城 正義
発議08
議員定数等調査特別委員会の設置について
滝口 敏夫
白坂 英義
発議09
議会会議規則の一部改正について
議会が再開され決定された人事の報告を行い、この日の議会は終了した。なお、議会終了後、議長権限で設置される議会広報委員会が開催され、正副委員長人事や編集方針などの打合せが行われたようだ。
議会終了後に会派室で行政視察などの打合せを行った後、この夕方に会派として議会前半終了の質問者と斉藤副議長の慰労を行いながら意見交換会を行った。
18日は夕方に東京で知人と待ち合わせが会ったので、その前に秋葉原の高架下に出来た日本の職人によるものづくりをテーマにした
2k540
を見に行く。
意匠デザインを盗まれることを嫌うためか、何故か場内が撮影禁止と成っていたので映像はない。売り物の中で木のキーボードは快適であったが8万円以上の価格に手が出ず、日本百貨店で地方の名産品を購入して退出した。
次いで上野に移動し、東京国立博物館で行われている『手塚治虫のブッダ展』を見に行く。常設展も含め3時間以上鑑賞して足腰が痛くなる頃に待合せ時間となった。久々の再開を楽しみ、巌根駅に夜遅く帰ってきた。
19日は朝から今回の議案に上程されている市道認定案件の9路線、延長合計713mの現場調査に出かける。
市道2442号線
市道2443号線
市道2444号線
市道3310号線
市道3311号線
市道3312号線
市道3313号線
市道33144号線
市道7894号線
この9路線が議会承認されると3,136路線、911,989mの市道延長を所有することになる。しかし、現場調査の段階で上程案件の単純ミスに気が付いてしまった。委員会負託前に調整しようと考えながら帰宅する。
午後2時からは江川消防団の新入団員歓迎会に区の役員とともに出席する。今年の4月で2名の入団があった事は他の部に比べ恵まれているかも知れないが、10年を越えた団員も退団できずに居る状況である。まして後援会人口の少ない消防団では大変な苦労をしていると聞く。行政が音頭を取るべき時期に来ているのではないだろうかと思う。
20日は
朝から会派室に行き、委員会前の打合せを実施する。市道認定案件になる議案50号の扱いを議会事務局と打ち合わせるが、面倒な展開に成りそうである。もう少し柔軟に運営できる議会であるべきと思うが、何かと難しそうである。他には君津中央病院へのお見舞いや、市内各所での雑務を済ませ、帰宅後にHPを更新した。
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2011年6月下旬の記録