59.8月中旬の活動記録
 11日は事務処理や議会質問の整理、HPの更新などの内業を午前中に進め、午後から市内各所で所用を済ませる。
 海上自衛隊前では来春のアウトレットモール開業に間に合わせるように中野畑沢線の排水路の暗渠化が進み、自衛隊の中では巨大な倉庫の工事が行われていた。来年の春に見る風景は長年見慣れていたものと大きく違うのだろうと思いながら市役所に向かい、各種打合せを行って帰宅した。
 
 12日は午前中に内業を済ませ、午後から9月議会の質問に向けて会派会議を行う。9月は会派代表質問があり、我が会派は始めての代表質問なので概要を打合せで決めると共に、新人議員3名と私の質問が代表質問と重複しないように調整するための会議である。ちなみ代表質問の1番手は鶴岡議員が担当し、私と平野議員は決算審査特別委員会を務めることを6月議会中に決定している。新人には調整と共にアドバイスも行っているので会議は長引き、その後に市役所内部で打合せを行い、帰り道で金田事業の進捗を見て来た。
 
 13日は港まつりの修祓式に出席。震災の関係で例年と違う日程で、花火もない祭りであるが、日本人の心に絆の意味が改めて染み込んでいる今年の夏は、特別な夏になる意義がありそうだ。
 修祓式が終わったら一旦帰宅して、夕方5時半よりやっさいもっさいの見学に街に出る。開始時間が早いので明るく、踊る人には蒸し暑くて大変だろうが、写真撮影には便利である。
 
 視点を変えてしばらく見ていたが、最後はいつものように木更津の街の活性化に寄与して深夜に帰宅することになった。
 
 14日は朝からお墓参りに行く。我が家の墓地は自衛隊横に古くから有る集落の共同墓地だが、今年から「不法投棄禁止」の看板が出ていた。墓地に捨てる不心得者が居るのかと、モラルの低下が嘆かわしくなる。
 帰宅してから部屋の片付けや荷物の整理を始めたが、室内の暑さに効率が低下し、HPの更新も深夜になってしまうのだった。
 
 15日は始発のアクアラインバスに乗り羽田空港から新千歳空港に飛びレンタカーを借用する。計画では高速道路で士別まで走り天塩岳に登るつもりだったが、その地域に大雨洪水警報が発令さたので中止として、歌志内・赤平・芦別等の炭鉱都市の見学を行うことにした。
 芦別市で破綻したカナディアンワールドは、衰退の進む都市を何とか食い止めようと戦った跡であるが、立派な建築に誰も居ない風景は、やはり税金の無駄遣いだと言われても仕方ない。政治を司るものとして失敗例を目に焼き付けた。この日は芦別岳の登山口である「太陽の里」に泊まった。
 
 16日は降水確率20%のハズで、早朝から芦別岳に登る予定だったが目が覚めると大雨が降っている。5時のNHKの天気予報では降水確率が100%に成っており、空知南部には大雨洪水警報も出ている。登山を諦め帯広の「北の屋台」でも見に行こうと十勝に入るが、道東道や石勝線の不通がラジオで流れ、場合によっては明日朝の千歳に行けなくなりそうで、急ぎ折り返し、この日は思いつきで室蘭に泊まることにした。
 
 17日は前線が本州方面に南下するという予報なので空港でレンタカーを返却し、朝8時に待ち合わせた北海道に住む知人と、この日に北海道に飛んで来る知人と3人で
夕張岳を登り、日没後に長距離を移動して千歳市に戻り、市内のビジネスホテルに宿泊した。
 
 18日はニセコに移動しながら洞爺湖サミット会場に立ち寄ったり、チセヌプリを登ったりして優雅な時間を過ごし、友人の家で宴会を行い泊めていただいた。
 
 19日は朝から快晴で登山意欲がそそられるが残念ながら帰宅の日である。友人にニセコ駅まで送って貰い7:36の列車で千歳空港を目指し、13:05の飛行機で羽田に帰ると雨で、木更津には大雨洪水警報も発令されていた。北海道から前線を連れてきてしまったと思いながら、涼しくなった木更津に帰ってきた。
 
 20日は朝から溜まった仕事やメールの片付けを行い、旅の荷物を整理している内に夕方になり、ホテルオークラ平安の間で開催される「渡辺よしくに後援会総会」に出席する。陸上自衛隊第一ヘリコプター団佐々木副団長による震災対応状況を聞き、参加者の多さに感心して帰宅する。
 
 
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2011年8月下旬の記録