夕張岳 1,665m 北海道夕張市
2011年08月17日登山:A津さんとK藤と3人

 
 お盆休みを利用して北海道の連続登山を企画してA津さんに相談すると17〜19日での参加と回答があった。北海道在住のK藤もそれなら参加すると言う。私は前半の単独行を決意し、15日早朝の飛行機で千歳に飛び天塩岳を登り、翌日に芦別岳を登って17日朝に千歳で合流する計画としたが秋雨前線の停滞で大雨警報が連日発令され、15日に富良野オムカレー、16日に室蘭焼き鳥とB級グルメを食べ、登山成果は室蘭の測量山だけで17日の朝に千歳空港に到着した。
 
 本来なら夕張岳は18日に登る予定だったが天気予報は今日の安定を伝えている。A津さんは8:30に到着するので空港で合流したK藤と出口で待ち、拉致するようにK藤の車に乗せ一路登山口に向かう。夕張のコンビニで食料を購入し、早めに到着できるかと期待したが9kmも続くダートに速度も落ち駐車場には10:40の到着となった。登山準備を終えて11:03に出発。冷水コースで登り始めるが前日までの大雨で登山道は沢のように成っていた。馬の背コースに合流し石原平に12:35に到着。シラネアオイの花も無く鳥や虫の音もしない。芦別も見えず、頭上にはガスの中に前岳の岩場が聳え今日登った事は失敗だったかなと頭をよぎる。
 足場の悪い巻道で前岳を越えると遠くに夕張山頂が見え、直ぐにお花畑が始まる。整備された木道に雰囲気が一気に変わり夕張岳が好きになる。熊の目撃情報や道の脇に糞が有っても花は綺麗だし水場も豊富で、すっかり楽しい気持ちで先に進み吹き通しを越え、山頂直下の急坂から振り返ると登山道の東100m程度の笹原で動く黒い点が見える。熊に間違えないと思うが遠すぎて残念ながら写真には成らない。緊張して熊鈴を余分に鳴らしながら山頂に到着したのは14:35であった。
 少し後に到着した2人の青年は12:30に登り始めたと言うのでその早さに驚く。最初は雲の中であったが食事しているうちに視界も広がり始める。ゆっくりしたいが日没も気になり15:40に下山を開始する。同時に出発した若者に見る見る間に離されるが、途中の水場や花々を楽しみながらマイペースで下山を続け望岳台に着く頃には青空も広がる。残念ながら芦別岳の鋭い頂を見ることは出来なかった。
 復路は水に濡れることを避けるため馬の背コースを辿り17:45に夕張ヒュッテに到着する。外では今夜泊まる方々が食事の準備をしていた。ボランティアで管理人をしている大阪の人に話を聞くと、夕張市に予算がないので建設途上にある新しい小屋もボランティアで建設しているとの事であった。既に基礎は完成し学校を解体した木材も持ち込んであったが、完成までの苦労を思うと頭が下がる話である。そして、車に帰り着いたのは18:05となり、往復で7時間を費やし、予想より時間短縮が図れなかったので宿泊が気になり始める。
 
 この夜には夕張あたりでバンガローでも借りて打ち上げを行おうと考えていたが夕張の観光案内所は16:30で終了しており、この時間のキャンプ場には管理人も不在となり、夕張市内のホテルも高いため、夕張の振興を諦める。そこで千歳にまで移動し、ビジネスホテルに泊まることにして居酒屋で打ち上げを開始したのは午後10時に成ろうとしていた頃であった。この日の朝に木更津を出てきたA津さんにとって長い一日が終わるのは日付が変わろうとする頃であった。
チセヌプリ 1,134m 北海道蘭越町
2011年08月18日登山:A津さんとK藤と3人

 
 前夜に千歳で打ち上げを楽しんでいたが、この日はA津さんも楽しみにしているK藤の自宅訪問を行うためにニセコまで移動しながら簡単な登山も行うことにした。樽前山も候補になったがニセコ連山のどこかにすることにして、取り敢えず朝食はサミットも行ったウインザーホテルの美味しいパンを食べに行くなどしたので、7時に千歳を出発していても登山開始は13:00を少し回った。
 
 途中の羊蹄山も雲の中で、ニセコアンヌプリにも雲が掛かっていたので山頂が見えていたチセヌプリに登ることにしたのだが、出発と同時にガスが巻始め頂を隠し始める。岩のゴロゴロする急坂を登っていく内に昆布岳方面の展望が戻りはじめ、山頂に着く頃にはアンヌプリまで頂を見せている。13:45に到着した頂から雷電岳に繋がるニセコ連山が美しい。残雪の頃に縦走を考えているというK藤の話にA津さんも引き込まれ、近い内に春山で訪れそうな雰囲気の上には秋空が広がっていた。ただ、北側の積丹半島には泊原発も見えており、時節柄、その近さが妙に気になったりもする。
 
 下山も順調に下っていたが駐車場に出る直前の登山道に掛けられた浸食防止と思われる金網で滑り掌を切ってしまう。簡単な山なのに無事下山が出来なかったことに、慎重になる事を改めて自覚する。幸い連日の雨で出来ていた沢が有ったので直ぐに手を洗いバンドエイドを貼ってから雪秩父温泉に浸かる。そして街中でワインやチーズを購入してから夕方のK藤家に到着する。A津さんも見て回って感心しているが、私としても前に余市岳を登る時に見て以来の3年ぶりの訪問であり、炉端焼きが出来るテラスなどに感動しながら宴会に突入し、麦酒・ワイン・余市などを飲みながら会場を屋外から室内に移し、布団に横になったのは午前1時を回っていた。因みに翌朝は眠い目をこすりながら7:36のJRで空港に向かうことになり、私の5日間の北の旅が終わるのである。
大栃山・釈迦ヶ岳 1,641m 山梨県笛吹市
2011年09月29日登山:S井と2人

 
 震災に始まった会社の節電対策として土日勤務態勢となっているS井と平日登山に行こうという話になり、今年の1月に断念して代わりに蛾ヶ岳に登ることになった釈迦ヶ岳へ行くことにした。24日には富士山に初冠雪が有ったと言うことなので、展望も楽しみである。
 
 S井に自宅まで迎えに来て貰い、彼の車で一宮御坂まで順調に高速を通り、檜峯神社入り口の鹿防止の扉を開けてコンクリート舗装した参道を上ると標高1,085mの登山口に到着する。
 神社の豊富な地下水でボトルを満たしトビス峠に向けて歩き始めたのは9:03であった。神社の案内板のコースタイムでは30分かかる峠に15分で到着する。私は秋の登山で時々起きる腰痛が生じて冷や汗が流れ、ザックを肩から下げながらゆっくりしたペースで稜線を北上すると、9:58に大栃山[1415m]に到着する。コースタイムを大幅に短縮しているので案内板の時間は甘いと想像した。山頂から甲府盆地を見下ろしたりストレッチで腰を伸ばしたりして10:10に山頂を後にする。
 トビス峠に引き返し神座山[1474m]に向かって登り返すと、コースタイムが短縮できない。さらに1522mのピークを越えて檜峯神社への分岐まで40分のハズが45分も費やしてしまう。腰の痛みは軽くなりそこそこに速度を上げているのにこちらのコースタイムは厳しいようだ。最後の登りは尖っている山に相応しく岩場も多い急坂で、石仏が佇む山頂に着いたのは12:21に成っていた。
 山頂では林道側から登っていた単独の登山者が引き返そうとしているところで、この山行ではこの人以外に誰も会わなかった。富士山方面にはパラグライダーが飛び、山頂にはトンボが舞っていた。展望は大栃山より開けているが、気温が高くなったため空気の透明度が落ち、周囲の山々が霞んでいる。真冬に来ると気持ちよい山だろうなと思いながらコンビニで買っていた昼食の時間とする。下山後は私の50選に入っている「ほったらかし温泉」で汗を流したいとS井が言うので、新規温泉を増やせないがそれも良いと思いつつ、13:02より下山を始める。
 神社に直行する第3登山道は滑りやすい急坂で、ロープの整備が無ければルートも間違えそうなコースであり、逆回りにしなかった計画を讃えながら木立の中を進み車に帰り着いたのは14:05であった。豊富な水を飲み顔を洗ってから乗車し、予定通り温泉からの展望を楽しんで帰路についた。
泉ヶ岳 1,172m 宮城県仙台市
2011年10月07日登山:A津さんと2人

 
 前年は真昼岳、昨年は屏風岳と秋には東北に行くのが恒例となってきたが、今年は体育の日を含んだ連休の少し前から休みを取れる事が解ったので、3年連続の秋の東北に出かけた。例年と違うことは、同僚の訃報に起因する旧友との飲み会、震災復興支援のボランティアを工程に加え、さらにA津さんも被災地を見たいという事で参加している事である。
 
 6日は一人で福島まで移動し、東北中央道を造っている昔の同僚と遅くまで飲んでホテルに泊まった。翌朝に夜行バスで来たA津さんを福島駅前で拾い、高速で泉PAスマートインターまで車を飛ばす。登山口の泉ヶ岳ロッジに近づくに連れ雨が降り始める。駐車場には9:22に到着したが天候の回復を車内で待ち続ける。30分も経つと青空が見えるように成り、天気予報を信じて10:03より歩き始める。
 水神コースに進むと直ぐに雨が降り始め、傘をさして広い道を黙々と進んでいくと天気も回復し続け、水場に着く頃には太陽も差込始める。前夜の酒を清流で薄め、水神の碑からの急坂を登り始めると強風が吹き荒れており雲の流れが速い。紅葉は始まっているがまだ鮮やかでない稜線を詰め、吹きさらしの場所では風にふらつかされながら11:37に山頂に到着する。風があまりに強いのでカモシカコースを少し下った展望の良い場所まで進み休憩を入れる。仙台の街や太平洋も見えているが、空気の透明度はあまり高くないので若干残念に思う。
 大休止を終え、樹林の中の急坂を下りつつ、逆コースで歩かなくて良かったな、と思っている内に岡沼の平坦地に出ると一面のススキの原に成っている。急に秋の爽やかな山歩きをしている気持ちになり嬉しくなる。小さな岡を超えて兎平に出ると白樺の林も綺麗で、この辺りにテントを張って一晩過ごすのも面白そうだと思う。
 少し進んでスキー場の上に出ると再度展望が開ける。板で滑るには楽しそうな斜度のあるゲレンデを転倒しないように制御しながら下って駐車場には13:08に帰ってきた。
 
 高速に乗る前に泉ニュータウンにある石焼きラーメン火山で煮えたぎる醤油ラーメンを食べ、南三陸町を経由して、今年3回目になる気仙沼に泊まって、3回連続で行く同じ居酒屋で最初の登山打ち上げと翌日のボランティアへの気合いを入れた。
五葉山 1,341m 岩手県大船渡市
2011年10月09日登山:A津さんと2人

 
 8日はA津さんと別々にボランティアを行い、私は気仙沼大島に渡って働き、その夜は市内に宿が確保できなかったので国民宿舎からくわ荘に移動して泊まった。
 
 翌朝、宿の目前に有る津波体験館や折石の観光などをしてから登山口まで行ったので、赤坂峠の駐車場に車を停め、登山を始めたのは11:47となってしまった。天気も良く、気温も涼しい絶好の登山日和であったので駐車場には20台以上が停まっていた。五葉山は三陸地方で最も標高の高い山なのであるが、被災地の大船渡と釜石の間に有るので遠慮すべきかと思っていたが多くの登山者が居ると言うことは嬉しくなる。
 良く整備された登山道を進み、木立の無い理由が解らない賽の河原を12:11に通過すると正面に山頂を臨み両側にツツジの株が並ぶ平坦な道が出てくる。花の時期はさぞかし快適だろうと思いながら、畳石に12:20に到着する。近くに水場が有るという情報を元に小道にはいるが片道5分の距離であった。そこで水筒を満タンにして泉ヶ岳に増して紅葉が綺麗な樹林の急坂を登り続ける。祠を2箇所過ぎ、8合目を越えると勾配が緩くなり、しゃくなげ荘に13:12に到着すると、そこには山頂直下であるにも関わらず水量が豊富で美味な水場があった。先ほどは何のために往復10分も使って給水に行ったのかと落胆しながら甘露な水を味わう。
 多くの家族連れが小屋の周辺に設置されているベンチで昼食を楽しんでいたが、先に山頂を踏もうと先を急ぐ。奥宮の有る稜線に出ると植生はハイマツ林に変わり、アルプスの稜線に居るような感覚に囚われる。展望も開けた爽やかな高原歩きを経て山頂には13:25に到着した。
 山頂から北方に風力発電の並ぶ稜線も見えているがそれが何処であるか解らず、見渡せる山も殆ど知らない物ばかりで、太平洋のリアス式海岸も霞んでハッキリしない。方位版に書いてある『早地峰』も微かに見えているだけであった。それでも爽快さは充分に満足できる良い山で、今日登ってきたことを感謝したくなる。
 展望を楽しんでいる内に身体が冷えてきて、合羽の上を羽織った後、風の無い小屋前まで戻って昼食を取ることにする。日溜まりのベンチに座り、コンビで買ったおにぎり等と供に、大船渡のさいとう製菓で購入してきた「福幸(ふっこう)どらやき」を食べる。そこに書いてある『もう被災者じゃない!復興するのは俺達なんだ!』という言葉が力強く胸を打つ。
 水筒の水を全て小屋前の水場で詰め直したり、立派な小屋の中を確認した後、14:10より下山を始める。急な下り坂を歩いている内に暖かくなり合羽を脱ぐとトイレに行きたくなってきた。登山口に有った便所を目指してペースを上げ15:13に下山を終え公衆便所に直行した。
 この日はさらに北上する予定であったが、一旦大船渡側に戻って五葉温泉にゆっくり浸かっていたので、目標の八戸はおろか日のある内に宮古まで行くことも出来ず、釜石で泊まることにした。
 駅に設置された掲示板の情報を見て電話したホテルで部屋を確保できたが、被災した近くの市街には復旧した飲食店も見あたらず、スーパーで麦酒やつまみを購入してホテルの部屋でひっそりと快適であった登山の打ち上げを行うのであった。 
No66 .2011/8-2011/10    ←No65No67→
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