72.12月下旬の活動記録
 21日は午前中に雑務を済ませ、午後から市役所に行き、土木課職員と一緒にアーチ橋を見に行く。これは橋梁調査の中で桁橋と思われていたものが、中心部はアーチで有った事が解ったものである。可能で有れば土木遺産として残したいものである。
 夜には友人と忘年会を行い、1年の慰労を済ませた。
 
 22日は金田配水場が完成すると用途廃止される予定の岩根浄水場を地元の区長さんとともに見学させて貰う。旧軍が建設したものであるが、当時を偲ばせる構造物は無く、土木遺産には成りそうもないが、5,405uという面積や既存樹木などを思えば廃止後に公園として活用も考えるべきであろう。
 その後、市内で所用を済ませ、自宅に帰ってHPの更新を済ませてから市役所に行き、農業委員会の総会に出席する。会議終了後は経済部より産業基本条例の原案の説明が行われ、その後は3日連続となる忘年会に出席した。
 
 23日は朝から書類整理や仕事の片付けを行い、午後3時にビューホテルに行き「千代嵐後援会発足式」の準備を行う。
 
 写真は千代嵐と後援会の会長・副会長と供に開会前に撮った記念写真である。式の進行は世話人の一人である重城市議が務め、3百人を越える方々の集まる中で盛大に行われた。しかし、私は同じ時間帯に行われている万石区の忘年会に出席するため、乾杯が終わったところで退席する事になった。最後まで運営に苦労された皆様には感謝申し上げたい。
 
 24日は溜まってる仕事を片づけ、HPの更新を行って、事務所の大掃除に取りかかり始める。議会で配付された資料をまとめるだけでも一苦労である。そんな内業のクリスマスイブの夜は前日までの4日連続の飲み会を抜くように休肝日とした。ちなみに前日の「千代嵐後援会発足式」には337人が足を運んで頂いたようで、決算は下表のようになった。
項目 金額 合計
収入 後援会会費 1,364,000   5,142,000
寄付金 298,000
発足式会費(出席337人+欠席11人)   3,480l,000
支出 化粧まわし代と九重部屋祝   3,000,000 4,827,340
発足式経費(記念品含む) 1,626,540
通信費 200,800
収支差額(翌年度以降の通信費) 314,660
 
 25日は早朝より東北に向かう。1月中旬に福島県浜通りを通って松島に行った2ヶ月後に大震災が発生した年を締めくくるためにも、再度同じ風景を見ておきたかったためと、春・夏・秋とボランティアに訪れた気仙沼の冬を見ておきたかった為である。
 松島を見終えた後は石巻の街中を歩き回り仙台に泊まり光のページェントを見た。詳細については「
最近思う事」に記載する。
 
 26日は朝5時に起床し、夜明け前の雪の高速道路を一関まで走り、国道で気仙沼に入る。8時半にボランティアセンターに行き、鹿折地区で側溝清掃を行う。現場の近くには漁船の姿が残り、昼休みの時間を利用して休止中のJRの駅も見てきた。この夜は気仙沼に泊まり、街中を探索して回った。
 
 27日は朝6時に宿を出て一関に戻り、無料の東北道を利用して滝沢ICまで走り、国道4号線を北上して奥中山高原スキー場を目指す。圧雪の道を走り辿り着いたゲレンデには人が少なく、待ち時間も全く無いまま初滑りを2時間弱ほど満喫してから帰路についた。
 
 28日は荷物を片づけ、融雪剤で真っ白に成った車を洗車した後に市役所に行き、御用納めの挨拶をしてまわる。岩根駅前は交番の足場が降ろされモダンな姿を見せており、隣には公衆便所工事の仮囲いが設置されていた。その後は市内で所用を済ませて帰宅し、今年最後の忘年会に出席した。
 
 29日は午前中に後援会長と後援会報の打合せを行った後、部屋の大掃除を開始しつつHPの更新などを行う。後援会報発送は印刷手続きが遅れたので来月の中旬になってしまう事が解った。この日は暖かで仕事も捗りそうであるが余分な書類を読んでしまったりして作業が進まず、翌日も掃除をする事に成ってしまった。
 

 30日も部屋の片付けを行いながら書類の整理などを行うが、ともかく順調に進まず、気だけが焦る。年が変わっても作業をしようと決めて気を楽にすることにした。
 夜は歳末夜警の一環として江川海岸に4分団の7部が集合して団本部の挨拶を受けると聴いていたのでそれを見に行く。寒風が吹き荒む厳しい状況に、消防団員への感謝の気持ちを深くする。
 
 31日は年末の挨拶回りのついでに金田のアウトレットを見に行く。劇的な変化の途上に有る金田や周辺を記録するため、来年は定点写真を数ヶ所で撮影しよう、と考えながら帰宅し、今年最後のHP更新作業に取りかかる。
 夕方になり、今年最後の日の入りを見るために江川海岸に行く。風もなく水面は鏡のように静かで鳥が餌を啄んでおり、震災や台風が荒らし回った一年を終えるには相応しくないように穏やかな日没であった。
 
 後は、ニュースや紅白を見ながら2011年を見送るだけである。紅白の歌手は被災地支援を多く歌い、優しい気持ちで新しい年を迎え、日付が変わる頃に地元の熊野神社に初詣に出かけた。
 
 
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2012年1月上旬の記録